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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

がんから元気になった6人講演会 第二回

金沢美子さん 腎臓ガン・膵臓転移  
山下さんご一家 胃ガン・悪性リンパ腫・肺転移
2010年11月23日 名古屋にて

ガン体験者講演会
今日の会場もウインク愛知


【基調講演】
織田英嗣さん
「ガン呪縛から逃れるには?」

織田英嗣さん
もうおなじみ 織田英嗣さん


今日、講演してくださるお二人組の前に、ガンを克服する際に足かせとなる「ガンの呪縛」について、少しお話させてください。

みなさん、ガンになったのはいつですか? 病院の検査でガンが見つかって、お医者さんに「あなたはガンですと」と診断結果を告げられた時点じゃないですか。告知された途端、ガン患者になってしまいます。思いもよらぬガン宣告に、パニックになったり、恐怖や不安に駆られる。

でもよく考えてみてください。ガンという異常な細胞の塊は、ガンと診断される一日、二日前にできたのですか? 風邪なら昨日今日、急に感染したといえますが、ガンはちがいますよね。発見される1cmくらいの大きさになるのに、10年、15年かかる、といわれています。

ということは、お医者さんにガンといわれるかなり以前から、みなさんの体にはガンがあったわけです。ですから、ガンと告げられる前日と、ガンと告げられた翌日に大きな差はありません。ガンと告げられる前後で何が変わったのか? それは、みなさんの「気持ち」です。

ガンという病気は一般的にネガティヴなイメージに覆われています。有名人の死因や、苦しい闘病のニュースなどで、ガンはまるで死神扱いです。得体の知れない恐ろしい魔物が、突然私の目の前に現れた。「さあ、たいへんだッ~」と、行く手を遮る魔物をなんとかしなきゃならない! 怖いながらも、いつ襲われるかと魔物から目を離すわけにいかない。

でもね、ちょっと落ち着いて、その魔物から少し距離を置いて眺めてみてください。視界いっぱい魔物が占めていた立ち位置を下げる余裕があれば、視野が広がりいろんなものが見えてきます。そうするためには冷静になることです。パニックや恐怖を平ずることです。溺れそうになって水中でバタバタもがくと余計沈みますよね。まず落ち着くことで、善後策を考えることができ、行動を起こすことができます。

気持ちを落ち着かせるためには、ガンのネガティヴなイメージを薄くすることです。薄くするには、まずガンの正体を知ること。得体が知れないと、不安も増幅してしまいます。そして、自分と同じようにガンになっても元気にしている人、ガンを克服した人の存在を知り、その人達と接する。この講演会のような場で話を聴いたり、体験者の集まり(患者会)に参加することで、ガンのことを勉強でき、勇気も湧いてきます。

さて、今日はご家族の方とともにガンを克服された体験者がご登壇されます。家族というのは、実はけっこう難しい側面を抱えています。根本的な問題は、「家族は患者ではない」ということです。ガンとわかってからしばらく経ち理性的になってくると、家族は患者に「見返り」を求めだすことがあります。患者さんに対し、家族の思い通りにして欲しい、なって欲しい・・・。ご家族も一生懸命なのはわかりますが、患者さんが自分たちの思い通りに動いてくれないと、そうなるよう支配するケースは少なくないんです。それはあたかも、《牢屋に入れられた人とそれを見張っている人》という図式です。これ、やらされるほうも、監視するほうも、双方ともだんだん疲れちゃうんです。

ですから、お互いに自立することが必要だと思います。依存と支配の関係でガンを克服するのは困難です。患者さん自身も、家族も。病気になった本人の課題と家族の課題をごっちゃにしない。それぞれが責任を持って自分の課題に取り組み、支え合う。課題は分離して、余分に背負わない、背負わさない。一方だけに背負わすこともしない。そのような家族の健全な関係性があってこそ、患者さんと家族がガンを克服する道を共に歩んでいけるのだと思います。

今日の講演はそういう意味でとても参考になりますので、どうぞしっかりお聴きになってください。ありがとうございました。






金沢美子さん・金沢尚美さん
2006年 腎臓ガン・膵臓転移
演題「たくさんの気づきにありがとう!」

金沢美子さん武井尚美さん
金沢美子さん                   お嬢さんの金沢尚美さん


私、大勢の方の前でお話しするのは慣れておりませんので、上手くできるかどうかわかりませんが、宜しくお願いします。

2005年の10月から咳と微熱が2ヶ月近く続き内科に通院していたのですが、なかなか治りませんでした。そこで呼吸器科の医院を受診し採血してもらったところ、総合病院で精密検査を受けるよう勧められました。地元の市立病院に行き調べてもらったのですが、とくに悪いところは見つからない。でも、相変わらず具合はよくないので、今度はエコー検査をしてもらったところ、右の腎臓になにか大きなものがあるのがわかり、泌尿器科に移りました。

検査の画像を見ると、ジャガイモかサツマイモのような形がくっきり映っていました。主治医の説明を私は待っていたのですが、なにもおっしゃろうとしません。間が悪くなって、私のほうから「先生、ひょっとしてこれはガンですか?」と訊くと、「そうです、ガンです」とおっしゃいました。「先生、ガンって、こんなに大きくなるんですか?」私は続けて訊ねました。結局、長引く咳は、この腎臓に発生したガンが肺に触れるほど大きくなっていたのが原因でした。

詳しく調べた結果、ガンは右の腎臓だけでなく、左の腎臓にも飛び火していました。市立病院では左右両方の腎臓を手術するのは難しいということで大学病院を紹介されましたが、手術まで3ヶ月待たなければなりません。3ヶ月もほっておけないので、大学病院から専門医が派遣され、市立病院で3月7日に手術しました。手術でガンを取り除くと咳はピタッと止まりました。術後の経過は良く、3週間で退院の運びとなりました。

5月になって、1ヶ月検診の結果を訊きに病院を訪ねた私を待っていたのは、膵臓にガンが転移しているという診断でした。たった1ヶ月ですよ。ほんと、声も出ないくらいショックでしたね。8mmほどの大きさのガンが5つ。家族にどう話したらいいやら・・・。腎臓ガンの手術が終わってやれやれといったところでしょ。すごく心配かけましたからね・・・。今でもその時、家族にどう話したのか覚えていないくらいです。

転移した膵臓ガンは手術も抗ガン剤も放射線もできません、と主治医は言います。まあ、原発が腎臓なのでインターフェロン治療を続けてみようという治療方針が提示されました。「要するに、もう打つ手がないんだな」私はそう感じ、不安の渦にのみ込まれそうでした。

そんな時、長女が一冊の本を持ってきてくれたのです。安保徹先生の『ガンは自分で治せる』という本です。「病院でなくともガンは治せる可能性がある」「自分でできるガン改善法がたくさんある」 気持ちが救われました。まさに人生が大きく変わる本との出会いでした。そしてできそうなことから実践を始めたのです。玄米や旬の野菜を食べること、ニンジンジュースも作って飲み、キノコや海藻を多く摂りました。そして家族みんなでいろいろな本を読み、情報交換をし、良さそうと思うことはなんでもやりました。その中から、自分の感覚を物差しにして体に合っているなと思うものは3年間継続して取り組むようにしたんです。

翌6月、がんセンターにセカンドオピニオンを伺いに行った際の検査で、膵臓のガンは8mm→24mm、5つ→7つと進んでいました。それでも病院ではどうすることもできない。結果的には、抗ガン剤も放射線治療もしなかったのが幸いしたと思うのですが、やはりその時は不安でした。

この時期に、地元のガン患者会である「いずみの会」を知り、早速入会しました。そこには、私と同じようにガンに罹り、克服している人たちがいたのです。会長の中山さんとガン体験者を交えた面談、ビワ温灸の講習会や尿療法の講演に出席しました。いろいろアドバイスもいただきながら、自分でガンを治すという意欲が湧いてきました。

とくに体温を上げることを改善のポイントに置いて、自分でできることに日々取り組みました。散歩、足湯、就寝時はいくつか湯たんぽを使ったり・・・。とにかく体温を上げればガンはそれ以上進行しないと信じ込んでやりました。自分の体と対話しながら、続けました。

病院では、このままのペースでガンが悪くなっていくと膵臓自体がもたないので、8月になったら全部摘出しましょうと言われました。私はその方針に納得がいきません。膵臓転移が見つかった5月には、手術はできませんと言っていた。なのに今になって全部取っちゃいましょうって、おかしいじゃないですか。手術のリスクに加え、膵臓が無くなってしまったら、ずっと糖尿病患者として生きていかなくちゃならない・・・。そんなのイヤだと思ったんです。

病院のほうは手術を念頭に入れているので、7月末に検査を組みました。すると、その検査の結果でガンの進行が止まっているのがわかりました。「これは今までやってきたことの成果がでてきたんだ」そう思い、主治医に手術はギリギリまで待ってほしいと頼みました。そして、これまでに増して家族一丸で自助療法に取り組んだのです。私の養生食にお婿さんまで付き合ってくれて・・・ほんと励みになりました。家族一緒によく笑いました。また末期ガンから生還した知人に紹介された外治法(体の外から手当てする)の療法家との出会いも、治癒を後押ししてくれました。

振り返ってみますと、病院では転移した膵臓ガンについては全摘手術しか治療法がなかった。それを拒否した私は、もう病院を頼れない状況になったわけです。その一見暗闇のような状況が、自分でなんとかしようという自立心を芽生えさせてくれたのです。自分の心に正直になる。素直になる。私はガンになるまで、自分の思ったことの60%くらいしか言えないタイプの人間でした。言いたいことも心の中に押し込めてしまう。そんな生き方をしてきたんですが、ガンになったお陰で心を開放できるようになり、楽に生きられるようになったのです。そして思ったことは行動に移し、どんなことにも感謝できるようになりました。自分の直感を信じる。あきらめない。自分の人生を生きる。そういうことを学びました。そして、奇跡は待つのでなく自分で起こすものだと・・・。

*ここからは、お嬢さんの金沢尚美さん(講演会の主催者のお一人でもあります)が加わって講演が続きます

尚美さん
母と7歳の息子の3人で来月12月のホノルルマラソンに参加します。(杉浦貴之さんが主催する「がんサバイバー ホノルルマラソンツアー」)お母さん、ホノルルマラソン参加を決めた動機は? 

金沢さん
長年悪かった脚を直す良い機会だと思って参加を決めました。私は飲食店を営んでいたのですが、脚を悪くし、お医者さんに「このままでは歩けなくなるよ」と言われ、お店を閉めた矢先にガンが見つかったのです。私と孫(武井さんの7歳になる息子さん)は10kmを歩き、娘(武井さん)はフルマラソンに挑戦します。

尚美さん
膵臓転移を聞かされた時、まるで真っ暗なトンネルに入り込み、どこをどう進んめばいいか見当もつかない状態でした。1年くらいは不安でたまりませんでしたが、母と家族一緒に食事や療法を続けたら自分たちの体調も良くなったので、母はこれで治ると信じて2年、3年と月日が重なりました。体だけでなく考え方も変化し、心の大切さを強く感じています。ホノルルマラソンを一つの区切りとし、母のガン卒業記念にしたいと思っています。

とにかく3年間、毎日の日課(養生)を続けるには、母一人でなく家族の団結力があったからこそです。みんなで役割分担し、チーム力でここまでこれたと思います。

金沢さん
ほんとに家族の愛に包まれて・・・感謝しています。ありがとうございました。

 

山下さんご一家
2004年 胃ガン・悪性リンパ腫・肺転移・前立腺転移
演題「家族と共に乗り越えたこと」

山下ファミリー
仲良し 山下ファミリー


*体験者である山下さんと奥さん、お嬢さんの三人で登壇。主に奥さんの弘子さんが体験談を語られました。というのも、手術から肺転移が判明するまでの約1ヶ月半の出来事を本人はほとんど記憶していないそうです。以前、仕事中に重機の下敷きになって45日間意識不明の際、お嬢さんはお父さんの爪の異変に気付きました。担当医は「生命を維持するためにエネルギーを集中させているので、爪や髪の毛などの生長は停止させるのだろう」と言いました。おそらく、ガンによる生命の危機を乗り越えるため、山下さんの体は緊急処置としてエネルギー配分を調整した。そのひとつが記憶機能の低下だと推測されます。


主人は昭和62年に胃ガンで胃を全部摘出しました。4~5年かかって仕事に復帰し、経営者として会社を引っ張っていました。平成4年に重機の下敷きになる大事故で45日間意識不明。12000cc輸血しました。退院の際には一生車椅子生活だろうと言われましたが、自分で工夫したリハビリによって、いまはご覧のように自力で歩行しています。

平成15年秋に、体調がおもわしくなくなりました。細身なのにやけに下腹部がぷっくり膨らんでいる。思うように便が出ない。腸閉塞を調べたりしましたが、よくわからず入退院を繰り返していました。結局、平成16年6月になって小腸の良性腫瘍ということで開腹して一部を切除したのですが、手術中に悪性であることが判明したのです。

主治医は大学病院の血液内科への転院を勧めました。そこでは、3ヶ月徹底的に抗ガン剤治療をしましょうと診断されました。私たちは、こんな体力で抗ガン剤はきついだろうと考え抗ガン剤治療を断り、セカンドオピニオンを求め別の病院を受診したところ肺にも転移していることがわかりました。やはり今ならできると抗ガン剤治療を打診されましたが、入院も抗ガン剤治療もしないという本人の固い信念を通し、子供たちにもそのことを伝えました。

8月になると体重が激減し、肺に水が溜まりだしました。水はあっという間に肺いっぱいになり、病院からは何度も入院を勧められました。もうこの頃には抗ガン剤はできない状況です。8月10日には主治医から、この病状では一ヶ月もたない、と言われました。医師が病状説明する際は、「家族だけで聞くな、必ず俺も同席する」と本人が言い張っていたので、予め主治医に余命だけは告げないよう頼みました。実は8月29日に息子の結婚式が予定されていたのです。

病院からは、そんな状態の人を家でケアするのは難しいからとホスピスを勧められました。左肺いっぱいの水はやがて右肺にも及び、海で溺れるような苦しい死に方をする。酸素吸入も必要になってくるから自宅では無理だと。でも、頑として自宅に戻ることを変えませんでした。息子や娘には、もう病院では治療ができないから、ガンに良さそうなこと何でもいいから調べて教えてと指示しました。

8月10日・・・この日が転機となったのですが・・・息子の情報で豊田市のある治療院に行ってみることにしました。この時、主人は体重35Kg。娘と私が両脇を抱え、車に乗せて連れて行きました。治療院のM先生の言葉は納得いくもので、その後、私たち家族も事あるごとに心を助けて頂きました。一般的にいうところの民間療法ですが、とにかく主人は体温が低かったので、体温を上げ血行を良くすることに努めました。自宅から豊田まで車で1時間ですが、毎日通いました。そして間に合わないかもしれないと言われていた息子の結婚式には、車椅子で出席できたのです。

その療法を始めてから体に変化が見られたのは、5日経った8月15日からです。午後3時頃から発熱が始まります。39.8度の高熱が約1ヶ月続きました。冬用の下着を着ていましたが汗でグショグショになるので、毎晩5~6回着替えました。朝になると熱は下がり、玄米と生野菜という今でも続いている養生食を口にする毎日でした。大酒呑みでかつ大の甘党だった主人は、食べ物に関しては白砂糖は厳禁という食事指導のため甘い物は止めましたが、先生にも内緒で毎日おはぎ一個だけは食べていました。あれもこれもダメではストレスになってしまうと思い、それだけは許可しました。(笑)

いろいろな方にご指導頂けたのは本当に幸運でした。セカンドオピニオンで受診した病院の先生は、検査だけで無治療のお願いを快く聞きいれてもらえました。復活のきっかけとなったM先生、手当て日記の付け方をご指導頂いた心療内科の先生、気が動いているから可能性はあると励まして下さった鍼灸師の先生・・・本当に恵まれていました。感謝しております。

同じ年の10月30日、主人は「治った」と感じたと、私に告げました。「表と裏がコロっとひっくり返ったように治った気がする」と言うのです。確かに日に日によくなる、というよりは突然復活したように私も思ったものです。11月になって車を買うと言いだし、自分で運転し豊田まで通うようになりました。

この頃から主人は精神的にも落ち着いてきました。イライラすることもなくなり、気持が大らかになりました。今は、穏やかな気持ちで、面白おかしく生きていくのがいちばんじゃないかなと思っています。あと少し娘が補足させて頂きます。ありがとうございました。

*お嬢さんの補足

父のガンの経緯は母が話してくれましたので、私は、余命1ヶ月の宣告を受けた時、どんなことに気をつけていたかお話したいと思います。

やはり余命宣告された時は、多くの方と同じようにパニックになり、落ち込み、悲しみました。でも、そんな状況でも、誰かが《運の良いこと、ツイてると思えること》を見つけるべきだと思ったんです。

当時、私の子供は小学1年生と保育園児でした。可愛い盛りの孫と遊べるのに、おじいちゃん死んじゃう、可哀そう、と思いました。いやいや、待てよ。ちょうど夏休み。子供たちを連れて実家に帰れば、最後の1ヶ月を一緒に過ごすことができる。ラッキーだ!と考え直しました。

次にツイてると思ったのは、余命1ヶ月で抗ガン剤も放射線もできなかったこと。抗ガン剤や放射線が体にキツイこと、ダメージを与えることを情報として知っていました。でも、多くの方は治療を受けられます。なぜか? 選ばなくちゃならないからです。お医者さんが勧める抗ガン剤治療を断るのはものすごく勇気とエネルギーが要ります。でも父の場合は、余命1ヶ月の時点でできないと言われた。もう病院の治療を悩むこともなく、他の方法に集中できた。ラッキーです。

また当時の父の体重は35Kgくらいと軽かったので、母と私の二人でどこにでも連れて行くことができました。イヤだと言っても、ごまかしながら簡単に車に乗せて連れ出すことができたのです。これもツイているにしました。(笑)

家族の中にポジティブな見方ができる人が一人でもいるといないでは、大きくちがうと思います。私はそういう役目をするよう心がけました。また私の子供たちも、父の回復に一役買ってくれました。まだ状況がわからない彼らは、朝起きるとおじいちゃんのベッドに行き、「じいちゃん、今日死ぬん?」と聞くのです。おじいちゃんは、「いや、今日は死なんな」と返します。そんな家族みんなが笑える無邪気さを彼らは発してくれました。

それでも自分たちがやっていることが果たして正しいのだろうか・・・、発熱が続けば病院に行ったほうがいいんじゃないか・・、心が揺れます。へこんだりもします。そんなとき心の支えになってくれるのが、仲間です。一緒に闘病してくれる仲間です。指導してくれる先生、患者仲間、友達・・・誰でもいいと思います・・・いわば同志とコンタクトをとることで、へこみをリカバリーできます。そういうお仲間を持つことはとても大事だと思います。

私たちがやってきたことが、すべての方の正解になるとは思いませんが、なにか皆様の参考になれば嬉しく思います。ありがとうございました。



【編集長感想】

今日の二組は壮絶です。金沢さんは転移先が膵臓。山下さんは、肺に水が溜まって余命1ヶ月からの生還ですから。ともにご家族が一丸となって、同じ方向に太~いベクトルを描いた先に今日があるのですね。体に負担のかかる治療を無理にしなかったのも、生命力を最大限発揮させることができた要因の一つでしょう。

そして、起こったことを悲観ばかりするのではなく、ラッキーな面を探し出してエネルギーに変えていく。たんなるお気楽な楽観主義でなく、幸運を行動として具現化させていったところが「あっぱれ!」です。


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