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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術

人は生きながら、生まれ変われる!
2017年5月 札幌 赤れんがテラスにて
左右に原発の乳ガンを経験された中嶋陽子さんは、3度目の手術を前にして、ついに真剣に自分と向き合うことにした。真剣にガンを治そうとしたのではない。目を背けてきた、先送りにしてきた、自分の在り方に正面から向き合ったのです。ガンになって、生まれて初めて自分のことを自分で決めた!


中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
中嶋陽子さん 愛称さんちゃん



◆ガンと告げられても、他人事みたいだった◆


小澤
明日(5/21)の「がん治っちゃったよ!全員集合!in北海道」 スタッフとしてお手伝い頂けるようで、ありがとうございます。また、取材に応じてくださり感謝しております。

中嶋さん
私の体験がお役に立つかどうかわかりませんが、よろしくお願いします。

小澤
では早速ですが、ガンの経過をお聞かせください。

中嶋さん
2008年6月、45歳の時に右乳ガンと診断されました。お友達が乳ガンになったこともあって、乳腺外科でしっかり診てもらおうと思いました。マンモグラフィではわからず、エコーで見つかりました。

小澤
マンモでは、わからなかったのですか!? 日本人は高濃度乳房が多いから、エコーを併用した方がよいと言われていますよね。

中嶋さん

ええ、マンモでは真っ白に映っていて、まったくわからなかったです。

小澤
自覚症状は何もなかったのですか?

中嶋さん
ちょっと痛いな、という感じはあったんです。でも以前、乳腺炎になったことがあり、またそれかな?と思っていました。エコーで、「あれっ!?」となり、生検して細胞を調べ、ガンと確定しました。

小澤

ガンと告げられ、どんな心境になりましたか?

中嶋さん
それが、意外と大丈夫だったのです。よくいう、頭が真っ白とか、パニックとか、ならなかったですね。

小澤
冷静だった!?

中嶋さん
というか、その頃、5歳になる子どもに発達障害の疑いがあったので、そちらのほうが私にとって重大事でした。

小澤
自分の事より、お子さんの事が心配だった。

中嶋さん
主人には、子どもの問題は急ぐ必要がないから、まずは自分の事を優先するようにと、言われました。でも私は、子どもの事が気になっちゃって・・・。

今になって思うと、深刻にならず、かえって良かったのかもしれません。なんか、他人事みたいだったんですよね。(笑)

小澤
もしかしたら、お子さんが助けてくれたのかもしれませんね。

中嶋さん
そうかもしれません。結局、その後、子どもの発達障害の疑いはなくなりましたから。

小澤
治療は?

中嶋さん

しっかり者の友人がアドバイスしてくれた病院で、9月3日に手術しました。   

小澤
手術まで、だいぶ時間が空きましたね。その間は、どんなふうに過ごされたのですか?

中嶋さん

知識がないので、放っておいてガンが広がらないかな、と考えることもありましたけど、ほあ~んとしてましたね。(笑) 「あ~、私もついにガンになったか!」 私、その前にいろいろ病気しているんですよ。ストレス性の膵炎、子宮筋腫、産後には椎間板ヘルニアの手術・・・今度は、“病気の最高峰”!って思いました。(笑)

小澤
いろんな病気を経験された事については、中嶋さん自身はどう解釈していたのですか?

中嶋さん
自分にムリを強いてるな、というのは感じていましたが、とくに真剣に向き合うことはしませんでした。だから、〈病気で一休みして、また元に戻る〉を繰り返しました。

小澤

わかっていながらも、頑張り続けたのですね!?

中嶋さん
そろそろ体が悲鳴上げるなっ!というのも、察知できたんです。でも、それ以外のやり方を知らなかった。

小澤
手術後、追加の治療は?

中嶋さん
手術前にリンパ節に腫れが見られたので、温存手術+抗ガン剤+放射線+ホルモン療法の4点セットでした。リンパ節は26個郭清しました。

小澤
フルセットですね。

中嶋さん
抗ガン剤は4クールの予定でしたが、副作用が酷く、3クールで打ち切りになりました。呼吸困難に陥り、体中にケロイド状の発疹が出ました。

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
抗ガン剤治療で発熱、脱毛



小澤
とりあえず、主治医の治療方針どおりに受けられたようですが。ガンの治療に対して、自分なりの考えはお持ちでしたか? 

中嶋さん

自分で調べたりは、あまりしなかったですね。ネット環境も、その頃は十分ではなかったですし。ただ、同じ病室の患者さん全員が転移された方達で、経験者の話をお聞きしたり治療の様子を見ていると、ガンは一筋縄ではいかないというイメージを持ってしまいました。

小澤
すると、治療が進み、否が応でも情報が増えるに従って、不安が芽生え出したのですね。

中嶋さん

いうなれば、真っさらな紙に経験者の言葉が書き込まれたので、それが真実になってしまいました。リンパ浮腫で腕が腫れている方を目の当たりにしたら、自分の腕もリンパ浮腫になりました。(笑) 

小澤
中嶋さんが描かれた絵を見て、イメージ力が豊かな人だと思っていましたが、そんなところにも表れてしまったのですね。(笑)

中嶋さん

イメージの力は侮れません。良くないイメージを埋め込むことの害が、身に染みました。(笑) 実際は、抗ガン剤止めたら腫れた腕は戻りました。

翌年(2009年)の1月に放射線治療が終わり、その後はホルモン剤と定期検診で経過観察となりました。リンパ節をたくさん取ったので、体のバランスが戻るのに半年くらいかかりました。


中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
2009年 抗ガン剤治療が終わり、放射線治療が始まる

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
がん治っちゃったよ!全員集合!in北海道 イメージイラスト「大丈夫だよ」



◆2度目も原発だった!◆

中嶋さん
1度目の治療は、ベルトコンベアに乗って次から次へと作業工程どおりに流れていく感じでしたが、そんななかでも体はメッセージを出していたようです。手術の前日、患部は右だったのに、左の乳房がすごく痛くなって、主治医にエコー検査をお願いしたほどでした。異常はなかったのですが、体から「手術したってしようがないよ(手術だけで解決しないよ、問題の根は別の所にあるよ)」と言われているみたいでした。

小澤
その不思議な予感は、現実となる!?

中嶋さん

2011年の10月、経過観察の定期検診で引っかかりました。

小澤
手術から3年経っています。もう再発や転移の不安も、徐々に薄らいできた頃ではなかったですか?

中嶋さん
いえ、ずっと、「いつか来るんじゃないか。来るんじゃないか」という思いが心のどこかにありました。

小澤

それは、何か根拠があったのですか?

中嶋さん
先ほどお話した、術前に左の乳房に痛みを感じそれが続いていたこと。同じ病室だった方達のイメージが色濃く残ってしまったこと、ですね。ガンに怯えた日常を暮らしていたわけではありませんが、病が終息した晴れ晴れとした感じはなかったです。

小澤

その「来るかもしれない!?」を防ぐため、何か策は講じなかったのですか?

中嶋さん
いえ、ホルモン剤を飲むくらいで・・・それ以外は特にしませんでした。おかしな話なんですが、もうそろそろ見つかるんじゃないかなぁ、と予感というか予測をしていました。

小澤
まるで、見つけてほしかったみたいに聞こえますけど?

中嶋さん
そうなのかもしれません。イメージ通りの左側でしたし・・・。

小澤
ガンと判明した時は、どう思ったのですか?

中嶋さん
「あー、見つかっちゃったな。」です。

小澤
1度目は冷静でも、2度目は、ガーン!!とくる人が多いですけど?

中嶋さん

また原発だったので不思議にそれほどでもなかったんです。

小澤
再発・転移ではなかった!?

中嶋さん
はい、原発なら「また1からスタート」だなと感じました。ただ、最初の治療に心底納得していない気持ちはありました。体の一部分にガンはできたわけですが、ガンができるのは私全体に原因があるからだと思っていました。

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
タイトル「夏至前夜」



◆真剣に自分の人生と対峙する◆

小澤
では、「ガンを摘出して取り除いても、すべてが解決するわけではない」という問題意識を持っていた!? それは、何かで学ばれたのですか?

中嶋さん
とくに学んだわけではないのですが、いろんなものが体の中を隈無く巡っている。だから、悪いとこだけ取ったってダメだ。一度目と同じ事をしても、意味がないと思いました。それで、民間療法的なアプローチをしてみたいと主治医に伝えました。主治医は「そんなもの効くわけないでしょう!あなた、命懸かっているんですよ!初期の段階は、手術が一番です」という反応でした。

小澤
自分なりの対処をしてみようと、主治医に申し出たのですね。でも反対された。

中嶋さん
ええ、それでもやってみたかったので、3ヶ月という期限付きで、民間療法に取り組みました。

小澤
主治医も、3ヶ月なら了承してくれたのですね。どんなことをされたのですか?

中嶋さん

友人の影響もあって、気の流れを良くしようと思いました、気功、レイキ、ドイツの波動療法など、治るイメージを強く持って、みっちりやりました。

小澤
目には見えないアプローチに至ったのですね。3ヶ月やって、どうでしたか?

中嶋さん
画像検査をしたら、広がっていると言われました。一生懸命やったのに成果が得られなかったので、がっかりしました。仕方なく、2度目の手術を受けました。ところが、その手術で全部取り切れなかったのです。

小澤
どんな手術だったのですか?

中嶋さん

部分切除でしたが、術前の予定が変更されてリンパ節も郭清されました。しかも、ガンが残存している・・・リンパ節は左右両方失ってしまったし、ガンは残っているしで、ダブルショック。。。 さらに、再手術(全摘)の必要性を告げられて、もう眠れなくなりました。

小澤
手術したばかりで、再手術!? しかも3度目!? さすがに、ガーン!!ときた?!

中嶋さん
さすがの私も、ついにきました。衝撃が大きかったです。遅いぐらいですけどね。(笑)

小澤
確かに、普通の人より遅い。(笑)

中嶋さん

1度目と比べ、2度目の手術は体へのダメージが大きくヘロヘロでした。それなのに、また手術なの?!

小澤
ガンを摘出する手術とはいえ、体を傷つけるわけだから、修復するのにエネルギーを使います。1度目で、体力の貯金が少なくなっていたのでしょうね。

中嶋さん

今までどこか、他人事、人任せなところがありましたが、このときはさすがに、自分の人生に真剣に向き合いました。

小澤

もう、目を反らしているわけにはいかなくなった!? 

中嶋さん
生きるとは何だろう? 死ぬって何だろう? 毎日毎日、悶々と考え続けました。病気の事、治療の事、今までの人生・・・頭の中でいろんな事が渦のようにぐるぐる廻るので、浮かんだことを次から次へ書き出し整理しました。でも、どうしていいかわからなくて、すごく苦しかったです。

小澤
自分の奥底に封印している事や、目を背けてきた事に向き合うのは、苦しい作業でもありますよね。

中嶋さん
そうですね、今まで自分のことを自分で決めてこなかったんですね。だから、選択に迷う苦しさではなく、「自分で決める」という行為そのものが苦しかった。

小澤
それは、どうしてでしょう?

中嶋さん

自分に自信がなかったのだと思います。自分の価値が低かったので、周りに同調するのが習慣になっていた。

小澤
その生き方は、どんなふうに身に付いたのですか?

中嶋さん
14歳の時に母が倒れ、2年後に他界しました。私は3人姉妹の末っ子でしたが、姉2人はすでに別の所で暮らしていましたから、末っ子気質だった私がまさかの看病や家事をしました。自分で勝手に「女の子だから、やらなければならない!」と、思い込んでいました。

小澤
学校と家事と大変でしたね。そして、自分のことより周りを優先せざるを得ない環境で、自分を後回しにするのが日常的になった。

中嶋さん

自分のキャパシティを大幅に超える生活なのに、精神を鼓舞して引き受けていました。そんなに器用な方じゃないんですけどね。(笑)

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
中嶋さんと怪しい編集長(笑) 札幌赤レンガテラスのお店で



◆私が《0(ゼロ)》になった日◆

小澤
3度目の手術は、どうなりましたか?

中嶋さん
手術日は決まっていたのですが、体は嫌がってました。「こんなこと、いつまでやるの?!」 体が訴えているのが、わかりました。

小澤
自分の体が発するメッセージに、耳を傾けた。

中嶋さん

意識で考える事と無意識から湧き上がる感覚で、眠れない日々が続き、気がつくと入院前日でした。早朝、新鮮な空気を吸おうと、河川敷に行きました。そこで、山の稜線から太陽が昇り、朝陽が辺りを照らし出しました。なんともきれいな光景で、空気がピーンと張りつめていた。その瞬間、何かに突き動かされたように、「こんなんじゃダメだ!!」と決心した。

小澤
決心?!

中嶋さん
家に帰って9時前に、入院病棟に電話を入れました。そして、手術をキャンセルすることを伝えました。

小澤
初めて、自分のことを自分で決めた!ということですか?

中嶋さん
この日が、私の大きな転換点になりました。2012年3月2日・・・私が生まれ変わった(Reborn)の日です。

小澤
蛹から羽化したようですね。

中嶋さん
断りの電話を終えた後が、凄かったんです。次から次へ、止めどもなく、言葉が湧き溢れてきました。夕方4時まで、延々、書き連ねました。

・結果に影響を与えるのは、それを選んだ理由にある!(手術をドタキャンした理由は何だろう?)

・常識から決別しなさい!
・優等生はやめなさい!
・周りの(人の)意思から決別しなさい!
・自分の感覚を尊重しなさい!

・今までと同じように暮らしていてはダメだ!
・劇的に生活を変える必要がある!(住まいを変える、もっと自然のある所へ)

・孤独を恐れるな!
・自分を信じて進め!
・変化を恐れるな!
・自分の事は自分で決めて、それの責任を負いなさい!
・笑う!

主人にキャンセルしたことを伝えたのは、書き出しが終わってからでした。「えーっ!!」って、驚いていました。(笑)

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
タイトル「湧き立つ」


小澤
封じ込めていた宝の言葉が、溢れ出てきたのかな。

中嶋さん
私が「0(ゼロ)」になったとき応援のように溢れ出てきた沢山の言葉でした。今でも宝物として、心がグラついたときに、見直しています。

小澤
その体験を機に、どんな行動をしたのですか?

中嶋さん
腹を括って、主治医にデータをもらい、4ヶ所でセカンドオピニオンを伺いました。免疫療法を含んだ2つの大学病院、専門外科、統合医療クリニックです。

小澤
どういう道を選ばれたのですか?

中嶋さん

専門外科で手術してもらうことにしました。手術経験が豊富で、腕も確かです。加えて、私が手術をキャンセルした理由にも理解を示してくれました。患者心理も汲み取ってくれるお医者さん、という印象を持ちました。

手術したくない本心がありましたが、この当時の私としては、これが精一杯の決断でした。周りの人たちを説得するまでの、確信と度量はなかったのです。

小澤
でも、言われるままに手術を受けるのと、自分で決めて受けるのでは、大きな違いがあると思います。

中嶋さん
はい、手術は、2012年5月。スッキリした気持ちで受けることができました。全摘にもかかわらず、体は楽でした。

小澤
悩みや、不安、疑念を抱えながらやるのと、安心立命でやるのでは、予後にも差が出るのでしょうね。

中嶋さん

術後のフォローは、抗ガン剤+ホルモン治療を勧められました。経口薬の抗ガン剤なら、服薬を自分でコントロールできると考え、ホルモン剤と併用しましたが、必要ないと感じ2ヶ月で主治医に中止を申し出ました。

小澤
その後は、何か心がけたことはあるのですか?

中嶋さん
地域のフリーペーパーに載っていたのが目に留まって、笑いヨガの体験会に参加しました。笑ってみて、すごい爽快感でした。(笑) ただ笑うだけでなく、ヨガを通して自分の心と向き合う機会にもなりました。

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
笑いヨガクラブにて


小澤
中嶋さんが言う、「自分が0(ゼロ)になった時点」の前後で、何がいちばん変わりましたか?

中嶋さん
「変でいいんだ!!」 です。私の親は教員で、真面目で常識的であることを信条とする家庭でした。

小澤
真面目や常識的が悪いのではないが、その基準が外・・・社会や他者・・・にあると、自分を抑制し後回しになってしまいがちですよね。

中嶋さん

笑いヨガに行くと、みんな「変」なんですよね。(笑) やっていることは変なんだけど、変って感じない。むしろ、もの凄く楽しい。(笑)

笑いヨガを始めてから友人の勧めもあり、絵を描き始めたのですが、自分が描いた絵を見ると「私は常識的な人ではなかったのかもしれない」と感じます。内面は独特なものを持っていたんだな、常識の枠の中にいた時は「変」だった事が、じつは自分にとって一番大切で素敵なものだったのだと。

小澤
「変でいいんだ!!」=「主体は自分でいいんだ!!」ということなのですね。

中嶋さん
3度も手術してね。時間かかりましたけど、それがわかりました。(笑)



【編集長感想】

お名前のとおり、お陽様のような笑顔が印象的な中嶋陽子さん。私が講演で使用させて頂いている、「あなたがニコニコなら、細胞もニコニコ!!」の作者です。

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
あなたがニコニコなら

中嶋陽子さん 2度の原発乳ガン 3度の手術
細胞もニコニコ!!


世の中には、いろんな病名があります。しかも、病名は増えつつあります。でも、真の病名は「本当のあなたを生きていない病」だったりしてね。けっこう多くのケースが、この病名に当てはまるかも。(笑)









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