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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

山田智子さん 子宮頸ガン ステージ3b

5年経過して、ガンになったことで気づけたことがあったなと思えるようになりました!
2019年10月 いずみの会「おしゃべりサロン」にて

山田智子さん 子宮頸ガン ステージ3b
山田智子さんをお迎えして、いずみの会事務所での体験談&おしゃべりサロン



◆治療に迷いはなかった◆

山田と申します。あまり話すのは得意ではないのですが、宜しくお願いします。

2014年4月、47歳の誕生日目前に子宮頸ガン ステージ3bと診断されました。腫瘍の大きさは5cm、リンパ節転移もあり、手術ができない状態でした。治療は同時化学放射線療法で、外照射28回、ラルス(腔内照射)3回、抗ガン剤治療を3クール、フルにやりました。

実は、前年の夏から体の不調がありました。その時点で、病院を受診して検査しましたが異常は見つからず、更年期だろうということで終わりました。3~4ヶ月後、調子が悪ければまた来院してくださいとのことでしたが、仕事の忙しさもあって半年そのままにしていました。いよいよ体調が悪くなり、別の医療機関で診てもらったところ、ガンが判明しました。

街のレディースクリニックでしたが、大きな病院を退官されたと思われる、おじいちゃん先生という感じの年配のドクターに見つけてもらい、ガンと告げられました。その瞬間がいちばん辛かったですね。号泣しました。「どうなっちゃうんでしょうか?死んじゃうんでしょうか?治るんでしょうか?」と泣きながら尋ねたら、老ドクターはとても強い眼差しで「絶対治るから大丈夫!」と言ってくれました。後から思えば、そんな言葉は立場上なかなか言い切れないはずなのですが、言ってくださった。その一言で、私は前向きになれました。

というのも、当時、息子が10歳になる小学生でした。せめて息子が成人するまで生きたい!という思いと、老ドクターの言葉に後押しされ、治療しようと決心しました。

告知から1週間後に、紹介状を持ってがんセンターに行きました。5月から治療が始まり7月までの3ヶ月で、放射線と抗ガン剤治療を受けました。抗ガン剤は2週間入院して10日空けるサイクル。放射線は子供が小さかったこともあり、通院での治療にしました。2回目の抗ガン剤治療をした時点で、腫瘍はかなり縮小しました。予定の治療がすべて終了した時、画像上では腫瘍は消失していました。

なんとなくの勘だったのですが、「今すぐ治療をしないと死んじゃうな」と思ったのです。実際は、それくらい体調が悪かったのです。輸血一歩手前の貧血、疲労感、お腹や腰に痛みも少し出ていました。これはマズイという気持ちがあったので、標準治療(同時化学放射線療法)を受けることに迷いはありませんでした。


◆やっと止まれる◆

治療中はちょっとした安堵感がありました。というのも、それまでが多忙を極めていて、毎日バタバタ動いて体を酷使していたので、「やっとここで止まれる、休める」と、ほっとしたのを覚えています。

ガンを突きつけられると、「何で私がガンなの!?」と理不尽な気持ちになられる方も多いでしょうが、私には思い当たる節がけっこうあったので、このガンは自分でつくったのだと思いました。当時、仕事の忙しさに加え、息子の学校や子供会の役員も引き受け、家事もそれなりにやらないと気がすまなくて、体をこき使っていました。(笑)365日、ほぼ自分のための時間はなく、ストレスはマックスでした。

治療のため入院した病室の患者仲間がいい人ばかりで、仕切りのカーテンを開けたまま、おしゃべりしたり、食事をしたり。大好きな読書もでき、入院生活はわりと楽しかったです。放射線治療、抗ガン剤治療をしている最中は、ガンが消えるイメージをしながら受けていました。

予定していた治療終了後は、フォローの治療はとくになく、経過観察のみです。実はそれが、不安の種になってしまいました。主治医が、「すでに最大量の放射線を照射したので、もし再発したら放射線治療はできないから大変だよ」とか、ネガティブな見通しをあれこれ言う。せっかく3ヶ月治療してガンが消えたのに不安をかき立てられ、気持ちが不安定になってしまいました。それでちょっと血迷って、高額な免疫療法の資料を取り寄せたり説明を聞きに行ったりしました。結果的にそのような治療を受けることはなかったのですが、標準治療が終わった後の1年くらいは、不安が大きく家族以外の人と関わるのを避け、引き籠もっていました。

この間は、厳しい食事療法、人参ジュース、冷え取り、枇杷の葉エキスの湿布、サプリメント、ウォーキングを一人で黙々とやっていました。1年ほどやると、体力が戻り、自信もついてきて、これだけやって何かあっても(再発しても)しょうがないかなと、だんだん思えるようになってきました。覚悟ができてきました。

気持ちが上向きになったことで、この頃から患者会の集まりに出かけてみたり、仕事仲間と会うようにもなりました。ずっと引き籠もっていたので、初めて患者会に足を運ぶのは勇気が要りましたが、そこでの出会いは心の支えになり、お友達もできたので、本当に行ってよかったと思います。ガンの不安が無くなることはありませんが、今も友達関係は続き、一緒に活動することで、不安に囚われることはありません。


山田智子さん 子宮頸ガン ステージ3b
ガン友の伊藤奈津子さん(右)と「がん治っちゃったよ!全員集合!名古屋」にスタッフ参加された山田さん



◆なぜガンになったのだろう?◆

引き籠もっている間に、「なぜ自分はガンになったのか?」を考えてみました。私はガンになるまで、自分の体をこき使って、労ることをまったくしませんでした。では、どうしてそんなに酷使をしたのかというと、自己肯定感がもの凄く低かったのです。「物事がきちんと完璧にできない自分は価値がない」・・・ずっと思っていました。なので、必要以上に真ん中より上のレベルにいかなければならないと思い込んでいました。

その思い込みはどんなことから形成されたのか?・・・子どもの頃に親に言われた言葉が浮かんできました。

小学生のとき、
「また学級委員になったの!? そんな面倒な役ばっかりやって!」

勉強がんばったのに、
「女の子はそんなに勉強がんばらなくていい!」

親はそんなに悪気はなかったと思いますが、そのような類いの言葉掛けをちょくちょくされました。がんばったことに対し、褒めてもらえない、認めてもらえないことに、当時の私は傷ついていたのです。

さあ、そこに気付きました。じゃあ、どうしよう? 

「完璧でなくていい」
「ありのままの自分でいい」
「自分の体を労ってムリをしない」
「人生を楽しむ」
「楽をしていい」
「生きてるだけで素晴らしい」

意識や思考を変えるようにしました。いずみの会の初代会長の中山さん、めぐみの会の織田さんが言われていた、「がんは心の病でもある」に共感したことを覚えています。


◆人生の振り返りができた◆

体調が回復してきて考えたことが、元の仕事に復帰するかどうかでした。ガンになるほど頑張りすぎた仕事は発病の原因でもあったので、思案しました。ただ、他に何かやることがあるかと自問しても、これといったものがない。仕事自体は好きなので、これからも高めていきたいという思いがありました。なので、体調を優先しながら少しずつ再開することにしました。ありがたいことに、現在は仕事の依頼が増えて、ほどほどにやっていこうと思っています。

治療から2年後に、放射線の晩期障害による腸閉塞を起こし、2度入院しました。放射線性膀胱炎も経験しました。今でも疲れが溜まったり、冷えると、軽い腸閉塞状態になることがあります。それでも、後遺症の不安はあるものの、再発せず5年経過したことはありがたいと思っています。

患者会で出会った仲間や知人の中には、私より先に旅立った人もいます。なのに、私は生かされている。だったら、これからは他人の目を気にせず、自分がやりたいこと、好きなことをして、生きていきたいと思っています。

ガンになったことで、今まで自分の生き方、思い込みを振り返ることができ、ガンになっていろいろ気づいたことがあったなと思えるようになりました。



【編集長感想】

山田智子さんの印象は、物静かで淡々としている女性。でもその語り口から、自分で考え決めて行動する地に足着けた冷静さと力強さが滲み出ていました。

体験談記事作成にあたり、後日、山田さんに追加の質問をしました。

「思い込みを変えるにあたり、カウンセリングを受けるとか、ワークをやったとか、何らかのツールは利用されたのでしょうか?」

山田さんのご返答は、
「思い込みや意識を変えるにあたり、特にカウンセリングなどは受けていません。色々と考える時間もあったので・・・。ガンを本当に治すためには、ガンをつくってしまった今までの自分の性格や生き方を変えなければいけないと思ったからです」

最も強い者が
生き残るのではなく、
最も賢い者が
生き残るのでもない。
唯一生き残るのは、
変化できた者である。
(ダーウィン)









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