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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

佐々木啓子さん 子宮頸ガン2期 妊娠中に発症

不安を隠すため戦ってきた私を、宿った子が助けてくれた!
2016年3月 岡山県倉敷市の良寛荘にて
3度の流産を経て、39歳でやっと吾子をこの手に抱けると楽しみにしていた佐々木さんに、ガンが見つかる。しかも、見つかった部位は、子宮だった。


佐々木啓子さん 子宮頸ガン2期 妊娠中に発症
岡山養生塾を終えて、取材に応じていただきました



◆私がつくったガンで、子どもの命を犠牲にしてしまった◆

小澤
養生塾、お疲れ様でした。(佐々木さんは、養生塾in岡山のスタッフ 三井式温熱療法の施術者でもある)

佐々木さん
いえいえ、小澤さんも急遽スタッフとしてお手伝い、ご苦労様でした。

小澤

佐々木さんは、子宮を患われたのですよね? 何歳の時ですか?

佐々木さん
子宮頸部の腺ガンで、2期でした。39歳10ヶ月でした。

小澤
見つかったきっかけは、検診ですか? それとも、何か体の不調があったのですか?

佐々木さん
流産しかけて、判りました。

小澤
えっ!? 妊娠中だったのですか!?

佐々木さん
出血して3週間入院し、明日退院というときに、ガンがあるからと日赤病院に転院し3日目に手術しました。

小澤
男の僕には、妊娠自体もイメージできないですが、妊娠中にガンを告げられて、どんなお気持ちでした?

佐々木さん
一人っ子の主人と結婚して、流産を3回経験していました。もう諦めていたら、40歳を前にして自然妊娠した。当時、私たちは自営で測量の仕事をしていました。私も現場に出て、測量していました。流産しかけたのは、妊娠5ヶ月に達するかという真冬の2月でした。

小澤

寒い時期に、屋外の現場で立ち仕事はきつかったですね。

佐々木さん
現場で出血し始め、すぐさま入院。医大から細胞診の結果が届いたのは、退院前日でした。それでも、私はなんとかして産む気でした。家族も病院に呼ばれ、新しい命も尊いが、私の命を優先しようと苦渋の決断を受け入れました。子宮と卵巣を摘出しました。

小澤
何と言っていいやら…言葉が出ませんね…。

佐々木さん
ガンのことより、子どもを犠牲にしてしまったことがつらかったですね。何度も流産して、今度こそは最後のチャンスと思っていましたから。自分のせいで、新しい命を守れなかったことが、悔しく、情けなかった。個室に居る間、泣いてばかりいました。


佐々木啓子さん 子宮頸ガン2期 妊娠中に発症
養生塾会場の良寛荘は瀬戸内を望む円通寺公園の敷地内にあります




◆病気にでもならないと、自分の時間が取れなかった◆

小澤
手術後は、どんな治療をされたのですか?

佐々木さん
放射線と抗ガン剤治療を受けるようにと、言われました。もうその時は、天国から地獄で、ガンの知識も何もない。放射線をしなかったら、帰してもらえないような雰囲気だったので、25回の照射を受けました。足の付け根の皮がむけて、皮膚炎を起こしました。今でも照射部分は硬くなっています。放射線の後遺症は怖いですね。

小澤
24年ほど前ですから、医師の方針に従うのが一般的ですよね。

佐々木さん
それでも仕事が気になって、入院しながら役所に提出する書類作りなどしていました。(笑) なにせ夫婦二人だけでやっていますから、主人一人では手が回らなくて。主人は私の事と仕事で、本当に大変だったと思います。

小澤
抗ガン剤は?

佐々木さん

自分の意思で、やりませんでした。外来通院になってから、飲み薬が処方されましたが、それも、飲みませんでした。心の底のどこかで飲まない方がいいと、思っていました。

小澤
経過観察で通院された?

佐々木さん
経過観察も順調で、3年くらいで終了になりました。

小澤
予後はどうされていたのですか?

佐々木さん
2ヶ月半日赤に入院した後、東洋医学主体の医療機関に2ヶ月入院しました。地元のがんセンターの外科医をしていた先生が、奥様の喘息が鍼灸治療で良くなった経験から、東洋医学の病院を立ち上げられたと耳にしていました。

小澤
ガンになる前から、東洋医学には馴染みがあったのですか?

佐々木さん

主人と義母の治療のため、整体師さんが自宅に来てくれていました。その整体師さんの奥さんが、玄米食や東洋医学に興味がある方でした。私が甘い物や清涼飲料水が好物なのを知って、アドバイスしてくれました。それで、圧力鍋買って、玄米炊いたりしていました。玄米食への関心の根底には、周りから子どもを期待されていたことがあったと思います。

小澤
すると、結婚して間もない頃から、東洋的な健康観を学ぶ環境におられたのですね。それで、東洋医学の病院の情報にピンときた!? 2ヶ月入院されて、どうでした?

佐々木さん
楽しかったです。(笑) 一日中、自分のために時間が使えた。ごはん、作らなくていい。上げ膳据え膳で、好きなだけ運動ができる。毎日の散歩では、青い空や田んぼの緑をうれしく感じる余裕が生まれました。

24年前にはめずらしいと思いますが、まず早朝、朝陽を浴びて体操して、瞑想、イメージトレーニング、食事は玄米と無農薬の野菜でした。食事や心の持ち方など、いま元気に生きている基本が、この入院でできたと思っています。

小澤
ガンのこと、赤ちゃんのことから気持ちの切り替えにも、よい期間だったのかな? 
佐々木さん
そうですね。思う存分、自分のためにエネルギーを使える環境でした。私、病室でもムードメーカーだったのですよ。(笑)

小澤
お義母さんと同居で、仕事もずっとご主人と一緒。どこかで、重石がのっていたのかな。

佐々木さん
病気にでもならないと、自分の時間が取れなかったのは確かですね。(笑)


佐々木啓子さん 子宮頸ガン2期 妊娠中に発症
養生塾スタッフと 中央が主宰の春名伸司さん




◆戦闘的な女◆

小澤
佐々木さんご自身は、なぜガンになったとお考えですか?

佐々木さん
食事は甘い物好き、パンに欧米食。玄米は炊きましたが、砂糖を使わないおかずはどうも美味しく作れなくて…中途半端な玄米食でした。今は玄米食料理も習い、そこそこ作れますけど。(笑)

それからいつも、イライラしていて。我欲的、物欲的。自分がかわいいのか、何か悪いことがあると、私のせいじゃない、みんな周りが悪い、夫のせい・・・。

小澤
本当ですか?! 今じゃ、想像できないなぁ。

佐々木さん
夫にはよく、「戦闘的な女」と言われていました。(笑) 何か言われて、素直に「はい」って答えたことなかったです。「だって」が口癖でした。(笑)

小澤
ファイターですか!?(笑) ファイターになった所以は、あるのですか?

佐々木さん
私ね、体育会系の人間なんです。中学校ではソフトボールのピッチャー。高校では陸上部で、やり投げ、ハードル。どちらもキャプテンやってて、後輩の男の子にも指示していました。

でも、夫は公務員家庭の一人っ子で母性たっぷりの環境で育ったから、私みたいなタイプは慣れていない。一方、私は農家の本家で10人家族。生活習慣が、全然違っていましたね。母の苦労を見て育ちましたので、結婚相手は兄弟の少ない人が条件でした。(笑)

小澤
あー、食事もファイトしないといけなかったんだ。(笑)

佐々木さん
父からは、「お前が男だったらな!! 跡取りだったらな!!」って、言われ続けていました。

小澤

「三つ子の魂 百までも」じゃないですけど、そういうのって意識の奥深くに刻み込まれて、ライフスタイルに強く反映されますよね。

佐々木さん
それこそが根本だ!そこに目を向けて、変えなきゃ!と思いました。それで地元の認知行動療法(アドラー心理学の一部)の専門家の門を叩き、基礎コースから実践コースまで学びました。

小澤
ご自身で気付いた!?

佐々木さん

ちいさい頃は、いつも弟と比べられていました。弟と比べて、私は、勉強も運動も「できる」方に格付けされていた。「お姉ちゃんのほうが優秀」、と扱われて育ちました。それは、いい気分でした。褒められる側にいることに、慣れていたんですね。

小澤
優越感に浸って育った。

佐々木さん
ところが、中学生になり、さらに高校に入ると、優秀な人はいくらでもいる。その中に入った私は、萎縮し、引け目を感じ、不安だった。でも、それを悟られないよう、隠しました。だから、常に他者と比較し、劣等感からファイトするようになったのだと思います。

仕事では、他の測量事務所に負けまいと、夫の尻を叩き、営業活動を強いました。でもそれは、他と比べて自分が不安だから夫を駆り立てていたのです。自分の不安を和らげるために、周囲の人を引っ張り回していたのです。

小澤
なるほど。自分の根っこを掘り下げるのは、苦しい作業でもあるかと思いますが、目を逸らしたままでは真の解決には至らないことがありますよね。

佐々木さん
勉強した一日目に、自分では「他人のせい」と思い込んでいた事の大方の原因は、実は自分が引き寄せていたことを知り、帰宅して主人の前で正座して涙ポロポロ流しながら詫びました。そうしたら、主人も正座して泣きながら、ありがとうと言ってくれました。

私にとって、病気が治る上で心の問題は大きく、小さい頃からの考えグセに目を向け、新たに「こう生きる!」と決心することはとても重要でした。

小澤
となると、生き方が変わってきた?!

佐々木さん
重石の乗っかった生活から、自分らしく自分の思うまま生きることにしたのです。2年後に三井式温熱の資格を取って、本業の測量の傍ら人に施術するようになりました。山里に引っ越し、憧れていた自然の中での生活。炭焼きの匠に師事し炭焼き職人にもなり、主人に山を買わせました。(笑)

自分の決心した事は、そのとおりに実現すると思います。

小澤
ワイルドだなぁ~(笑)ガンの再発とか、心配するヒマなかったですね。

佐々木さん
子どもを殺して、あのとき自分も死んでいたらと思うと、一日一日が尊く、怖いもの無くなったんですよ。

小澤
お子さんの魂のためにも、生き切る覚悟ができたのですか?

佐々木さん
でもね、数年前まで思い出すと涙が止まらなくなるときもありました・・・。

それが、第二回の養生塾で昇幹夫先生に、私が子どもに対してした身勝手な体験をお話したところ、後日、温かいお手紙と産婦人科医の池川明先生の「胎内記憶」の本を送って頂きました。

「その子は、最初からその結果を承知の上で、あなたを母として選んだのです。自分を責めることはありませんよ」と、添えられていました。この時も、涙が止まりませんでした。

それまで自分の中で深く穴を掘って埋めていた気持ちが、その本を読んで、ようやく落ち着くことができました。その後、池川先生の講演会に参加し、本もたくさん読みました。生きる意味や使命まで、深く考えさせられました。

ここまで来るには、いろんな出会いがあり、たくさんの方々に助けて頂きました。これからは、養生塾、セミナー、温熱を通して、少しでも恩返しができたらと思っています。


佐々木啓子さん 子宮頸ガン2期 妊娠中に発症
昇幹夫先生から届いたお手紙の写し



*佐々木さんは、「かぐや温熱」(
香川県綾歌郡綾川町)の代表として、温熱指導をされています。



【編集長感想】

自分の心に目を向けるきっかけ、三井式温熱と出会うきっかけ、実は、測量の仕事繋がりなんです。与えられた課題にしっかり答えを出し続ける。すると「生きる道」が開けてくるように思いました。








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