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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

直野武志さん(46歳) 16歳で骨肉腫(右脚切断)

「あなた生きてるでしょ!!」看護師さんの一言で前を向くことができた!
2015年8月 岐阜市 (株)くらしケアにて
高校一年の春、直野さんの右膝を襲った痛みは当時5年生存率が10%台の骨肉腫でした。右脚を失い心がいじけた時期もありました。30年の時を経て、直野さんは病気が人生に示していた道を歩み始めました。


直野武志さん(46歳) 10代で骨肉腫
直野武志さん(左)と編集長




◆右脚を失い将来が暗闇になった◆

小澤
10代でのガン闘病のお話を伺うのは、今回が初めてです。どうぞ宜しくお願いします。直野さんにとっては30年前のご経験ですね。

直野さん
ええ、古い話でお役に立つかどうかわかりませんが。

16歳の5月のゴールデンウィーク明けぐらいだったと思います。右膝にヘンな痛みを感じて、それがだんだん強くなって歩けなくなりました。その間、病院で診てもらっても筋肉痛という診断で、湿布や痛み止めの措置でした。

小澤

痛みが出てすぐに「骨肉腫」とは判らなかったのですね。

直野さん
はい。9月になって、やっとどんな病気か診断がついて、地元の病院に入院しました。翌月、大学病院に転院しました。

小澤
骨肉腫を治療できる整形外科は、やはり基幹病院になりますからね。

直野さん
ところがその時は「骨肉腫」と知らされていませんでした。しばらく安静が求められる治療をしていたのですが、そのうち退院できるだろうと思っていた。しかし、一ヶ月経っても退院の話は出てこない。

小澤
30年前ですし、10代の高校生ですから、本人への告知はデリケートな問題だったのでしょう。

直野さん
そうするうち、同じ病棟に脚のない子どもがやたらいることに気づきました。そのなかの9歳の男の子から、「僕と同じ治療してる!」と言われた。それで「もしかしたら・・・」と親に問い正したところ、ある夜、両親ともどもカンファレンスルームに主治医に呼ばれました。

主治医がレントゲン写真を示しながら、「君の病気は骨のガンなんだ。君の命を助けるためには右脚を太腿の真ん中あたりから切断するしかない」と告げられました。

小澤
自分の病気がガンであり、右脚を失うと聞かされて、16歳の直野さんの頭にはどんなことが浮かんだのですか?

直野さん
目の前が真っ暗になりました。そして、「それ(右脚切断)で、助かるのですか?」と質問しました。

小澤
命と右脚を天秤に掛けるような状況ですものね。

直野さん
当時は骨肉腫で肺に転移していると助からない、というのが一般的でした。その時は幸いにも肺転移が見られなかったので、助かる可能性が高いという回答でした。それも後で知ったことなのですが、5年生存率が10~15%の時代だったので、僕を落ち込ませないように話してくれたようです。

小澤
「ガン」という病名については、何か思うところはありましたか?

直野さん
その時は「骨のガン」と口頭で聞いたのですが、それより「右脚切断」のインパクトが強すぎて、そっちに心は囚われていました。(*その後支給された障害者手帳にも「骨髄炎」と記載されていたらしい) ですから「死ぬ」ということは意識しませんでしたね。

小澤
「ガン=死」より、これから右脚なしで生きていくことへの不安感や絶望感のほうが大きかった?

直野さん
思春期ですからね。友達は学校生活を楽しんでいる、彼女ができるかどうかが話題になったりする。でも自分は見た目にも、機能的にも大きなハンディキャップを負う・・・。

見舞いに来てくれた友達に励まされても、「果たして自分はこれからやっていけるのだろうか?」・・・病院から出れるのか? 働けるのか? 結婚できるのか?・・・まったく先が見えませんでした。

直野武志さん(46歳) 10代で骨肉腫
右脚切断手術直後の直野さん




◆死を意識し始めて心が荒れる◆

小澤
手術後はどんな治療を受けられたのですか?

直野さん

すぐに抗ガン剤治療が始まりました。

小澤
転移を予防するという意味合いでしょうね。

直野さん
そのように聞いていました。入院しながら、確か、一晩中点滴での抗ガン剤投与でした。吐いたり、白血球が減ったり、けっこう辛かったですね。

小澤
どのくらいの期間、続けられたのですか?

直野さん
12月半ばに手術して抗ガン剤治療に入り、退院したのは翌年4月でした。それから再入院してさらに抗ガン剤治療を半年しました。

小澤
今なら通院治療もあり得るかもしれませんが、当時の抗ガン剤治療は入院が多かったですね。となると、学校へは行けなかった?!

直野さん
治療に専念で学業はできませんでした。それより自分としては、こんな状態で社会に出れるのか? 勉強して意味あるのか? と思っちゃってました。

小澤
ああ、そうか。

直野さん
それにこの頃になると、死を意識し始めたのです。というのは、同じ病気の子が僕を含めて7人いたのですが、死んでいく子がでてきた。実際に同じような状況に置かれた人間が死ぬことで、自分にとっても死が現実味を帯びてきました。死を意識しはじめた頃から、心が荒れてきました。

小澤
自分の病気の(医学的な)実体が見え出してきたのですね。それに伴い、人生を悲観、絶望した。

直野さん
「何で俺を生んだんだ!?」と親に八つ当たりしたり、自由に遊びに出掛ける弟たちを難癖つけて殴ったり、物を壊したり、ほんと荒れていました。


◆あなた生きてるでしょ!!◆

小澤
そういう荒れた日々からは、どうやって立ち直ってこられたのですか?

直野さん
ある看護師さんとの再会ですね。その看護師さんは手術前夜に、ずっと付き添って僕の話を聴いてくれたのです。「自分がなんでこんな目に遭わなくてはいけないのか」とか、僕が吐露する不安な心境に真摯に耳を傾けてくれた。そしてその人は最後にこう言われた。「自分に負けたらダメよ」

小澤
右脚を失うという前日に、直野さんの心情を余すことなく聴いてくれた。

直野さん
その時はもう自分のことばかり考えていて、その言葉の意味が理解できなかった。その後、2度目の抗ガン剤治療を終え退院してから経過観察のため外来に通院していたのですが、ある日その看護師さんにばったり会った。

小澤
病棟の看護師さんだから、しばらく会うことはなかった。

直野さん
死を意識し始めていたので、通院して検査してもしょうがないと捨て鉢になっていた。しばらく病院への足も遠のいていたのですが、親に諭されて渋々行った日に、ばったり出会ったのです。

小澤
不貞腐れてたのですね。

直野さん
「どう、元気にしてる?」と声を掛けてくれて、しばらく話をしました。そのなかで「どうせ俺なんか・・・!」みたいなことを口にしたら、叱られたんです。

「あなた生きてるでしょ!! あの時、直野君に言ったこと覚えてる?」 何だったかなぁ、とすぐには思い出せませんでした。看護師さんは続けて、「自分に負けたらダメよ!って言ったでしょう。生きたくても生きられなかった人のことを考えなさい」と言われました。

小澤
その言葉を聞かれた直野さんは?

直野さん
「ああ、そういうことか!! いま自分が思考していることに負けちゃダメなんだ!!」と、あの時の言葉の意味がやっとわかりました。

小澤
腑に落ちたんですね。

直野さん
そこから、運転免許取ったり、高校は中退していましたので今でいう大検の勉強を始めたり、前に向いて進むようになりました。

小澤
つまりその看護師さんは、安楽に未来に火を灯して励ますのではなく、直野さんにいま現在に生きることの大切さを投げかけたのですね。失ったものやできないことに目を向けるのではなく、まだやって来てもいない未来に絶望するのではなく、いまできることにエネルギーを集中しなさい。

直野さん
それで当初は大学受験を目指そうとしたのですが、その頃バリアフリーとかなかったですから、勉強しに行くにも不自由を感じました。それと、もうこれ以上、親に面倒かけるのも悪い気がして働こうと思いました。

小澤

就職活動された?!

直野さん
正社員の口を探しましたがなかなか雇ってくれる所がなくて、父親の知合いの所で図面描きの見習いを始めました。

小澤
とにかく自立したかったのでしょうか?

直野さん
そうですね。普通に仕事して、普通に家を持って、普通の暮らしがしたかった。そのためには早く働くしかないと考えました。

小澤
現在では事業を興されて代表者としてご活躍ですね。障害者の福祉支援事業にも関わってらっしゃる。

直野さん
実はですね、ちょっとお恥ずかしい話なんですが…ずっと障害者であることを自ら明かすのは避けてきたんです。障害者であることを口に出すようになったのは、まだこの3年くらいなんです。

小澤
それは何か理由が?

直野さん
障害者であることが負い目だった。健常者のように振る舞って、健常者のように生きたいという屈折した心情がありました。脚がないことで他人から向けられる態度に悔しい思い、情けない思いをした経験が、一種の怒りとして行動のエネルギーに転化していたと思います。

小澤

するとそういう心理がモチベーションになって、普通の暮らしができるように頑張ってこられたところもあるのですか?

直野さん
たぶんそうだと思います。「健常者に勝ちたい!」「健常者と比べて自分はどうなのか?」ということを意識しながら生きてきた。だから、その後転職した不動産関係の会社では業績を上げ、責任のある役職も任せられました。結婚もして家庭も築き、人並み以上の暮らしができるようになりました。

小澤

健常者を見返してやりたい、という感情がパワーになったのですね。

直野さん
ところが42歳の頃、仕事の悩みからうつになってしまいました。その時、「どうして自分は死なずに済んだのだろう?」という問いが浮かんできた。

小澤
自分の存在を問う機会がきた!?

直野さん
健常者に負けないくらいの人並み以上の暮らしができるようになったのですが、正直、ちっとも幸せではなかったのです。正しいことをやってるつもりで、実は健常者を見返すために自分を殺して嫌な仕事をずっと続けてきた。精神的に限界がきて、やっとそのことに気づいたのです。それで勤め先を退職し、4年前に自分で新たに会社を立ち上げたのです。気づくのに何十年も費やして・・・バカですよね。

小澤
数十年の後に、10代の時の体験が人生を輝かせる。ちっとも遅くなんかないですよ。それで、「どうして自分は死なずに済んだのだろう?」という問いに対して答えはでましたか?

直野さん

「生かされている」・・・生かされている限りは、自分が経験したことを活かして役に立つ仕事をしてゆこうと思っています。


直野武志さん(46歳) 10代で骨肉腫
そう、直野さん、あなたの本道を歩んでください!



【直野武志さんが携わっている事業】

◆(株)くらしケア(障がいをお持ちの方のくらしサポート)

◆特定非営利活動法人 プラウド(障害児の日中一時支援とレスパイトサービス、放課後等デイサービス)*リンク先はフェイスブックページです 

*直野武志さんのブログ「日々是好日」




【編集長感想】

人生は「ロング・アンド・ワインディング・ロード」。ちゃんとつながっているのですね。出来事自体に意味があるのではなく、出来事に意味付けがなされてよいのです。人生の主人公によって。









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