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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

松村恭枝さん 子宮体ガン 5年間の紆余曲折(発症時42歳)

抗ガン剤治療は「ダメ人間」を経験させるものだった!
2019年10月 愛媛県松山市の「おうちごはん てんさいとう」にて
証券会社のトップセールスだった松村恭枝(ゆきえ)さんに子宮体ガンが見つかったのは5年前。自然療法で好転と悪化を繰り返し、昨年ついに手術と化学療法を受けます。この間の松村さんの病状の変遷は治療法の問題ではなく、ビジネスでの成功の原動力にもなった“堅固な掟”でした。その掟が起動すると、松村さんは一瞬にして戦闘モードに突入するのでした。


松村恭枝さん 子宮体ガン
2018年10月29日にオープンした「おうちごはん てんさいとう」にて、体験談を語ってくださる松村恭枝さん



◆ビジネス成功の代償◆

小澤
松村さんとは幾度かお会いしていますが、詳しい体験談をお聞きするのは初めてです。どうぞ宜しくお願いします。

松村さん
そうですよね。(笑)こちらこそ宜しくお願いします。

小澤
では経緯からお願いできますか。

松村さん
2014年4月に判明したのですが、遡ること数年前から体の不調がありました。

小澤
どんな不調だったのですか?

松村さん
不正出血が続いていました。通常、生理は1ヵ月のうち1週間くらいですが、その頃の私は3週間出血があって1週間止まり、また3週間の出血を繰り返していました。ひどいときは2ヵ月出続けて1週間休み、ということもありました。その状態が2年ほど続きました。

小澤
2年間、その状態を放置していたわけではないですよね?

松村さん
不正出血が始まって半年経った頃、婦人科を受診しました。検査したところ、別段異常なしという結果でした。診察したドクターはストレスと判断し出血を止める薬を処方されましたが、それを飲むと気分が悪くなったり眠くなりました。幸い貧血もなかったので、異常がないのであれば副作用のある薬をわざわざ飲む必要ないと思い、1~2回で止めてしまいました。

小澤
それだけ出血されていても、貧血ではなかったのですか?

松村さん
そうなんです。仕事を変わらない限り、ストレスもしょうがないかなと思っていました。

小澤

どんなお仕事だったのですか?

松村さん
2000年から、証券会社最大手の営業専門職 出来高部門に就きました。

小澤
証券会社の営業、しかも出来高制ですか!?

松村さん
目標に応じて報酬が変動するので、目標達成のために走り続けるハードな日々でした。

小澤
実力次第で収入に大きな差がでる職種ですよね。その仕事を発病までされていたのですか?

松村さん
そうです。就職してから14年の間に体重が30kg増えました。

小澤
30kg!?

松村さん
厳しいメンタル、寝不足、大幅な体重増加・・・このような状況でしたから、病院でストレスと言われても納得でした。また当時、今だとパワハラといわれそうなタイプの上司の席が私の目の前で、自分が叱責されてなくてもすごいプレッシャーでした。(笑)この上司がいる限りストレス環境は仕方ないなと思っていました。ところが、その上司が転勤し落ち着いた職場環境になっても、私の体調不良は一向に好転しませんでした。

小澤

外的環境が変わったけれど、松村さんの体内環境は変わらなかったのですね。

松村さん
それで、念のためもう一度検査してみようと病院に行って、ガンが見つかったのが2014年4月でした。レディースクリニックから大学病院を紹介され、子宮体ガン1aと診断されました。治療方針は、ホルモン療法もしくは手術でした。

小澤
初期ですし、治療についてはそう悩むことはなかった?

松村さん
それが、その大学病院のドクターが冷たく事務的で、なんか嫌だなという印象でした。それで、ガンならがんセンターのほうがいいかなという気持ちになり、5年前(2009年)に亡くなった父が入院していた馴染みのある四国がんセンターに転院しました。

小澤
さっさと転院した。決断と行動が早いですね。

松村さん
がんセンターの担当医は、めちゃめちゃ厳しい女医さんでした。治療は手術で決まり。いつにしますか?と、一方的でした。私は営業成績がよかったこともあり、「私はやればできる人間だ。できないはずはない。ガンも自分で治せるんじゃないか。自分で治す方法があるはずだ」という自負と考えから、ゴールデンウィーク期間にいろいろ調べました。父がガンのときにリサーチした代替療法の情報も持ち合わせていました。それらの知識を得た上で、体調を整えたいのでしばらく手術は待ってほしいと担当医に申し出ました。担当医は体重が多い(BMIが30超え)と手術が大変だからダイエットしてきてと、わりとあっさり手術の先延ばしを受け入れてくれました。

小澤
厳しいドクターだけど、そこは反論や説得をしなかった。

松村さん
私としては、しめしめです。(笑)そこで手本にしたのが、子宮体ガンを自然治癒した女性(Mさん)のブログでした。食事療法、1日1万歩歩く、還元陶板浴(たまたま、Mさんが通っていたのと同じ陶板浴が松山市内にあった)。これを3本柱にして、毎日のタスクとして励みました。

小澤
同じ子宮体ガンですからね。Mさんの治し方を完コピしたのですね。

松村さん

会社に病気治療での休職を申請し、1年半休めることになりました。この間に「スーパーな自分を取り戻すぞ!」と決意しました。


松村恭枝さん 子宮体ガン
お店は松山城のお堀近くの大手町にあります



◆成功体験から導いた治し方で改善◆

小澤
スタートからすごくポジティブですが、ガンと診断された時はどんな心境だったのですか?

松村さん
う~ん、ショックだったのですけど、半分は、少し休めるかも・・・が本音でした。毎月売り上げ地獄で、1日でも離脱したら置いて行かれる・・・疲弊していましたね。四六時中、売り上げのことが頭を占めて、休みの土日でも次の1週間の段取りや戦略を考え、それに基づいた資料を準備し、プレゼンのイメージトレーニングもしていました。

小澤
何かに追いかけられているみたいですね。脳もまったく休まらない。仕事自体は嫌ではなかったのですか?

松村さん
始めた頃は楽しかったです。上司や職場環境にも恵まれ、ポジティブに売り上げを伸ばそうと励みました。しかし、リーマンショック以降は会社の方針も変わって、生き残り戦略にシフトしました。私も新人の立場から中堅になって、「やりたい仕事」より「ねばべき仕事」の量が増えていったので、つまらなくなったところはあります。

小澤
証券会社を選んだのは何か理由があるのですか?

松村さん
その前に在籍した会社がずさんだったこと、それから祖父母が株式取引をして裕福だったので、私もお金の勉強をしたら、おじいちゃんやおばあちゃんみたいにお金持ちになれるかもと思いました。(笑)バイト3つ掛け持ちしていた時期もありましたが、体だけ使って稼ぐのは限界がある。頭使ってお金に働いてもらうことを勉強することにしました。リーマン前には全国上位の営業成績で、東京で表彰もされました。

小澤
そんな「私はできる人!」で挑んだ自助療法で、スーパーな自分は取り戻せましたか?

松村さん
毎日、3本柱をコツコツ実践しました。加えて、7月には体重を落とすため医師が運営するサナトリウムで9泊10日の断食プログラムに参加しました。5kgほど減りました。医師やスタッフの皆さんの明るさに触れたり、高原の森の中を散策して、ある想いが湧いてきました。これまでの私は、お金こそすべてと目標達成の責任だけで十数年生きてきた。そんな人生でほんとによかったのかな? 

小澤
価値の優先順位の最上位にお金があったけど、その生き方どうなんだ?と、自然に抱かれながら振り返ったのですね。

松村さん
自分を覆っていたベールが解かれて、視界が開けたような感じでした。寺山心一翁さんの本や他の体験談を読んで、夜と朝の境目の空気がいちばんきれいというのを知りました。その時間に起きて、窓を開け放ちました。空気を吸うことを意識したり、鳥のさえずりに耳を傾けるなんて、もう長いことしてなかった。車を運転していても次の仕事の段取りに気を取られ、桜が咲いていても目に入らなかった。

小澤
自然のうつろいを感じる余裕もなかった。

松村さん
忙しさとストレス、それに甘い物の食べ過ぎ・・・なるべくしてガンになったなと認識しました。断食を指導された医師の「健康レベルを上げましょう」という言葉を胸に、家に帰ってからも3本柱を継続し、9月の検査を迎えるまでに体重を20kg弱落としました。

小澤
おお、頑張りましたね。

松村さん
今思うと、仕事への取り組み方をそのまま生活習慣改善に応用したのです。

小澤

熱量高い松村方式の対象が、仕事からガン治しに差し替わったのですね。

松村さん
そうなんです。1日のスケジュール管理と実行。もう受験勉強でやり残したことはないくらいの、ベストを尽くした感を持って検査に臨みました。(笑)

小澤

結果はどうでした?

松村さん
1aが0期に改善していました。ガンじゃないとは言い切れないけど、グレーな状態に変わった。「神様、ありがとう!」と心の中で叫びました。(笑)

小澤
受験に合格したみたいな感じですね。(笑)

松村さん
そうです。そうです。(笑)私としては、「よし!この調子でいこう!」だったのですが、担当医は既に一度1aという結果が出ているし、体重も落ちたので手術をしましょうと言ってきました。でもこちらとしては、折角良い流れになってるので、手術はせずに今の取り組みを続けたいと主張しました。担当医はちょっと怒った様子で、「このままでは最後は死にますよ」という言葉も口にしました。

小澤
担当医とは意見が一致しなかった。

松村さん
私としてはガン図書館ができるくらいの本を読んで、現代医学とは異なる見方の知識も豊富になっていたので、何とか検査だけお願いしたいと担当医の説得にかかりました。渋々受け入れてもらえましたが、別室で何があっても自己責任である旨の念書を書かされました。(笑)

小澤
自分を貫かれましたね。

松村さん
0期になったのが自信になりました。体重も落ちて体調も良くなり、服のサイズも小さくなって達成感満開でした。(笑) その数ヶ月後の検査でも、0期を維持。この間、Mさんや治った人たちに会ったり、サナトリウムに再滞在したりしました。それは、私が学んで仕事にも実践した成功哲学に則った行動でした。「成功したかったら成功者の話を聞いて同じ事をやれ」というシンプルな教えです。

小澤
ビジネスでの成功体験が、ガン治しにも応用された。治った人に話を聞いて、同じようにやれば治る。

松村さん
はい、自信がありました。


◆逆戻り、職場復帰、断念、笑いヨガ◆

小澤
その後は、順調に目指していた自然治癒に至ったのですか?

松村さん
2015年の秋に転院しました。がんセンターの担当医から、検査だけの通院に難色が示されました。診断書を会社に提出する必要もあったので、四国中央市の個人の総合病院に移りました。とても理解のある良いドクターで、自然に治したい私の意向も汲んでくださり、経過観察を引き受けてくれました。

小澤
信頼関係が築けるドクターと出会えたのですね。

松村さん
ただ、この穏やかな2015年から2016年にかけて、私の怠け者体質が呼び覚まされてしまいました。(笑)

小澤
そうなんですか? 怠け者体質があるんですか?(笑)

松村さん
切羽詰まったときは、凄い集中力、爆発的なパワーが出るのですが、穏やかなときは怠けるんです。(笑)ドクターも怖くない、診断書は書いてもらえる、休職していても給料が出る、痛みや体調不良の自覚症状もない・・・毎日がホリデーなわけです。(笑)

小澤
馬車馬のように働いてきた反動もあったでしょう。(笑)

松村さん
甘い物に手を出し、だんだん3本柱の生活が崩れ出しました。すると、2016年の夏の検査で1aに戻っていました。

小澤
細胞は変化する。

松村さん
復職のタイムリミットが10月(2016年)に迫っていました。完全に治りきっていない。それどころか、直近の検査では1aに戻っている。仕事に復帰するかどうか迷いました。仕事自体は嫌いではない。私が復職する前提で、上司が一時的に私の顧客を引き受けてくれている。待たしているお客さんにも申し訳ない・・・。傲りの気持ちもありました。1年半なんとかなっていたし、やればできるから大丈夫だろう。仕事しながら生活習慣に気をつければ、たとえ1aの状態であってもガンと共存していけば、いいじゃん!

小澤

復職した!?

松村さん
職場環境が以前より厳しくなっていました。仲間と思っていた同僚からも厳しい言葉を浴びせられました。でも、遅れた分を取り返そうと、毎日一人で残業をしました。結果、数ヶ月で全国トップクラスの座に返り咲きました。

小澤
復職前のプランとちょっと違う展開ですね。なぜまた、がむしゃらの虫が出ちゃったのですか?

松村さん
お客さんは、私が戻ってきたことを歓迎してくれたのですが、同僚は冷たかった。それは一理あるのです。私の休職中に私の分までカバーして、売り上げ目標をクリアしなければならなかったのですから。なので、その冷ややかさを覆して、自分の居場所を確保するには結果を出すしかなかったのです。

小澤
となると、日常生活での3本柱は、、、

松村さん
当然、できませんでした。歩けない。食事は不規則。ストレスで甘い物を食べる。その後の1年で体重は7~8kg増えました。

小澤
せっかく20kg痩せたのに!?

松村さん
そんなわけで、2017年の夏に腫瘍マーカーが上がりだしました。それまで、腫瘍マーカーが上がったことはなかったんです。体重が増え、体がしんどい、プレッシャーがきつい・・・この感覚って覚えがある。そういえば、以前にもこんな感覚あったよね。そうだ、ガンになった時と同じ感覚だ!

小澤
気づかなかったのですか? ああ、慣れ親しんだ感覚だから違和感がなかったのか。

松村さん
やっと思い出したのです。とりあえず10日間有休取って、サナトリウムに行きました。そこで、もうこの環境に居る限りはダメだなと思いました。2017年10月、仕事に復帰してちょうど1年で退職しました。

小澤
お疲れ様でした。

松村さん
会社を辞める前に考えたのは、どうしたらこのスパイラルから抜け出せるだろうか?心と体を何とか立て直したい。そんな時に出会ったのが「笑いヨガ」でした。

小澤
そうでしたか!?笑いヨガ、ご存知だったのですか?

松村さん
サナトリウム滞在中に聞いていて知ってはいました。それを思い出して、調べたらたまたま西予市で2日間のリーダー養成講座があって参加しました。

小澤
どうでした?

松村さん
世界が変わりました。(笑)この頃、また生理が不調になっていたのですが、2日間笑いヨガをしたら大きな血塊を排出したんです。びっくりしました。心と体がこんなにもリンクしていることに感動しました。

実は、退職1ヵ月前は精神的に不安定だったのです。ガンはまだ残っている。お客様に迷惑をかけて辞める自分はビジネスパーソンとして失格。スーパーな自分を取り戻してバリバリ働くつもりだったのに、ガンも治らず、カムバックしたものの結局引っかき回して1年だけで退職・・・鬱になりました。それが笑いヨガで気持ちがスッキリしたのです。

小澤
「私はやればできる人」という金看板に傷つけちゃったわけですものね。

松村さん
タイミングよく「笑いヨガ ティーチャー養成講座」が11月に山梨であり、参加しました。これはもう私のライフワークだと確信しました。その時、仲間を前にしてはじめて号泣しました。講座から戻って1~2ヶ月後の検査では、ステージは1aのままでしたが、腫瘍マーカーが正常範囲に下がっていました。

小澤
やっと泣けたんだ。

松村さん
しばらくは、のんびり笑いヨガしながらガンと共存していくことにしました。それまでずっと、期限を切って生きてきたのです。仕事でもガン治しでも、「○○までに成し遂げる」 今思えば、おこがましいですけど。


松村恭枝さん 子宮体ガン
二人三脚でお店を切り盛りする調理師のご主人と松村さん



◆開店準備でまた得意のパターンを持ち出す◆

小澤
でも、今このお店があるということは、また動き出したのですよね?(笑)

松村さん
3本柱の「食」は東城百合子さんの自然療法がベースでした。取り組んでいたとき調理師の主人と、「そういう食を提供するお店があってもいいよね、やりたいね」と話していました。当時、主人も体調に問題があって仕事を辞め無職でした。

小澤
ご主人は元々調理師さんとして仕事をされていた。

松村さん
そうしたら、ちょうどここの物件が空いて。ロケーションも気に入ったので、2018年3月に大家さんと契約し、オープンを9月13日に設定しました。

小澤
あれれ、のんびり期間短いし、また期限を切った目標設定!? 松村さん、のんびりできないタイプでしょ!?(笑)

松村さん
今でもスケジュール帳に空きはありません。(笑) ということで、また成功法則モードに突入しました。(笑)やるからには、自分たちのやりたい理想の店、地域に貢献できる店。主人は職人なので、いかに美味しく作るかにこだわる。私はマーケティング戦略を担当する。

小澤
ビジネスとしても成立させるぞ!ですね。

松村さん
視察のため東京に出向いたり、デザイナーさんとお店のロゴや内装の打ち合わせ、メニュー展開のためあちこちのお店を試食巡り。太りやすい体質の私は、これまた増量です。(笑) 

小澤
あらら。

松村さん
主人に対しては上司モードで、「いついつまでにこれやっておいてよ!」と指示する有り様。1日にいくつもアポイント入れて、もう詰め詰めの毎日。ウオーキングも陶板浴も遠のきました。

小澤
対象が違うだけで同じパターンじゃないですか!?

松村さん
そうなんです。それでまた体調がだんだん悪くなっていきました。しかも、腹部に痛みを感じるようになったのです。でも予定通りオープンするには、病院に行く時間が取れない。経過観察の通院すらできていませんでした。

小澤
体は痛みまで出して訴えていたのにね。

松村さん
体の発する声に蓋をしてしまったんです。「ごめん、いま忙しいから」 体の声を聴く大切さを学んできたはずだったのに。そして、8月に届いたMさんの訃報。

小澤
去年(2018年)の8月でしたね。

松村さん
不思議なことに、たまたま2日間フリーにしていた。その日が、彼女のお通夜と葬儀だったのです。飛行機取って行きました。私はそれが何よりショックでした。だって、私のガン治しの羅針盤のような方でしたから。歩むべき道を指し示していてくれたトップランナー的存在でした。

小澤
Mさんは松村さんにとって、お手本となる「成功者」だった。

松村さん
Mさんのこと、そして予定していた9月のオープンに間に合わない状況もあって、病院に行って検査を受けました。結果が判明したのは、10月29日にずらした開店3日前の26日。それまで笑顔を絶やさなかったドクターが真剣な面持ちで、「今回は手術を急いでください。明日にでも手術をしたいくらいです。開腹してみないと確実なことはいえないが、画像上でも間違いなくステージ1cを超えていて、それ以上に進んでいるかもしれない」

小澤
0~1aをいったりきたりしていた頃とは明らかに様相が異なっていた。

松村さん
さすがにはじめて“怖さ”を感じました。それまでは痛みもなく、生活に気をつけていればうまく共存できると思っていた。甘く見ていたんです。それが、希望の星だったMさんが再発で亡くなり、温厚なドクターが真顔で手術を勧める。私だけの力では手に負えないところまできてしまった。腹を括ろうと思いました。

小澤
手術をしたのですね。

松村さん
ただ、オープン3日前だったので、手術日は1ヶ月先にとお願いしました。私がいなくてもお店がやり繰りできるようにする時間が欲しかったのです。ドクターは渋りましたが承知してくださり、11月26日が手術日になりました。

ここに至って、自分の体から最後通牒が通告されたのだとやっと認識しました。そして、自分の力だけで治すという執着が解けました。それより、この店をきちんと運営すること。さらに、「どんな手を使っても生きたい」という思いになりました。私の力とか、医療の力とか、何かの力とか・・・どうでもいい。

小澤
手段への執着から、本来の生きる目的にフォーカスした。

松村さん
「生きる」を軸に今できる最善を尽くすことにしました。なので、入院の2時間前までスタッフへの引き継ぎなどをしていました。手術を怖がるヒマもありませんでした。(笑)

小澤
カーナビでいえば、目的地設定せずにルート設定だけしていたようなものですね。

松村さん
子宮、卵巣、一部のリンパを郭清し、2週間後に退院しました。年内は自宅療養しました。この時も、「しばらく休める」安堵感がありました。入院中は据え膳下げ膳。皆さんが私のことを心配してくれる。ガンがあっても元気そうに動き回っていたときは誰も心配してくれませんでした。はじめて患者扱いされたのも嬉しかったです。(笑)


◆「ダメ人間」を経験する必要があった!◆


小澤
期限を切って身を削るように目標達成する松村さんお得意の必勝パターンは、時に自分の体を傷つけてしまう。どうして繰り返しそこまでやってしまったのでしょうか?

松村さん
「勝手性責任感」といいますか、目の前に来た課題は引き受けねばならない。たとえ自分にとっての優先事があっても、たとえそれを私が断っても他の誰かがやるとわかっていても、やらないと気が済まない。愛媛県内にステージ3のガン友がいて、同じく自然療法で治そうとしていたのですが、彼女は自分にめっちゃ甘いんです。私、頼まれてもいないのに彼女の世話を勝手にやいていた。ああしたほうがいい。こうしたほうがいい。お節介ですよね。勝手に自分で用事を増やす傾向があって、やり出すと自分のことは忘れてしまうんです。

小澤
そのパターンは、いつどこで手に入れたのですか?

松村さん
父の影響が大きいと思います。厳しかったです。「出来ても甘んじるな。その上を行け!」 責任感と上昇志向。我慢と努力で勝ち取れ! 仕事でも鍛えられました。100できたら次は120。最初に勤めた会社も軍国主義のようでした。(笑)

小澤
甘えは悪だったのですね。

松村さん
その価値観を踏襲して、男気質で仕事しました。問題が発生したら人に頼らず自分で解決する。二つ道があったら困難な方を選べ。それを乗り越えてこそ自分の成長がある。

小澤
松村さん、ご兄弟は?

松村さん
私は一人っ子です。亭主関白な父に対し、母はまったくのダメダメちゃんです。何も出来なくて当てにならない。母に何か頼ったことはないですね。(笑)また、父からは女の子として可愛がってもらった覚えはありません。ですから、人に頼ることは意味がないと思っていました。祖母からもよく言われたのが、「あなたは兄弟がいないから、しっかり1人で生きていくんだよ!」でした。

小澤
楽やカンタンを選ぶとダメになる、逃げるな、闘え・・・そりゃ厳しい環境を選ぶし自ら作りますよね。しかもその掟は社会的に美化されやすいから、尚更疑問を感じない。

松村さん
昭和スタンダードですよね。(笑)決して悪い掟ではないけど、運用の仕方を間違えると自己をも傷つける。うまくコントロールできずに3回やってしまった。

小澤
掟を厳格に守り続けないと自己否定になってしまう。掟通りに生きれない自分は自分じゃない。だからそうならないようにまた掟に従う。

松村さん
手術して解放感を味わいました。もう自分で何とかしなきゃいけないと思わなくて済む。ドクターの力を借り、周りの人たちに心配してもらい、医療の力を借り、少しずつ歩けるようになり・・・自分の力だけで治そうと奮闘していたのに、こんなにも助けを借りて回復に向かっている。気持ちが穏やかになったのです。

小澤
頼ってよかった。

松村さん
ドクターにも、「以前より表情が変わりましたね」と声掛けられました。けんか腰ではないけれど、戦闘モードの顔をしていたのでしょうね。自然療法では敗北者かもしれないけど、これでよかったなと思いました。同時に、自分で計画立てて自らを追い込むように療養してきた長い旅が終わったという安堵感もありました。あとは今まで学んだ事も活用して穏やかに過ごしながら回復し、お店にカムバックすればいいと12月の退院時点では思っていました。

小澤
思っていました??

松村さん
退院後の病理検査で、転移していることが判ったのです。当初は切除して終わりの見通しだったのが、想定していなかった周辺リンパへの転移があるので、年明けから抗ガン剤治療を計画されました。

小澤
松村さんとしては、手術で決着がついたはずだった。

松村さん
自然療法派にとって抗ガン剤は最たる毒じゃないですか!? さんざんそういう情報に接してきたので、やりたくなかった。でも、新しく立ち上げたお店をやりながら、抗ガン剤治療せずに自分だけで治すことができるだろうかと自問したとき、もはやその元気もスキルもなかったのです。

自然療法派の仲間は、手術はまだしも抗ガン剤は完全否定。一般の人達は、最初から手術すればよかったものを、ここまで先延ばしにして尚且つ抗ガン剤を受けない考えに対し非難。私は誰にも相談できない八方塞がり的状況になり、1月は鬱々としていました。

小澤
二重拘束状態ですね。

松村さん
悩んだ末に出した答えは、「両方やろう!」でした。抗ガン剤も自然療法も、どちらもやろう。

小澤

その答えを出した理由は何ですか?

松村さん
私のゴールは何だろうと考えました。私の目標は抗ガン剤をやるやらないではない。「この先、元気で生きて幸せに過ごす」が私の目標だ。だから、抗ガン剤もやろうと決めました。

小澤
目的と手段を再確認したのですね。

松村さん
2月から6月初旬まで、計6回の抗ガン剤治療を受けました。事前説明ではさほどひどい副作用はないということでしたが、私の場合は1回目から出ました。電気風呂のビリビリの強烈なやつでした。全身が感電するようなビリビリになって、それが24時間続きました。ビリビリ痛くて、3日間寝れませんでした。トイレも這っていく有り様。この時、人生はじめて、「何もできない自分」に遭遇しました。

小澤
「何にも役に立たない」という意味ですか?

松村さん
お店にも出れない。ご飯も作れない。家事も出来ない。・・・役立たず人間になってしまった。ダメ人間になった自分は価値がないと思っていたら、主人が、「いいんだよ。居てくれたら」と言葉を掛けてくれたのです。その言葉に救われました。

小澤
そりゃね、「楽したらダメになる!逃げるな!人に頼らず自分で解決しろ!」が絶対的な信条だったのですものね。

松村さん
手術だったら執刀直後はしばらく痛いけど、一歩一歩確実に傷は回復し今日より明日は良くなるだろうと見通しが立ちます。でも抗ガン剤の場合は、苦痛がこの先どうなるんだろう?このまま死んでしまうのではないか?という恐怖がありました。動けない、味もわからない、髪の毛は抜ける・・・掃除も洗濯も料理もできず、1週間何もしないでただ家に居てテレビを観てる・・・これがずっと続くのか・・・。それなのに、店に泊まり込んでまで懸命に支度をしている主人が「何もしなくていいんだよ」って、、、何かをやって成果を上げて役に立たないと自分の存在価値はないと信じ込んでいた私には、絶対口にできない言葉でした。

だから抗ガン剤治療してよかったと思うのは、薬が体に作用した云々ではなく、「ダメな自分でも許してくれた」経験です。

小澤
そういうことですか。抗ガン剤治療は、松村さんに「ダメ人間」を経験させるものだったのですね。それを経験しないと、また同じことを繰り返す。

松村さん
ダメな人間でもダメじゃない。

小澤

「ダメな人間=ダメ、悪い」という前提を崩しておくことが、これからの松村さんの幸せ、そしてこのお店をやっていくのに必要だったのでしょうね。そうすると、松村さんの“成功法則”がよりよく運用できる。

松村さん
私は、窮地やターニングポイントで出会った多くの人に助けられて今があります。Mさん、Mさんのご主人、サナトリウムのドクターと看護師さん、療養仲間、笑いヨガ、四国中央市の病院のドクター、そして主人。感謝しかありません。

これからの人生を大切に幸せに生きるため、アクセル踏み込むばかりじゃなく、早めにブレーキもかけます。(笑)


小澤

ご協力、本当にありがとうございました。


松村恭枝さん 子宮体ガン
インタビュー前にいただいたランチ。美味しかった!



◆「おうちごはん てんさいとう」(愛媛県松山市)の公式サイトはこちら!




【編集長感想】

松村恭枝さんの取材は、奇しくもご夫妻の再出発となった「おうちごはん てんさいとう」オープン1周年前日でした。ランチタイムが終わった店内で夜の営業の準備があるなか、2時間を超えるロングインタビューに応じてくださいました。

インタビュー後に、松村さん、ポツリとこんなことを口にしていました。

「もし自然療法だけで治っていたら私は傲慢になっていて、(誰か相談に来られたら)自分のやり方を押し付けていたかもしれません」

車のナビで目的地を設定すると、いろんなルートが表示されます。ルートの良し悪しに意識が向きすぎていた松村さん、本来の目的を思い出したのですね。


松村恭枝さん 子宮体ガン
左は松山市内で「アロマテラピーサロン ひだまり」を運営されているさんIさん。10月のリボーン洞戸のイベントに参加してくださり、取材に同行して頂きました。









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