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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

松尾倶子さん スキルス胃ガン(余命5ヶ月の診断)

医師の「残念でした」の一言に発奮!
2011年11月 福岡にて

以前、九州の方からお身内の方のガンについて相談を受けた際にご紹介したのが「NPO法人 がんを学ぶ青葉の会」です。懇意にしているガン体験者さんから推薦された福岡のガン患者会。ご紹介した方からは後日、「とても勇気をもらえ心の支えになりました」とお礼の言葉をいただきました。青葉の会は地元九州のメディアにも取り上げられることが多く、一度お伺いしたいと思っていました。代表の松尾倶子さんは、とってもパワフルな博多女性・・・と思いきや、ご出身は宮城県仙台市。15年前にスキルス胃ガン 余命5ヶ月を告げられています。

NPO法人 がんを学ぶ青葉の会 松尾倶子さん
写真は苦手~という松尾さんなので、端っこちっちゃめにしました



◆物事を自分ひとりで解決するクセ◆

小澤
(博多駅新幹線改札で待ち合わせ)松尾さんですね。こんにちは、ガンの辞典の小澤です。

松尾さん
ああ、松尾です。思っていたほど、髭は目立ちませんね。長身の髭のある方とお聞きしていましたから。(笑)

と言って、どんどんスタスタ歩いていかれる。あとを追いかける。 駅のコンコース内お土産ショップの一角にある珈琲店に入る。ここで取材ですか?と訊くと「まさか~」 コーヒー一杯飲んで取材場所にタクシーで移動。青葉の会でビワ温灸の講習会に使う施設を確保してくださっていた。サシで話すには広すぎるけど…(笑)

小澤
わざわざ静かにお話できるところをご用意くださってありがとうございます。早速ですが、松尾さんのスキルス胃ガン体験をお聞かせください。

松尾さん
私の家は5人兄姉でした。上の3人が兄で、姉、私です。

小澤
末っ子ですか。

松尾さん
ええ。どうでもいい子です。(笑) 年子の兄3人のあとに、やっと授かった娘である姉。父も母も細身で色白の姉をたいそう可愛がりました。それに引きかえ、私はどう見ても姉とは正反対。ブタさんには悪いけれど赤ら顔のブーチャン。東北弁でいうとスカダナイコ。頂き物のカステラを分ければ、私のは紙にひっついた端っこのわずかな部分。服はすべてお下がり。姉が熱を出せば、両親はすわッ、飛んで医者に連れていく。私が熱を出しても越中富山の置き薬。どうですこの格差。(笑)

小澤
お姉さん中心の家庭だったわけですね。松尾さんは、ほったらかし。(笑)

松尾さん
ガンになって思い出したんです。「自分で食べていかなきゃいけない!」 そういう意識が5、6、7歳の頃から私には染み込んでいる。

小澤
自分の食いぶちは自分で確保する。強い自立の観念ですね。

松尾さん
だから私、泣き言いわなかったですよ。すべて自分ひとりで解決するクセがついていましたから。だからガンになった時しかり、私は恐れなかった。「そうか、ここまできたか」という感覚でした。

小澤
福岡に住むようになったのは、ご主人さまのお仕事の都合でしたよね。

松尾さん
はい、主人は大学で心理学を教えていました。結婚して2年経った頃でしたね、福岡に移り住んだのは。

小澤
いつガンが見つかったのですか?

松尾さん
15年前。51歳のときです。その当時は仕事を持っていまして、責任あるポストを任されていました。

小澤
松尾さんの生い立ち、性格からすると、ガンガンゴリゴリ仕事されていたのでしょう?(笑)

松尾さん
ん~、私はふつうにやっていただけですけどね。(笑) でも常に、体には負担をかけていたのでしょうね。日常的に胃のあたりに違和感があって、半年毎にかかりつけの病院で検査してもらっていました。


◆「残念なガン」が見つかる◆

小澤
ふだんから胃には自覚症状があった。

松尾さん
ただガンの発見はひょんなことからでした。その行きつけの主治医のお嬢さんがミスコンテストの九州代表に選ばれたのです。善は急げで診察の前、朝の7時頃お祝いを持って
行きました。そうしたら顔馴染みの看護師長さんが、「松尾さん、いつもの検査もうすぐだよね。実は今日ちょうど空きができたんだけど、折角だからついでに検査していかない?」といわれ、朝早くに家を出たため胃の中も空っぽだったので、成り行きで胃カメラをすることになりました。

小澤
先生にしても、いつもの慣れた患者さんだから、朝飯前くらいのつもりだったのでしょうね。

松尾さん
ところが普段検査の最中はいつも気軽に声をかけてくださる先生が、今回は途中で急に黙り込んじゃった。胃カメラ終わってから、「たいしたことないけど、念のために組織出しておこう」って言うんです。

小澤
胃の粘膜の一部を採って、病理検査に出したのですね。

松尾さん
私、ちょうどその頃18年勤めた専門店から独立・・・婦人用バックや小物のセレクトショップ(セレクション松尾)…をオープンしたばかりで、てんやわんやだったんです。だから1週間後の検査結果のこともすっかり忘れていました。翌日思い出して電話したら、電話の向こうでは看護師さんの様子がおかしい。先生が電話口に出て、「松尾さん、今日はもう仕事止めて、自宅に帰ってほしい」と切り出した。

小澤
只事じゃないですね。

松尾さん
そんな経緯でガンが判明し、もう翌日には紹介していただいた病院の外科に主人と東京から駆けつけた姉といっしょに行きました。はじめてお会いしたその外科の先生、いきなり「残念でした」って切り出すんですよ。

小澤
???

松尾さん
「残念でした」 先生は続けて、「手のひらを出してみてください。これを紙だと思って。紙に水を垂らすと、ジワジワ水の染みが広がっていきますよね。あなたのガンはスキルス性といって性質が悪く、こんなふうに浸潤していきます」 「そうですね、半年は無理でしょうね。あと5ヶ月というところでしょう。あなたの命は」

小澤
げッ! 松尾さん、そのときはどんな気持ちでしたか?

松尾さん
一瞬、爆弾を投下された思い。でも我にかえるまでそう時間はかかりませんでした。「そこまで言うか! 次はどうくる。こいつ次は私にどんな言葉向けるんか! さあ来い!」みたいな感じでした。

小澤
冷静でしたね。

松尾さん
小さい時分の体験からでしょうか。それと、前日にかかりつけの内科の先生から、すでに悪い診断結果を聞かされてましたからね。それ聞いた時は、脈打つたびにガンが体に回るんじゃないかと、頭が爆発するくらい悩みました。だから外科の先生はどんな説明してくれるのかと思っていたんです。そうしたら、説明じゃないですよね。ボンボン言いたい放題言った最後に「テレビキャスターだった逸見政孝さんご存知ですよね。あの方と同じタイプのガンです」と、ダメ押しの一言。

小澤
逸見さんには失礼だけど、例え方が良くないな。

松尾さん
「なんだ! 亡くなった人を引き合いに出して! こいつ許せん! 絶対見返してやる!」と思いました。5ヶ月という死刑宣告を覆してやろう!

小澤
逆に闘病心に火がついた! 

松尾さん
私自身はけっこうしっかりしてました。ただ付き添いの家族が…。

小澤
どうされました?

松尾さん
姉は気を失って点滴を受け、主人は鞄を開けたり閉めたり、ネクタイしめ直したり動転している。私の担当になる看護師長さんでさえ「先生、なんてことを…」とオロオロでした。(笑)

小澤
余命5ヶ月を宣告された当のご本人がいちばん落ち着いていたのですか。(笑)

松尾さん
子どもの高校の担任の先生の言葉を思い出したんですよ。当時、いじめで自殺するような事件があった。 その教師は「自分の命を自分で勝手に決めてはいけない。もしこれでもう自分は終わりだ、最期だ、ダメだと思っても、そう思っているときは、まだ生きてるじゃないか。生きてるんだから最期じゃないんだ」 こう話されました。私にはよほどインパクトがある言葉だったのでしょう。何かにつけて思い出しています。

小澤
手術はたいへんだったでしょう。

松尾さん
胃を4/5、脾臓、胆のう、十二指腸の一部を取りました。

小澤
うわぁ、大手術ですね。ご家族も心配されたでしょう。

松尾さん
それがね。手術の当日、遠方から私の兄弟や主人の兄弟が十数人集まってくれたんですよ。ところが手術が6~7時間かかる見込みだと聞いて、主人がタクシー手配してみんなを唐津観光に連れ出した。残ったのは姉と娘、それと心配して見舞いに来て下さった知人だけ。

小澤
ホントですか!?

松尾さん
信じられます?(笑)

小澤
信じられない。(笑)

松尾さん
その程度の捉え方なんですよ、うちの主人は。ガンになってから15年になりますけど、ずっとあまり口うるさく干渉されることはなかったですね。だから楽なのかもしれない。

小澤
ははあ。深刻すぎないってことですかね。心配はされているのでしょうが、そのようなご主人の松尾さんへの接し方は、物足りなくなかったですか?

松尾さん
患者さんのなかには、本人もパートナーさんも一緒に苦しんでしまうケースがありますが、そういう意味では精神的に私は気楽でした。

小澤
冒頭の話にあった子どもの頃からの強い自立心が身に染み込んでいる松尾さんにとっては、そのほうがありがたかったのかな?

松尾さん
それも影響していると思います。とにかく自分の身に起こった病気は自分の責任だと。常に自分がどう対処すべきか、という思考習慣がガンに対しても例外ではなかった。


◆自分自身に素直になれた瞬間、スイッチが入った!◆

小澤
しかし、松尾さんのガンは手術することも織り込み済みで余命5ヶ月という診断ですよね。とすると、とりあえず手術が成功したといっても、それですべて解決したわけではない。手術後はどうされました?

松尾さん
はい。開腹してみたら、腹膜播種もなく、浸潤の程度も良かった。つまり想定された最悪よりはちょっとましでした。だからあとは、抗ガン剤治療を勧められました。でも私は手術前から抗ガン剤はしないと決めていました。手術後の鎮痛剤も拒否した。

小澤
それはどういう理由で薬を使わなかったのですか?

松尾さん
早く元気になりたかったからです。元気になるためには、薬の力を借りる前に自分の力でと考えた。息もできないくらい痛くて痛くて、ベッドに横たわって真っ直ぐの姿勢で寝ることができず、体を曲げたまま水枕、アイスノンを何個も用意して乗り越えました。そして手術後3日目から病棟の5階まで階段の昇り降りをしました。

小澤
げッ! 内臓ごっそり取っちゃったのにですか? 勿論まだ点滴とかしてるでしょ?

松尾さん
体のあちこちに管が付いてました。点滴下げるポールみたいな器具を引きずりながら一段一段足と器具と交互に昇りますから、5階までいくのに1時間くらいかかりました。そして下るほうがもっと大変だということに昇ってから気づいた。(笑)一段下がるとくらくらめまいがする。私がそういうことしてるの聞きつけた院長が、監視に来たくらいです。病院内で有名になってました。(笑)

小澤
元気になるためには筋肉を鍛えるという発想なのでしょうが、凄まじい生きるエネルギーですね。

松尾さん
抜糸した手術跡がきれいなので、主治医が若手の医師や看護師さん達を集めて見に来られました。退院も予定より早くできて、退院して3日目には仕事に復帰しました。退院後も歩くことを中心に体力回復に励みました。1年後には主治医が「パーフェクト! 薬はいらない」と太鼓判を押してくださいました。

小澤
松尾さんは「絶対元気になる!」という強い意志でガンを克服されたのですが、体調が悪くなったときなどは弱気になったり、自分のやっていることに迷ったりもしますよね。そういう場合、どのように気持ちのリカバリーをされたのですか?

松尾さん
手術日の朝まで、酷いこと言われた主治医に「見返してやるッ!」と心に誓っていたのです。ところが当日の早朝病室のカーテンの隙間から朝陽が射し込み私を照らした。光が渦を巻き、玉のようになったと思ったら、筍の薄皮を一枚一枚はがすように剥けていく。ぜんぶ剥けると金色の輝く芯のようなものが残ったんです。そして無の境地にいるような感じがして、自然と手を合わせ祈りました。そのとき祈りというのは言葉ではないとわかりました。祈りは「呻き(うめき)」です。自分の奥深いところからでてきたのは、言葉にならない“感謝”という呻きでした。

小澤
「呻き」ですか。

松尾さん
呻きとともに筍の皮が剥がれたのは、私自身の「我(が)」が取れていったような気がしました。相手を打ち負かす自分中心の見方、やり方・・・エゴ、傲慢、執着・・・そういったものが自分から剥がれ去っていった。とても神妙な気持ちになり、心が軽くなって謙虚で素直になれた。この瞬間から気持ちの矛先が完全に変わりました。許すこと、受け入れること、感謝すること。

小澤
手術直前に大きな精神的変容があったということですか。

松尾さん
軽い麻酔を打って手術の準備に入る際、私は無理を承知で看護師さんに正座させてもらい、あの酷いことを私に言った執刀医でもある主治医に1分でいいから会わせてほしい、と何度もお願いしました。驚いた先生はスタンバイのまま両手を上げて「どうした?」と私に向き合ってくださいました。「先生、私は先生のことを心からご信頼申しております。今から手術、私も頑張ります。どうか宜しくお願いします。すべて先生にお任せします」と、頭下げて言ったんです。

小澤
コノヤロー!と思ってた相手なのに?

松尾さん
自然に口に出たんですよ。先生、びっくりして。でも、装着してた手術用の手袋を看護師さんにはずしてもらって、私の手を両手で握ってくれた。「松尾くん、ありがとう。僕はこれまで何百人と手術してきたけど、こんな気持ちよく手術に臨めるのははじめてだよ。医者冥利につきる。僕もがんばる。がんばろうな」と仰ってくれて、手術が始まりました。

小澤
先生の気持も変わった。松尾さんの心に呼応したのでしょうね。

松尾さん
自分の中のわだかまりが消えたこの瞬間に、私は、私のガンは治ると確信しました。主治医の先生とも、あの「気づき」をきっかけに心から信頼できる関係になりました。いま青葉の会の会員さんも、大変お世話になっています。

小澤
うぉ~。だからその後は、自分の心のままに、自分の体が発する声のとおりに、養生をされてこられたわけですか。

松尾さん
そうです。だから「これをしなければならない」とか「あの人のマネをしたほうがいい」とか思わなかった。なんの衒い(てらい)もなく、自分の感じることを大事にできた。

小澤
松尾さんのコアの部分、いうなれば「命の核」が出てきたんだろうなぁ。

松尾さん
体がよくなるのって、理屈じゃない。本能でしょ。無意識にする呼吸と同じはずでしょ。だからね、私ってやっぱり無理してたんですね。いろいろいっぱい背負い込んでた。ガンになったおかげで、本当の自分に戻れたみたいです。

小澤
素の松尾さんにお会いできてよかったです。(笑) 今日はご協力ありがとうございました。


【編集長感想】

NPO法人 がんを学ぶ青葉の会 松尾倶子さん
お二人のチャーミングな女傑に囲まれて(笑)

松尾倶子さん、本編お読み頂いたとおりの人物です。(笑) 「私より、もっと凄いガン体験者がいるの! 会ってみない?」と予定にはなかったのですが松尾さんの取材後、急遽訪問しました。5つもガンを経験して、70歳の時に事業を興し、いま90歳でかくしゃくとしお肌もすごくお綺麗です。77歳で三度目の手術の前日、商工会議所での講演のため病院を“脱走”して以来、ガンはほったらかしです。「心配ではないですか?」と尋ねると、「子どもの頃、母親に言われたの。人間の寿命はオギャーと生まれた時から決まってる。いつ死ぬか決まってる。だから私は、死ぬ時が来たら死ぬと思って成長してきたので、死ぬことは怖くないの。ガンだって生きる人は生きるのよ。ガンだから死ぬのじゃなくて、死ぬ時が来たら死ぬの」 恐れ入りました!!

つごう6時間、福岡市内を松尾さんに帯同。連れ回されたって感じもするけど・・・いやはや楽しかったです。はい(笑)


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