三好さんは、昨年(2015年)6月に32歳という若さでガンに罹り、今も抗ガン剤治療中です。ガンの辞典として、発病からまだ1年の患者さんへの取材は稀です。しかし、若い世代の患者さんがガンという病気と、どう向き合っているのか? 現在進行形の三好さんに、胸中を語っていただきました。

三好亜紀さん(右)と取材の場を提供してくださった医療美容サロンRIPS(神戸市垂水区)の岡田恵美さん(左)
◆まさか、この若さで・・・◆
小澤
お暑い中、ご足労いただきありがとうございます。今日は、宜しくお願い致します。
三好さん
こちらこそ、宜しくお願いします。
小澤
早速ですが、発病からの経過をお聞かせください。
三好さん
去年(2015年)の6月上旬頃から、便通が悪くなりました。下痢と便秘を繰り返す。それまではずっと快便だったので、おかしいなと思い、開業医を受診しました。
小澤
まずは、身近なお医者さんに行かれた。
三好さん
腸が動きが悪く、過敏性腸症候群と診断され、薬を処方されました。でもその内科の医師は、呼吸器が専門だったのです。
小澤
開業医のドクターも、元々の専門がありますからね。内科といっても、循環器、呼吸器、消化器・・・いろいろある。
三好さん
私、病院とは無縁だったので、内科にそんな専門があるなんて知らなかったのです。それで、その開業医の先生に、「その薬が効かなかったら、消化器科に行きなさい」と言われました。
小澤
当然ながら、症状は改善しなかった?!
三好さん
はい。それで、評判の良い消化器内科に行きました。ところが、血液検査しても異常が認められない。でも私としては、腑に落ちない。腸の何かがおかしい、という感覚を払拭できなかった。それで再度受診したら、漢方薬が処方されました。でも、症状は治まらない。
小澤
医師の診断より、ご自身の身体感覚を優先させて行動したのですね。
三好さん
粘って、4回目の受診でやっと内視鏡検査をすることになりました。
小澤
内視鏡検査まで、時間がかかりましたね。
三好さん
年齢的に、ガンを想定しなかったみたいです。検査の結果、ポリープが2つ見つかり、主治医は「凹みが深い」「顔つきが悪い」と言っていました。これなら、出血もするだろうとも・・・。実際、血便が出ていました。
小澤
病理検査の結果は?
三好さん
1週間後、診察室に入るやいなや、「いい結果ちゃうで!」と、病院のリストを提示されました。「どこ行く? いちばんは明石のがんセンターや」と言われ、「がんセンター!? 私、何ですか?」と聞き返しました。
小澤
はっきりした病名を告げられず、いきなり病院リストですか!?
三好さん
「ガン」という言葉を聞いた途端、感情はフリーズしたまま、心の奥底から涙がバァーと流れ出してきました。
小澤
その瞬間は、何が何だか理解できないまま、涙だけが溢れてきた!?
三好さん
とりあえず過去に入院したことのある市民病院を選んで、待合室で紹介状を書いてくださるのを待ちました。悲しいという感情のないまま、ただ止まらぬ嗚咽をトイレで堪え、浮かんだのは「何で私が・・・?」でした。
小澤
その反応の根源となるのは、やはりガンに対するイメージでしょうか?
三好さん
自分の症状を調べてもガンは当てはまらなかったし、家族にもガンの経験者はいない・・・ですから、ガンは想定外でした。ただ、「ガン=死」というイメージは持っていました。死因として、もっとも世間で耳にするのは「ガン」でしたから。
◆病状を知って、すぐさま身辺整理をした!◆
小澤
見つかったガンの詳しい診断は、どのようでしたか?
三好さん
ガン細胞のレベルがグレード5で性質が悪い、と聞かされました。細胞のレベルと言われても、よく理解できなかったですけど・・・。
小澤
思いもよらなかったガンという病名を告げられ、気が動転しているところで、その説明されても頭に入ってこないよね。
三好さん
とりあえず診察室を出て、家に帰りました。電話で親に報告したら泣いてしまうだろうと思って、帰るまで我慢しました。家に着いて母に、ガンだったことを話した途端に、また涙が堰を切ったように出ました。
小澤
それから、市民病院に行かれた。
三好さん
市民病院では、あらためて内視鏡と、CTなど転移も想定した詳しい検査をすることになりました。市民病院では、腹腔鏡手術ができるので、まあそれで取れば終わり、みたいな雰囲気でした。入院や手術日も段取りし、さあ入院となった当日、転移が判明しました。
小澤
あら、どこにあったのですか?
三好さん
リンパ3箇所。もっとも離れた箇所が、鎖骨のところでした。腹腔鏡で取ったら治ると思っていましたから、転移があると聞いてまた涙がこぼれました。
それで治療方針が変わって、すぐ抗ガン剤治療(XELOX療法)の説明をされました。しかも、XELOXが効かなかった場合の次の抗ガン剤治療のために、ポートを造設しましょうということが加えられました。
小澤
あれよ、あれよ、と話が進んで付いていくのが大変だ!
三好さん
ネットなどでは、抗ガン剤に対して否定的なコメントも多いので、主治医に「抗ガン剤をしなかったら、どうなりますか?」と質問したところ、「しなければ、半年から1年の命です」と断言されました。
小澤
けっこう、はっきり言われちゃいましたね。
三好さん
それを聞いて、帰ってから早速、身辺整理に取り掛かりました。
小澤
早いなっ!?
三好さん
死んでも家族に迷惑がかからないように、きれいさっぱり売り払いました。(笑)
小澤
身辺整理するってことは、死を覚悟したということでしょうが、死ぬことに対して抵抗はなかった?
三好さん
覚悟できました。受け入れることはできました。1年後、私はもう存在しないかもしれない。ならば、身のまわりを整理して、普通に生きとこう!と思いました。
小澤
抗ガン剤治療をしなかったらという条件付きながら、余命を告げられたにもかかわらず、ひどく落ち込んだり、パニックにならなかったのですね。その冷静さは、どこからきているのですか?
三好さん
う~ん、なぜか、告げられた余命より長く生きてやろう!とは思いませんでしたね。といって、絶望したわけでもない。
ひとつには身近に(比較的若くして)ガンで亡くなった人がいないことで、へんに深刻にならずにすんだのかもしれません。私の友達うちでも、私がガンの第一号。とにかく家族にも友達にも、自分がガンになったことはカミングアウトしました。話を聞いてもらいながら、ひとしきり泣き切ったら、翌日は切り替えて生きることに決めたんです。
それと、私、かねてから老婆になる前に、50歳くらいで死んでもいいと思ってたんです。(笑)
小澤
今どき、50歳で老婆はないですよ。(笑)
◆縛られた家業の喫茶店が、今後の生きがいになる予感!?◆
小澤
さて、抗ガン剤治療はどうなりました?
三好さん
ポートを入れる云々の話について、兄たちが内視鏡検査をしてもらった診療所に相談に行ってくれました。それで、大学病院に移ったほうがよいという話になりました。
小澤
大学病院でセカンドオピニオン、取られたのですか?
三好さん
いえ、セカンドオピニオン取って選択に迷いが出ると嫌なので、いきなり大学病院に移ることにしました。市民病院の主治医はこちらの意向に理解を示してくださって、快く検査データをすべて渡してくださいました。
小澤
スムーズに転院できたのですね。
三好さん
11月に大学病院を受診しましたが、追加の検査をすることもなく抗ガン剤治療(XELOX療法)を開始しました。この時は、ポートは造りませんでした。
小澤
抗ガン剤治療の経過は、どうですか?
三好さん
はじめ副作用はひどかったです。投与した日は、歩けない、吐き気、だるさ・・・家のベッドから起き上がるのもたいへんで、ベッドからトイレに行くのがやっとの状態。点滴を入れる腕は、しびれを通り越して痛くなりました。食べれないから、体重も落ちました。ホント、つらかった。
4クール終了後、ポートを造設して局所投与になりました。また、6クール目からXELOX療法に使う抗ガン剤の一つ、オキサリプラチンが無くなりました。それによって、副作用が大幅に減りました。現在も、抗ガン剤治療を続けています。先週で12回目の治療でした。
小澤
ずっと抗ガン剤治療は継続しているのですね? ガンは変化していますか?
三好さん
今月初めにもCTを撮りまして、ガンは転移部も含め見た目にはわからないくらい、縮小しています。6クール目くらいからは、「私、生きちゃうわ!?」って思うようになりました。(笑)
小澤
身辺整理であれこれ処分したこと、後悔されました?(笑)
三好さん
もったいなかったですけど、第二の人生の始まりです。(笑) いずれにしても、ガンになったことで、「前の生き方はやめよう!」と思うようになりました。
小澤
ガンになる前の生き方って、どんな生き方ですか?
三好さん
人に気を使い、自分の気持ちを封じ込め、自分を後回しにする・・・そんな生き方でした。すごく、周囲を気にして生きていたんです。人からどう見られるか・・・
服装ひとつとっても、「変わってる」って思われたくなくて、いつも無難な装いでした。
小澤
そういう生き方で、自分のしたい事を犠牲にしてしまったことなど、ありましたか?
三好さん
あります。ゆくゆくは、家業の喫茶店を継ぐ路線が決まっていました。その家業の都合で、自分が望んでいたわけではないパート仕事などをしていました。
小澤
ご両親から、継いでほしいと言われたのですか?
三好さん
押し付けるようなことはなかったのですが、自宅兼喫茶店になっていたので、誰もやらずに放置しておくのはもったいないという雰囲気になって・・・
いつしか、できれば店を続けてほしいという親の望みを叶えるのは私だ!と思うようになっていました。
小澤
自分の気持ちより、人の目や気持ちを優先しているという自覚はあったのですか?
三好さん
自覚していましたが、それを口に出したくはなかったですね。親や人のせいにしているみたいで、嫌だった。でもガンになって、スーパーの仕事を辞めることにしました。家族には反対されるだろうと思っていたのですが、3人の兄は「好きなようにしたらいい」って言ってくれた。
ガンになって最も変わったのは、家族の関係性です。別に険悪な状態ではなかったのですが、私自身が家族にすごく気を遣って苦痛に感じていました。訳もなく怒られたり、家の鍵を締められたり、干渉されている・・・そんなふうに感じていたんです。だから、兄たちとはあまり口も利かず、私のほうから避けていました。今は、以前より話すようになったし、一緒に食事に出かけることもあります。
自分の気持ちに、素直に行動できるようになってきたかな。(笑)
小澤
心の部分が変わってきましたね。体のために気をつけていることは、ありますか?
三好さん
夜遊びは止めました。(笑) ちゃんと、睡眠を取るようにしました。実は、ガンになるまで4つ仕事してたんです。家に居てちょっと休んでいると、「何もせえへん!?」って言われるんです。両親が自営だった影響か、“休むことは罪悪”という風潮が家庭にありました。なので、家に居たくなかったし、仕事と言っておけば外出もしやすかった。で、昼間はしっかり働いて、夜は遊ぶ時間に充てていました。(笑)
小澤
う~ん、じゃ、常に自分に鞭打ってるようなところはありましたか?
三好さん
そうですね。常に何かに追い立てられているような感覚はありました。
小澤
最後に、ガンを経験されて、今後こんなことがしたいというプランがありましたら、お聞かせください。
三好さん
まだガン体験1年ですが、自分の経験を人が喜ぶことに活かせたらいいなと思っています。私の存在で、人が元気になってくれれば嬉しい。食にも関心が高いので、そちらも活かしていきたいと思います。
小澤
ちょうど、場はあるもんね!? 家業の喫茶店!
三好さん
ええ、そうなんですよ。リニューアルオープンしたら、お知らせしますね。
【編集長感想】
思春期・若年成人(Adolescent and Young Adult, AYA)のガン患者さんについての報道が増えています。小児でもなく、中年期以降でもない若者のガン。
学業、進学、就職、恋愛、結婚、出産・・・将来を夢見る世代のガンに、どう取り組んでいくか? 一概に答えは見つからないでしょうが、今回はAYA世代の代表として、三好亜紀さんに語ってもらいました。
待ち合わせ場所に現れた三好さんを見て、発病から数年経っているサバイバーさんかと見間違えました。それほど元気で、お顔色も良く、とても抗ガン剤治療中とは思えませんでした。
三好さんの「第二の人生」、応援しています!!
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