

世の中は、
上とか下とか、右とか左とか、
差をつけたがるけど、
命はただ存在するのみ。
情報は氾濫していない。
情報を目にしたり耳にする機会が増えているだけ。
情報を吟味するなら、
目を閉じ、耳を塞ぐ。
生きることは車の運転に似ている。
彼方先に目を凝らしても、
後方にとらわれ過ぎても、
運転できない。
行き先を確認するなら車を停め、
後ろは振り返らずバックミラーで覗くくらいでいい。
あれもこれもと思案する事柄が増え、
それをいちいち解決しようとすると、
決断できなくなっちゃいます。
これはもう考えないでおこう、と
思い悩む事を減らしていくと、
決断できます。
本当にたいせつなことは、
大きな声で語られることはないようです。
大きな声で語られるのは、
その人にとって都合のいいことみたい。
政治、ビジネス、医療、教育・・・。
いま、大きな声で語られることって、
いったい誰にとっての都合なんでしょう。
異なるもの同士が融合して、
新しいものが創られる。
それは、私たちが誕生した瞬間に起きただけではない。
その後も私たちは、掛け合わせ創造を続けながら生きていく。
どれだけ歳を重ねても、
私たちはクロス・オーバーな存在なのだ。
道端で青色吐息、苦しんでいる人がいたら、
あなたは素通りせず、声の一つも掛けるでしょう。
でも私たちは、心の中でうずくまっている身近な人を
スルーしてしまうことがあります。
目に見えなくても、耳に聞こえなくても、
気配を察することは、きっとできるはずです。
幸せは特別なことにではなく、日常の中にある。
自らの身をもって私たちに再認識させてくださったあなたがたを、
私たちはそれぞれができる方法で、支援します。
どうぞ、お顔を上げてくださいね。
明けましておめでとう。
お正月の挨拶を交わす。
去年の正月から丸一年。
からだは一秒たりとも休まなかった。
チクタクちくたく時計のように。
おめでたい。ありがたい。
これだけしかできなかった、
と思うと気力が薄らぎます。
これだけできた、
と思えば楽しくなります。
なにかが楽しいのは、
生きることが楽しいということです。
それこそ生命力の源です。
未来の姿を夢見て、今を決断することは、
大きな力を湧きあがらせます。
はっきりした未来が見えないとき、
それでも決断せねばならぬことに出遭ったら、
いまの気持ちで決めればいい。
病気は身体の変化です。
治し方には二通りあります。
ひとつは変化してしまったことをいじるやり方。
いじくる専門家が担当します。
もうひとつは、変化してはいけないことを正すやり方。
身体を本来の営みに落ち着かせることです。
この担当は、あなた自身です。
持てる力を出しきるには・・・
諦めては出せない。
欲張りすぎては出せない。
結果に囚われては出せない。
自分を信じられなくては出せない。
冷静でないと出せない。
情熱・感謝・よろこびを抱けなければ、
持てる力は輝きさえ失う。
生命にはいろんな現象が発生する。
その中の一部を人間は「ミス」と呼ぶ。
しかし、だれの許可を得てミスと云うのだろう?
たとえ人間が勝手にミスと断じても、
ミスをするのも生命のうちだ。
人の目を気にしているのは、
あなたが人に何かを期待しているからです。
でも人はあなたが期待するようには、
あなたのことを気にしていません。
あなたがあなたらしく生きたとき、
人はあなたのことを心に留めます。
恐怖や不安はどこからくるのだろう?
なんらかの身の危険を想定したとき、
そいつらは忍び寄ってくる。
身の危険は特別なことなのか?
あってはならないことなのか?
では地球に生まれた最初の人類は、
いまだに生存しているのだろうか?
体から悪いものを取り除くだけで、
健康になるわけではない。
体に良いものを入れるだけで、
元気になるわけではない。
生命は科学的なアプローチだけでは、
輝かない。
ああ、疲れた・・・。
これ以上、なにをしろっていうの・・・?
って言えるときは、
まだ、余力があるもんです。
だいじょうぶ。
思える、考えれる、行える・・・!!
あなた、自分の体に感謝してますか?
お母さんの胎内にいるときから、
ずっと休みなしですよ。
辛いの甘いの酸っぱいのが怒涛のように渦巻く胃。
最下部でひたすら全身を支えている足裏の皮膚。
化学物質の毒をフル回転で解毒してる肝臓。
かぜ引いて熱出ても、ガンで痛くても、
どっかしら動きが悪くなっても、
私の体、ありがとう!!
はっきり申し上げます。
苦しんで苦しんで
よくなる病気はありません。
信頼は一方向では成立しない。
双方が信じ合うことで、信頼関係は成立する。
そして信頼関係を、築き上げ、濃密にし、熟成するには、
信頼できる相手と巡り会わなければならない。
つまり信頼関係は、運命と努力の賜物だ。
素直に前向きになってるときは、
有益な情報や縁をキャッチできる。
欲の塊で前向きになってるときは、
おいしいネタに釣られて落とし穴が待ってる。
後ろ向きなときは、
善きことがあなたを避けていく。
口で言ってるほど真剣じゃないな・・・。
わかっちゃうもんですね。
「一生のお願い」なんてのは、
「あなた、私のためになんとかしてよ!」という、
“自分じゃやらない宣言”みたいなもの。
どうせ本気じゃないんだから。
その願いが叶わなくったって、
頼まれたあなた、
あっけらかんとしてりゃいいんですよ。
生きるか死ぬかは、
自分でコントロールできることじゃない。
だから、生まれて死ぬまでは、
生きるしかない。
いま立っている道がどんなふうだろうが、
歩むしかない。
厭味な上司に、けなされてばかりいたら、
仕事さぼろうかな、なんて思っちゃう。
でも、期待されたり、感謝されたり、褒められれば、
よっしゃ、いい仕事しちゃうぞっ、てガンバレる。
全身の細胞も同じじゃないの。
じゃ、全身の細胞の上司って誰だ?
あけまして
おめでとうございます。
嬉しい、愉しい・・・
それは誰にとって?
あなたにとっての嬉しい、愉しい。
あなたの魂が歓ぶことが、
生命力のエネルギー!!
何かをすることだけが、
者事(モノゴト)を解決するとは限らない。
理不尽なもの言い・・・
不当な扱い・・・
手に負えない苦境・・・
ひとまず、静観してみる。
そうすることで、
者事(モノゴト)の本質が、見えたりする。
自分の心に生じた大波も、
さざ波へと落ち着く。
逃げたり、目をそらすのでなく、
毅然と立ち向かう『なんもしない』という行為。
それもまた解決策。
なんとなく相性のいい人、ウマの合う人、がいれば、
どうも呼吸の合わない人、かみ合わない人、がいる。
同じ挨拶文を書いていても、
「合わない人」へのハガキは
簡単な漢字をしくじったり・・・。
そんな人でも、巡り巡って、
「合う人」と引きあわせてくれたりする。
だからね、「ありがとう」って、
口に出さなくていいから、
心におもおう。
人間がつくったものにはムダがある。
自然がつくったものにはムダがない。
どれもだいじ。
幾世代も脈々とリレーされてきた遺伝子。
私たちにたいせつな智慧を伝えている。
遺伝子という巻物には、
あなたがなにかを成し遂げようとするための情報が、
すべて書き込まれている。
見つけるのは、あなた自身だ。
自分で決めたことでも、
それを実行し続けるのは、容易ではない。
それが、5年、10年、20年となれば
なおさらだ。
決めた時には想像もしなかった、
誘惑、不安、迷いが、未来には仕掛けられている。
最大の敵は、自分の心の揺れだ。
パソコンは使い勝手のいいように
カスタマイズできる。
人間は、パソコンのようにはいかない。
他人を自分のおもい通りにカスタマイズしようたって、
それはムリな話。
人間でカスタマイズできるのは、
自分だけ。
生命には魂や心の営みと、
肉体の営みがある。
生命が困難に陥ったときほど、
原始的な営みが克服の原動力になる。
それを妨げることは、結局、
生命の輝きを失わせてしまう。
竹刀と真剣。
負う傷はどちらが重い?
モノゴトに取り組む姿勢が、
真剣であればあるほど、
時には深く傷つくこともある。
だからといって、真剣を仕舞ってはいけない。
価値あることには真剣を振りかざせ!
覚悟を持って。
純真さは、子どもたちだけの特性ではない。
大人だって、純な心を持っている。
ただ、生きていくうちに、
心にいろんな衣を被せざるを得ないこともある。
いっぱい着込んで息苦しくなったら、
心を素っ裸にしちゃおうか。
細胞の核
いのちの核
たましいの核
人にはたいせつな核がある。
余分なモノを取り込み過ぎると、
核が汚れて、真の姿が隠れてしまう。
思いだけで夢が叶うわけではない。
条件や環境が整っても、
それだけで事が成し遂げられるわけではない。
タイミングが合っても、するりと手の中を抜けていく。
そこには、ただ受け入れるしかない
天地の動きがある。