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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

近藤洋子さん 膵臓ガン(2年生存率5%)から10年

魔法のノートを書き続けて10年!
いずみの会(名古屋市名東区)定例講演会(2019年6月1日)+追加取材(同年7月1日)

近藤洋子さん 膵臓ガン(2年生存率5%)から10年
おおらかでパワフルに語る近藤洋子さん



◆もし膵臓ガンなら、2年?・・・いや半年?・・・◆


みなさん、こんにちは! 膵臓ガンの近藤でございます!(笑) 膵臓がんだった、です。長久手市から来ました。鍼灸師の主人と二人で暮らしています。私が今日、此処に立っているのは、本当に奇跡のようです。

いずみの会さんとのご縁は、5年前になります。会の紹介文が「どんな厳しい状況のなかでも、生きる力が泉のように湧き上がる」 この命名、素晴らしいと思いました。この会のご依頼ならばと、体験発表をお引き受けしました。そして今日は、私の10周年記念ということで(笑)・・・またまたこういう機会を与えて頂き、感謝しています。

10年前、ガンは3人に1人の病気でした。それが今や、2人に1人がガンの時代になってしまいました。実はガンになる前、私はある本と出会っていました。『免疫学問答』(安保徹 無能唱元 河出書房新社 河出文庫) 帯に「命を落とす人、拾う人の差は・・・」という記述があり、これが私の頭にインプットされていました。過剰な3大治療、対症療法で症状を押さえ込むだけでは、根本的な解決にはならないことが書かれています。発病前にこの本を手にしていたことは、私の予後に大きく影響したのは間違いないと思います。

元気だけが取り柄の私が、2008年の秋から何かわからないが体調が悪い。翌2009年3月に近所の市民病院に行って、MRI検査の予約を取りました。しかし検査日は2週間先。とてもじゃないがこの体調で2週間はつらいなと思い、とりあえず救急外来で点滴をしてもらうことになりました。点滴を打ち出したら、ドクターに「今日は帰れませんよ」と言われました。私は点滴が済んだら、妹に迎えに来てもらって、さっさと帰るつもりでした。どうやら採血した血液の状態が非常に悪く、即入院という判断でした。無論、何の用意もしていませんでしたが、そのまま3日間病床で安静を強いられました。

自分でも、もうびっくりです。怪我以外、病院のお世話になったことがない私が絶飲食。ドクターが口にするニュアンスからは、どうも膵臓に疑いを持っている様子・・・もし膵臓ガンなら2年?・・・いや半年?・・・頭に余命が浮かびます。結局、膵臓ガンと確定診断され、1ヶ月後の手術が決まりました。(*手術前に、ご家族同席で病状や手術について主治医から説明がありましたが、近藤さんは頭に入らなかったそうです。術後2週間ほど経ってから主治医に尋ねたところ「ステージ4」と告げられ、さすがにがっくりしたそうです)


◆「食べたい物リスト」◆

手術までの入院中に、書き記していたものがあります。両親への手紙とかではなくて、実は「(退院したら)食べたい物リスト」なるものを書いていました。(笑) 食べたい物を全部書き出しました。手術当日、そのリストをベッドの横の引き出しにしまって、手術室に向かいました。自分は死ぬとも思っていませんし、上手くいくだろうなくらいの気持ちで臨みました。術式は「膵頭十二指腸切除術」で胃の一部、十二指腸、胆のう、膵臓の膵頭部をごっそり取りました。所要時間は6時間ほどかかりました。(*膵管に4cm×4cmの腫瘍が2つ団子状にあり、ほぼ膵管全体を塞いでいた)

手術が終わるまで待機してくれると思っていた母が「仕事に行ってくるねぇ」と、手術室の手前で帰っていきました。妹は待っていてくれたのですが、その母の振る舞いでかえって肩の力が抜けました。麻酔が切れて意識が戻りつつあるなか、手を振って私の様子を伺っている妹を目が捉え、「ああ、手術は無事成功したのだ」 まだ朦朧とするなか安堵したことを覚えています。

入院中のことを振り返りますと、とにかく楽しみました。(笑) それまで一生懸命働いてきて、ゆっくりする時間はありませんでした。病院から眺める夜景がすごくきれいだった。宝石箱をひっくり返したみたいにキラキラしていて、毎夜見ていました。仕事をしているときは、そんな余裕はなかった。入院中のように朝6時半に起きて、9時には寝る。そんな生活は無縁だったので、こういう時間っていいな・・・新鮮な喜びでした。

都合2ヶ月の入院を終えて退院しました。退院当日は甥の誕生日。私の退院祝いも兼ねて、家族でお寿司屋さんに行きました。もう2皿食べるのがやっとでした。

それでも、手術前に書いた「食べたい物リスト」を実行に移します。(笑) 大好きなお友達と、週5回ランチタイムを楽しむ! まだ十分回復していなかったので1人前食べられないはずなのに、食べちゃってました。そんなペースですから、リストアップしていたお店を制覇しちゃって、新たにお店を追加する始末でした。(笑) ほんと楽しかった。


◆魔法のノート◆

退院してからです。膵臓ガンってどんなものなんだろうと、調べ出しました。本屋さんで、膵臓ガンについて書かれている書籍を手にしてみると、びっくりする情報が載っています。私が受けた手術後の2年生存率が、5%くらいしかありませんでした。「う~ん、5%か・・・」 

主治医からは退院後の治療として、「近藤さんは若いから、抗ガン剤と放射線を絶対やったほうがいい」と、さも当たり前のように勧められました。私としては、手術はしょうがないにしても、その二つはやりたくない。主治医には正直に受けたくない旨を伝えました。「どうせ2年の命なら、副作用でつらい思い(吐き気)をするよりは、美味しいものを食べたい」と断りました。でも主治医は頑として受付けません。「いや、絶対死んじゃうから治療を受けなさい」 真剣に言うのです。私は、死ぬかもしれないけど、それより楽しいランチを優先したい。つごう4回面談して、最後は泣きながらの訴えを聞き入れてもらいました。でも診察の度に、「先生のおかげです。どうもありがとうございます」と感謝の気持ちを口にしました。そうすると、主治医は何も言いません。(笑)

退院後、DeAGOSTINI(デアゴスティーニ)を始めました。模型の組み立てや小物、コレクション付きの定期購読です。私は2年にこだわって、生きてそれを毎号本屋さんで受け取ることを決め、契約しました。

当時、学んでいた本をもう一冊ご紹介します。『ザ・シークレット』(ロンダ・バーン 角川書店) この本には、健康、富、幸せは“引き寄せる”と書いてありました。私は病気になる前、とにかくお金を引き寄せようと思っていました。もうお金が全てでした。(笑) ガンになって、引き寄せる優先順位がお金じゃなく健康に変わりました。健康を引き寄せるためにどうしたかというと、「魔法のノート」を作りました。

魔法のノートの1頁目には、こう書きました。「愛する人たちと一緒にいるとき幸せを感じる。家族の完璧な健康。いちばん大切なのは健康だ!」 そしてファミリーの写真を貼りました。退院後、これを毎日見ていました。

次の頁には、「素敵な人生のパートナーを得る。結婚」 40歳超えていましたが独身だったので、結婚したかった。どうして結婚の事を書いたか? 実は、退院後にお葬式リストを作っていました。私が死んだ時に連絡して欲しい人の名簿、葬儀参列者リストです。ひとり一人そのお名前を書いていたら、無性に悔しい思いが込み上げてきて・・・お葬式の前に結婚式がしたい! 結婚生活より“結婚式”に対する強い憧れが湧いたのです。(笑)

近藤洋子さん 膵臓ガン(2年生存率5%)から10年
「魔法のノート」2頁目


書いた途端にお見合いの話が来まして、3回ほどお見合いをしました。3回目の相手が、今の主人です。出会った日に、「どんな本をお読みになるのですか?」と尋ねたら、「ザ・シークレット」と言われるので盛り上がっちゃいました。(笑) 膵臓ガンのことを打ち明けたら、「大丈夫です」と言ってくれました。その時、私が46歳、主人が49歳。この二人が初婚で結婚する確率は1%だそうです。ここでまた奇跡が起きました。(笑) 出会ってから88日目で、ワクワクドキドキ念願の結婚式を挙げました。

魔法のノートには、いっぱい書き込み(発注)しました。それを一つ一つ受け取って(叶えて)、受け取ったら感謝の「ありがとう」を書き加えます。現在では4冊目に入っています。結婚後、鍼灸師の主人が私の体調ケアをしてくれたこともあり、私はどんどん元気になっていきます。自分で自分を治す力がアップしたのだと思います。ガンになったら、ガンになる前の生活を変えるのだ!とよく耳にします。私は、仕事、住まい、環境、そして名前まで変えました。(笑)


◆今日は残りの人生の最初の一日である◆

結婚生活の8年では、主人の愛という処方箋が免疫を上げてくれたと思っています。それと使う言葉を意識しました。「病気(を治す、ならないようにする)」という言葉は使わず、「完璧な健康になろうね」とか、「戦争を止めて。喧嘩を止めて」ではなく、「平和になろうね。仲良くしようね」という具合に変換しました。あとは笑うこと。笑わなくても、口角を上げるだけで脳は“笑ってる”と認識します。だから、作り笑いでもいいのですね。きっと幸せホルモンも分泌されるし、免疫細胞もよく働いてくれると思います。

健康な人でも持っているといわれるガン細胞。それが増えて「癌」になる人、ならない人、治る人、治らない人、亡くなる人・・・10年経って思うのは、心の持ち方のバランスが大切だなということです。

いま魔法のノートに発注しているのは、「金婚式」です。(笑)


私が10年後の今、こうしていられる理由をまとめてみます。

①ガンになる前に安保先生の本で情報を得ていた。

②魔法のノートに具体的な生きる目的を書き(発注し)実行(受け取った)した。

③元気に楽しく食べるため、抗ガン剤治療、放射線治療をしなかった。
(これは私の場合なので、治療を受ける、受けないはそれぞれ皆さん個人の判断です)

④お葬式リストを結婚式リストへと発想の転換ができた。

⑤環境を変えた。仕事、住まいなど、病気になる環境から健康になる環境に変えた。

⑥主人の鍼灸治療を受けた。病院は5年で卒業。結婚以降は主人の愛情と鍼灸で体調ケア。

⑦サプリメント利用。

⑧幸せと感じる。ガンにならなかったら、引き続き死に物狂いで働き、こんな幸せを感じることはなかったと思います。膵臓ガンに感謝です。


いいことも、悪いことも、すべて私が思ったとおりの人生なのだと、つくづく思います。皆さんは、自分の人生の主演女優であり主演男優なのです。「今日は残りの人生の最初の一日である」 私はこの言葉を聞いたときに、誰にでも寿命はあるが、それがどのくらいかなんてわからないと思いました。ですから皆さん、朝、目が覚めたら、今日も残りの人生の一日をワクワクして過ごしましょう!



【追加取材 2019年7月1日】
愛知県長久手市の近藤健康治療院にて

近藤洋子さん 膵臓ガン(2年生存率5%)から10年
鍼灸師のご主人が施術をされています



◆まず2年、生きて受け取る◆


小澤
6月のいずみの会定例会では体験談を語っていただき、ありがとうございました。今日は追加でお聞きしたいことがあり、お伺いしました。

近藤さん
いえいえ、5年前に続いてお声掛けいただき、こちらこそありがとうございました。

小澤
お聞きしたいことの一つは、通常、膵臓ガンとなると食べる事が不自由というか苦労します。ところが、近藤さんは「食べたい物リスト」を作られた。

近藤さん
私が安保先生の本から読み取ったのは、「ガンを怖れることはない」ということでした。加えて、当時仕事として携わっていたサプリメントや経皮毒を排除した安全な日用品を使っていれば大丈夫!という感覚を持っていました。ですから、食事に関してはノーマークでした。(笑)

小澤
実際、食事に気をつけていてもガンになっている人はいますけどね。

近藤さん
私の場合は、美味しいものを食べずに死ぬのはイヤだっただけです。「食べたい物リスト」を書いたのは、とにかく生きてこれだけ食べたいという、ただ自分がやりたいことだったのです。

小澤
食べることが生きることだった!?

近藤さん
そのとおりです。「食べる=生きる」です。手術の前日に見舞いに来てくれた家族を見送りに病室から出ていたら、主治医にバッタリ会いました。主治医は、「明日手術だから早く寝なさい」と声を掛けてくれました。私が、「いや、今、家族と鰻でも食べに行こうかと話してたんです」と言うと、主治医に「もうあなたは、鰻は食べれません」 バッサリ返されました。(笑)

小澤
鰻を消化する能力がなくなるよ、ということなのでしょうね。

近藤さん
私、その時も、今でも、主治医がなぜ鰻は食べられないと言ったのか理解してなくて。(笑) 退院して2~3ヶ月後から、友達と「食べたい物リスト」を片っ端からクリアしていきました。外部理論で、体にいい、悪いではなく、「私がやりたいことやるぞ!」というのが行動の基準でしたね。しかもランチなので、手軽にできます。

2年生存率が5%でしたから、身近な夢をいくつも描いて叶え続けることにしたのです。

小澤
それで、DeAGOSTINI(デアゴスティーニ)!?

近藤さん
F1レースが大好きで、シューマッハを応援していたので、フェラーリの模型を契約しました。本当は、生でフェラーリをモナコグランプリで観戦したかったのですが、1/10モデルの部品を2年間生きて受け取ることで、ワクワクすることにしました。

「どうせ死ぬならやめよう」ではなくて、「どうせ死ぬなら、生きている間は受け取ろう」にしました。


◆ガンになる前と後で何が変わった?◆

小澤
6月の講演では、ガンになる前は「一生懸命働いて、ゆっくりする時間はなかった」「とにかくお金を引き寄せようと思っていた」と仰っていました。

近藤さん
ガンになる前は若かったこともあって、体には自信があり無理も効いていた。私にとって、“健康”は当たり前のことでした。頑張ればなんとかなる! (仕事を)やればやるだけ、お金は増えていく。普通の生活ができるレベルより上の、リッチ(富裕)を目指していました。だから、どんなにハードでも苦になりませんでした。

小澤
リッチを目指していた理由は何ですか?

近藤さん
子どもの頃から貧しくて、欲しいものが買えなかったからです。実家は4人姉妹の家庭でしたが、両親はかなり苦労して私たちを育ててくれました。欲しいと思っても買ってもらう余裕はなかったので、みんな我慢しました。その分、ハングリー精神が培われたと思います。貧乏から抜け出したかった。

小澤
その体験が、猛烈に働くエネルギー源になったのですね。

近藤さん
でも結局、寝る間も惜しんで自分の体に鞭打ちながら働けば、体を壊しますよね。がんになる直前に勤めた会社に入社した際、業務を引き継いだ前任者に、「私、病気になって退職するから、さっさと仕事を覚えてね。私、早く辞めないと死んじゃうから」と言われました。

小澤
うわっ! そんな引き継ぎだったのですか!? その刷り込み、イヤですね。

近藤さん
私は大丈夫と高をくくっていましたが、雰囲気の悪い会社で、挙げ句、このままその会社にいたらマズイ・・・辞めるためにガンになったのかなと、今になって思います。価値観の優先順位も、お金より健康、家族の幸せのほうが上位になりました。

小澤
ガンを経験して、近藤さんは仕事、住まい、環境、名前、価値観が変わったわけですが、生き方にも影響はありましたか?

近藤さん
近藤家とゆかりがあり、いずみの会との縁を繋いでくださった樋田先生(医師)から、『生命の医学大事典』という本を紹介されました。この中に「膵臓」の項目があり、こんなことが記述されているのです。「胃の後ろに隠れている膵臓は二番手として消化を助ける臓器である」 つまり、陰ながら支える役目なのに出しゃばって前に出ると、膵臓に病が生じる。これを読んで納得しました。(笑)

近藤洋子さん 膵臓ガン(2年生存率5%)から10年
臓器や疾患の特徴が通常の医学と異なる視点で記されています


小澤

思い当たる節があったのですね。(笑)

近藤さん
仕事でも、上司や先輩を立てることなく、差し置いて前に出ていたなぁ・・・。生意気だったかもしれません。

小澤
その行動パターンは何から出来上がったのでしょうか?

近藤さん
「長女だから」ですね。4人姉妹の長女なので、私がやらなきゃ!私がやらなきゃ!が身に染みついたのだと思います。妹たちは嫁いで家を出ましたから、私が両親の面倒をみるんだという責任感もありました。

結婚してからは、この治療院では先生(主人)を後ろで支える立場。でも家に帰れば、私が偉いわよ、になっちゃってるかもしれませんが。(笑)

ほんとに、病気になって、生き方もゆっくり見直すことができました。毎日がとっても幸せで、感謝、ありがとう、と思えることばかりです。

小澤
今日は、ご協力ありがとうございました。


近藤洋子さん 膵臓ガン(2年生存率5%)から10年
仲睦まじいお二人



◆ガン患者会 NPO法人いずみの会(名古屋市)の公式サイトはこちら!



【編集長感想】

近藤さんは、貧乏生活を不幸とは思っていなかったそうです。一杯の掛け蕎麦を家族で分け合った話のようであったが、それはそれで楽しかったと語ってくださいました。

もし、近藤さんが貧乏生活を嫌い、恥と感じ、そこから逃れよう、それを隠そうという意識でがむしゃらになっていたとしたら、そしてその意識が払拭されず残っていたら、また異なる予後になっていたのではないかと想像します。

近藤さんは、貧乏でも幸せだったという背景があり、価値の優先順位をお金から家族の幸せ、健康に入れ替えた。だから、魔法(のノート)が効いたのだと思いました。









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