ガンの辞典|ガン克服のための役立つ情報を現場取材をもとに掲載しています。
ガンについて知りたい方、自分には何ができるのか?大切な人のために何をしてあげられるのか?見つけてください。
相談専用ダイヤル【052-764-4710】受付時間:10:00~17:00(平日のみ)
ホームへ
情報を集める
相談する
登録する
資料請求する
テキストを購入する
編集長について
HOME
>
情報を集める
>
再発・転移・進行・末期のガン対策
>
ガン体験者との対談
> 松野三枝子さん スキルス性胃ガン 多臓器転移から12年
ガン体験者との対談
松野三枝子さん スキルス性胃ガン 多臓器転移から12年
津波にのみ込まれたこの命、何かしなきゃ!
2018年6月 がん治っちゃったよ!全員集合!(名古屋)講演より
【松野三枝子(まつのみえこ)さん プロフィール】
宮城県南三陸町在住。12年前、末期のスキルス性胃ガンと宣告され、食道、胃、胆管、胆嚢、脾臓、片腎を摘出。5年後、入院治療中に東日本大震災が起こり、津波に遭いながら九死に一生を得る。心身ともに変化が起こり、避難所で懸命に炊き出しを行い、再入院した病院でガンの消失がわかる。2014年1月、心の拠り所を作りたいと、夢を叶え、レストラン「農漁家レストラン松野や」をオープン。松野さんの存在を知った多くのガン患者さんが訪れている。
パワー全開で語る松野三枝子さん
◆入院中に東日本大震災◆
皆さん、はじめまして。
ちょっと見た目に、本当に病気なのかしら!?と思う方もいらっしゃるでしょうが、今、ご紹介あったように、臓器をかなり摘出しました。(笑)
私は、宮城県の南三陸町・・・7年前の東日本大震災で街がほとんど水に沈んだ所・・・で、当時、体調を悪くし入院していました。地震による津波は、入院していた志津川病院の4階病室のカーテンレールまで達しました。その時、私はちょうど旧病棟のお風呂に入っていました。点滴と輸血のため寝たきりで、1週間ぶりの入浴でした。広めの水槽のお湯が、だぼんだぼんと大きく波打ちました。
私は、昭和28年生まれ。小学1年生の時に、チリ津波を体験しています。母は妹を背負い、私には一人で逃げるよう指示しました。志津川の駅前の海寄りにあった自宅を飛び出し、迫り来る津波を背にしながら高台めがけ一目散に駆け出しました。途中、転んで地面に這いつくばっていると、後続の大人に「死にたいのかッ!?」と猫のように後ろ首をつかまれ立ち上がり、また走り出して、生き延びました。
ですから、病院のお風呂で遭遇した揺れは、ただ事ではない! 絶対に津波が来る!と瞬時に思いました。病院のすぐ近くにある役場の防災スピーカーが、「6mの津波が来ます!!」「8mのが来ます!!」「逃げてください!!!」と絶叫しています。・・・私、流されるなぁ・・・裸でかぁ(笑) 死ぬことより、そんなことが頭に浮かびました。(笑)
そして、最後の一撃のような大揺れで浴室の引き戸が開き、湯船のお湯ごと室外に流されました。廊下に放り出された私を、1人残っていた看護師さんが見つけ、「残ってたのー!?」と駆け寄り、バスタオルを1枚くれました。100m先にある新病棟との中間地点にある出口めがけて、看護師さんが「松野さん、走れ!」と私の手を掴んで引っ張ります。バスタオルを巻いただけの格好で(笑)、走りながら見た津波は、チリ地震の後に造られた2.7mの防潮堤をはるかに越えた10mという巨大な化け物。あれが襲ってくるんだ!と、夢中になって走り、なんとか非常用のらせん階段に辿り着きました。病院職員の方が私を引っ張り上げ、一緒に逃れてきた看護師さんが私のお尻を押し上げてくれました。階段を数段上がった直後に、真っ黒い水がまさに怒濤となって3階に流れ込んで来ました。
ぐるぐる階段を駆け上がる途中、同室だったおじいちゃん、おばあちゃん、付き添いの女の子が、「松野さ~ん!」と叫びながら流されて行くのを、、、ごめ~ん!と、目をそらすしかなく、屋上をめがけました。病院の目の前にあった実家は、アニメのシーンのように一瞬でペチャンコ。屋上に非難したものの、一つ下の4階までのみこむ勢いの濁流が轟々と迫り、いつここまで上がってくるかと生きた心地はしませんでした。50kgはあるガンスボンベにしがみついて流されている若い男の子が、私たちを見つめながら「助けろ!バカヤロー!手出せー!」と叫ぶ。でも、もの凄い恐怖で震えるだけの体は、動くことができませんでした。
津波を防ぐための防潮堤が、逆に侵入してきた水を堰き止め、南三陸町は一昼夜水浸しのままでした。屋上にいた私たちは、夕方4時頃には降り出した雪を身に受け凍えていました。バスタオル1枚の私に、どこからか衣類を持ち寄ってくださいました。
私たちの目の前を20歳くらいの女の子が乗った赤い車が、山の方へ流されていきました。山まで辿り着いて引っ掛かればいいねと話していたら、引き水で同じ車が戻ってきたのです。車の窓を開けることもできないのでしょう。女の子はハンドルにしがみついたまま、泣きながら私たちを見つめ海の方へ引き流されていきます。最後、防潮堤の遙か上を波とともに乗り越え、ストンと落ちて姿が無くなりました。それを屋上で見ていた人たちから、「うわー」と叫喚が発せられました。
あるドクターが、「もう屋上から離れよう。5階の会議室を片付けたから、そこに移動しよう」と声を掛けました。会議室には、新聞紙や段ボールが敷かれ、3列に患者さんが溢れていました。私たちは、会議室の四方の壁際に沿って置かれた机の上で、夜を過ごしました。
そんな凄まじい状況にあって、自分は生きてしまった。私は末期ガンなのに・・・。
壮絶な体験にはユーモアも
◆吐血 意識不明 救急搬送◆
南三陸町は海の幸に恵まれ、お祭りなどイベントの時には、海鮮の炊き込みご飯・・・ウニ、ホタテ、アサリ、タコ・・・や、海鮮焼きそばなどが名物として提供されます。主人は林業、私は農家で、合間にイベントの仕事もしていました。前日まで、大型のワゴン車を自分で運転しバリバリにやっていました。ホタテ飯5升、五目ホタテ飯5升、ウニ、アサリ、タコは各3升くらい。毎朝炊いて、入れ物に移し、それを積んで仙台まで運び、またその日のうちに南三陸町に戻って来る。その2日目、その日はウニ飯を5升釜で炊きましたから、重量は29kgくらい。それを私、普段はひょいと持てるのに、その日に限って持ち上がらない。うん!? たまたま、自衛隊で北海道に駐屯している息子が休みで帰ってきていて、「悪いんだけど、ママ、ちょっと変だから手伝ってくれない?」 快く引き受けてくれた息子は、仙台までの運転を引き受けてくれました。ワゴン車の後ろに乗って仙台に着くと、いつものようにドアをスライドさせて両足で踏ん張ろうとした瞬間、吐血しました。あたり一面を黒ずんだ血と鮮血が覆うのを見ながら、意識が遠のきました。救急車に乗るまでは覚えているのですが、それ以降は記憶がありません。
仙台の厚生病院に搬送された私は、食道の付け根と胃の下部の2ヶ所に親指と人差し指で円にしたくらいの大きな穴が開いていると教えられました。診断は、スキルス性胃ガン、しかも全身に転移している末期で余命はありません(いつ死んでもおかしくない)と、意識が戻って3日目に説明を受けました。
共演者とのトークセッションでは来場者の質問に丁寧に答えてくださいました
◆大恋愛の末に嫁いだ先には鬼婆がいた!◆
私は昭和48年、当時19歳で24歳の主人と大恋愛、周りにすべて反対されるのを押し切って結婚しました。嫁ぎ先のお姑さんが、東北で一番名を轟かせるほどの鬼婆でした。(笑) 「農家の嫁に銭はいらない。好きで来た嫁だから、お前は手一杯頑張れ」
私の実家は、父が肉屋、母が惣菜屋ですから、私は比較的食べ物にも恵まれた環境で育ちました。ところが嫁ぎ先は、米と味噌と味噌漬けがあれば食うに困らないという主義の家でした。「じゃ、私なんとか切り盛りしなきゃ!」と思いました。11人家族で、毎日7つの弁当を作らなければならない。でも、お台所のお金は一銭も貰えない。結婚前の実家での生活は、朝、惣菜屋を手伝い、昼間はお勤めしていました。結婚後も勤めは続け、お給料をお姑さんに渡します。その中から1万円だけ、生活費として支給されました。お弁当の食材費を請うと、やり繰りできるかどうか嫁としての試練だと、にべもなく断られました。
どうしようかと頭をひねり、農家なので土地はある、そこで採れた物で何とかしようと思いました。毎朝2時に起きて、天ぷら揚げて総菜をつくり、各お店に卸し出勤していましたから、早起きはお手の物。夜明けと共に山に行って山菜、川辺でクレソン、わさびを採り、工夫していろんな料理をこしらえました。それを見ていた姑が、「やればできる。そのままやれ」(笑)
「まいったなぁ」という感じでしたが、(主人のことが)好きで来ましたから、負けるわけにはいかない。お勤めしながら、農家の仕事もこなす。私は左利きなので、鍬も左手で扱います。そんなことも姑から咎められたりしました。今に姑をギャフンと言わせようと、頑張りに頑張りを重ねた挙げ句、倒れてしまったのです。
◆瀕死の療養生活◆
私が倒れたのが、まあ、運がいいというか、林業を営んでいた主人が鬱になりまして、5年ほど引き籠もっていた時期でした。病院は私のスキルス性胃ガンから知見を得たかったようです。医学的関心から「(お腹を)開けてみたい」と要請された時、私は死ぬんだなと察しました。実際は「あ~、そうか、死ぬんだ。よかったなぁ~」と思いました。あの鬼婆の顔を見ずにあの世に行ける。トラクターや耕耘機の操作、広大な土地の草取り、すべて一人でやってきました。もう働かなくていいんだ。ラッキー!(笑)
主治医によれば、私は下血もしていて、血液の70%近くを失い、生きているのが不思議な状態でした。従って1ヶ月輸血をしてから、開腹手術となりました。倒れたのが8月7日、手術が9月13日。手術室に入る前に、主治医から「松野さん、ご家族にしっかりお別れしてきなさい」と言われました。「そうか、助からないんだな」と悟りました。20歳のお嫁ちゃんと3歳の孫がいて、この孫にランドセルを買ってあげるのが夢だったのにな・・・。それでもメソメソしちゃいけないと、「どうなるかわからないけど、行ってくるね!」と手術に向かいました。
手術中は、お花畑の夢を見ていました。きれいなお花畑でしたが、三分咲きか五分咲きだな、できれば満開の時に来たいなと呟いた途端に、意識が戻りました。看護師さんが、「えー!?意識戻ったの!?」とすごい勢いで私の所に駆け寄って来ました。「松野さん、ホントッ!?」 暗闇の中、私が居たのは霊安室にいちばん近い部屋で、隣にはお亡くなりになった人が横たわっていました。看護師さんに「ここから出して」と言うと、「松野さん、もう少しそこでがまんして」と、一晩そこにおりました。(笑)
胴体の両側には輸血や点滴やら、6本のチューブが挿入されていました。主治医が言うには、その6本のチューブを両手で抱え、さらにカートを握って、自力歩行で部屋に戻れれば、あなたは生きられます。途中で倒れたら終わりよ。綺麗な女医さんですが、言うことはキツイ。だって私の病室は、いちばん遠い部屋なんですから。(笑) 医師、看護師、ケアの方が付き添いながら、1時間以上かけて部屋に辿り着きました。
その後が、また大変だったのです。体重が30kgを切ってました。それまでは58kgくらいで、バレーボールではセッター、綱引きではトップを務め、背は小さいけど力持ちでもありました。60kgの米俵を担いで100m走れました。その私が、体重が28kgまで落ち、二本足で立てなくなって1年6ヶ月。この状態で家に居ても、お嫁ちゃんが可哀想。主人に頼んで、自宅から1時間半離れた鳴子温泉の療養所に入所しました。お風呂のすぐ隣の部屋が取れたので、自力で這ってお風呂に入りました。2週間に1回、主人と息子が抗がん剤治療のため、療養所から病院へ私を連れて行ってくれました。抗がん剤治療の帰りには、まだ鬼婆が健在でしたから(笑)、挨拶をして鳴子温泉に戻りました。そういう生活を、3年6ヶ月続けさせてもらいました。家族のおかげで、生きながらえました。
メッセンジャーの表紙を飾ったサバイバーさんが勢揃い
◆がんがどっか行っちゃったよ!◆
震災の翌日、病院を脱走し、普段なら車で5分ほどの距離にある自宅に向かいました。家に着くまで2時間40分かかりました。本来なら、津波にのみ込まれたこの命、何かしなきゃ! それには私らしいこと。あったかいご飯を炊いて、みんなに食べさせることだ! とにかく立ち上がらなければ!
必死になって炊き出しをしました。その姿を偶然にテレビの撮影カメラが捉え、それを見た仙台厚生病院の先生が、「あんた、津波で生きてたの!?」と連絡をくれました。そして、常用していた薬~今でも私はかなりの種類の薬を飲んでいます~を処方してあげるからということで厚生病院に行き、2ヶ月後に検査を受ける段取りになりました。震災当時の病状は、転移で肺が砂嵐のようになって、黄疸も出ていて、あまり見込みはないけど入院してできる治療をしていたのです。
そして2ヶ月後、厚生病院で検査をすると、なんとマーカーの数値が現在と同じくらいに下がっていました。「松野さん、奇跡が起きた。がんがどっか行っちゃったよ!」 医師のその言葉を聞いて、「よし!完全復活!」(ガッツポーズ) という訳で、現在も、農家、農漁家レストラン、出張イベント、ばっちりやっています。(笑)
ご静聴ありがとうございました。
◆「農漁家レストラン 松野や」の情報はこちら!
◆松野三枝子さんの記事は「メッセンジャー49号」(杉浦貴之さん発行)にも掲載されています。
【編集長感想】
松野さんのお話を聞かれた参加者は、胸が締め付けられながらも、心にエネルギーが湧いたことだと思います。
震災直後の松野さんは、いてもたってもいられない。あったかいご飯を食べてもらうことに、自分の命を使い果たそうとした。そうしたら松野さんの体は、「病気やってる場合じゃない!!」と、命の目的に沿うためのバージョンに変化したのでしょう。
◆ガン克服に役立つ『無料レポート』はこちらから!
◆ガン克服の資料請求(無料)はこちらから!
◆各種ご相談はこちらから!
◆ガン克服に役立つテキストはこちらから!
10年生存
2年生存率5%
2度の原発性肝細胞がん
2度の原発乳ガン
3度の手術
9割の医者は、がんを誤解している
「がん」に奇跡を起こす本
「僕は、死なない。」
「原因」と「結果」の法則
「末期ガンなのにステーキを食べ、苦しまずに逝った父」
「本当の自分に出会えば、病気は消えていく」
あなたのがんを消すのはあなたです
あなたは「意識」で癒される
ある膀胱ガン体験談の感想
ある臨床心理学者の自己治癒的がん体験記
いずみの会
いずみの会事務局長
おしなさん
お釈迦様へのてがみ
がん その自然治癒の軌跡
がんが自然に治る生き方
がんが消えていく生き方
がんとの距離を自分で調節する
がんと生きる わたし流
がんと共に生きる
がんになったら治る人に変わろう
がんに克つ 医師ではなく患者が主役のがん治療
がんのSAT療法
がんの手術をする前に
がんを克服できる脳
がん生と死の謎にのぞむ
がん患者会
がん活力
こじまもとこ
みすず書房
めぐみの会
アホは神の望み
イーハトーヴクリニック
ガン 希望の書
ガンが消えた~ある自然治癒の記録
ガンと性格
ガンをきらずに10年延命
ガンをつくる心治す心
ガン生還者の会 希望
ガン克服
ガン対策
ガン患者
ガン患者の会ASUKA
ガン治療
ガン体験者
サイモントン療法
サンマーク出版
ザ・リヴィング・マトリックス
シャムレッフェル・レックス
ジェームズ・アレン
スキルス
スキルス胃ガン体験者
スキルス性胃ガン
ステージ3b
セカンドオピニオン
バーニー・シーゲル
パウル・シュミットのドイツ波動健康法
プロバイオティクス
ラフターヨガ
リズ・ブラボー
ヴィクトール・E・フランクル
炎症性乳ガン ステージ3
熊野安芸子さん
片桐基博さん
玉本珠代
生きる姿勢
生命のバカ力
甲状腺ガン
病気にならない生き方
病気の根を抜く医療
病気克服
発表
百歳
直腸がん
直腸ガン
直腸ガン・甲状腺ガン
直腸ガン・遠隔リンパ節転移
直野武志さん
石川利広
神谷喜和子さん
祢冝田(ねぎた)満代さん
福浦さゆり
立花隆
竹本裕子
筑波大学名誉教授
細胞が自分を食べる オートファジーの謎
終末のフール
結節性硬化型ホジキンリンパ腫
絶望を希望に変える癌治療
織田英嗣
e-クリニック
進行性乳がん
進行性乳がんステージ4
遺伝子スイッチオンの奇跡
遺伝子スイッチ・オンの奇跡
肝臓転移
肺ガン
肺ガン・脳転移(3度再発)
肺ガン再発
肺ガン体験発表
肺腺ガン(多重ガン)
肺原発・全身転移末期ガン
胃ガン
胃ガン ステージ2B(発症時24歳)
胃ガン・前立腺ガン
胃ガンⅡ期
胃ガン再発
胃ガン体験
胆のうガン(手術不能)
胸部軟部肉腫
胸腺ガン体験
能瀬英介
脳腫瘍
脳波研究
腎臓ガン
腸管免疫
腸内菌
膀胱ガン
膵臓ガン
野島ますみ
金つなぎの会
自然なガン
自然排出
自然治癒
自己治癒力を高める医療
舌ガン体験談
鈴木明美さん
船戸崇史
若い世代のガン
苫米地英人
萩原優
萬憲彰
長寿者
関根進
藤江法子さん
青木さやか
須田志保美さん
食道ガン
食道ガン・肺転移(発症時63歳)
西垣内康行さん
骨肉腫
骨軟部腫瘍
論より証拠のガン克服術
高見加代子さん
高山正樹
高橋みよ子
高橋典子さん
髙橋順子
講演会
谷口実知子さん
豊秀之さん
鶴見隆史
身体はなんでも知っている
黒岩祐治
近藤洋子さん
GO WILD 野生の体を取り戻せ!
Kaoruさん 2度の乳がん 2度目は肺・骨転移
NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」
NHKスペシャル「あなたもなれる“健康長寿”徹底解明 100歳の世界」(2016/10/29放映)
NHK特集
NKT免疫細胞治療
NPO法人 がんを学ぶ青葉の会
NPO法人「いずみの会」
NPO法人いずみの会
NPO法人がんを学ぶ青葉の会
NPO法人ガンの患者学研究所
健康ひろば ひまわりの会
健康遺伝子が目覚める がんのSAT療法
僕は死なない
入山和正
内藤康弘
再発
再発・転移・進行・末期
刀根健
前祝いの法則
前立腺ガン体験
前世療法の軌跡 外科医が垣間見た魂の存在
加藤美奈子
加藤一郎さん
北海道でがんとともに生きる
北海道岩見沢
医師が知らない余命を延ばすがん養生生活
千田伸子さん
卵巣ガン
卵巣ガン体験談
原田祐子
原発不明ガン
口腔底がん
向井楠宏
命はそんなにやわじゃない
土橋重隆
坂下千瑞子さん(東京医科歯科大学 血液内科医)
坪山準
堀田医院
堀田忠弘
堀口裕
塚本ふゆみ
塩本邦夫さん
多発性骨転移
多重がん
多重がん(悪性リンパ腫再々発、甲状腺がん)
多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
多重ガン(前立腺ガン・脊椎転移、胃ガン)
多重ガン(乳ガン
夜と霧
大腸ガン
大腸ガン・肝転移)
大腸ガン肝臓転移
大腸ガン(ステージ3)
大津秀一
大上恵子さん
天外伺朗
奇跡のリンゴ
奇跡的治癒
奇跡的治癒とはなにか
妊娠中に発症
妊娠中期の子宮頸ガン(術後の組織検査でガンは消えていた)
子宮頸ガン
子宮頸ガン2期
子宮頸ガン 肺・肝臓・腸骨転移
子宮頸部すりガラス細胞がん
子宮内膜間質肉腫
子宮平滑筋肉腫
子宮体ガン
子宮体ガン再発から10年
安東廣子さん
宗像恒次
宮川信清さん
寺山心一翁
小腸ガン
小西博之
小西康弘
小坂部優
小松真紀
尿膜管ガン
山田智子さん
山口考子(なすこ)さん
山口加代子さん
山上りるも
山中寛
岡本裕
岩手県北上市
島袋隆
川畑伸子
川竹文夫
工藤房美
工藤房美さん
希望のがん治療
帯津良一
平出若葉
平岡尚子
幸せはガンがくれた
広野光子
彦田かな子さん
志賀一雅博士
急性骨髄性白血病
恐怖
患者会 憩いの森
悪性リンパ腫
悪性腹膜中皮腫
悪性黒色腫
愛着障害
斉藤康夫
斎藤康夫
新谷弘美
春名伸司
最期の晩餐~がん治癒へのターニングポイント
木村秋則
末期ガン科学者の生還
末期腎臓ガン
本田健
杉浦貴之
村田悦代
村山民愛(むらやま みね)
村上和雄
東 将則
松野三枝子さん
松尾倶子
松川敦子
松本昌子さん
松村恭枝さん
林育生
栗田英司さん
梁瀬由佑子さん
梯谷幸司
森本美弥さん
森津純子
横内正典
櫻井英代さん
死ぬときにはじめて気づく人生で大切なこと33
母
永友宇多子
汐崎清
池田香代子
治療参加
泉建治
泰山理沙さん
涌井郁子さん
一瞬で人生を変えるお金の秘密 happy money
三好亜紀さん
上咽頭ガン
上川美智子
上杉理絵
下瀬川典子
不自然なガン
不安
渡邉勇四郎
渡辺由美子さん
両側性
中細胞性濾泡性リンパ腫
中咽頭ガン4期
中山幸蔵さん
中山武
中嶋陽子さん
中本篤宏さん
中本成美さん
丹羽和一
乳がん
乳がん卵巣がん
乳ガン
乳ガン・リウマチ
乳ガン・リンパ転移
乳ガン・肝臓転移(ステージ4)
乳ガン体験
乳ガン体験談
井村敬子さん
井上敏夫さん
人類の目覚めへのガイドブック
今村美代子さん
伊藤勇
伊藤奈津子さん
伊坂幸太郎
佐々木啓子さん
佐藤之俊
体験
体験談
余命3ヶ月
前の記事へ
一覧へ
次の記事へ
奇跡的に克服した人たちの研究
セカンドオピニオン
ガンに克つ10ヶ条
ガン体験者との対談
おすすめの本
ガンのことを知ろう
一般的なガン治療
困った時の様々なガン療法
ガンのつらい症状対策
再発・転移・進行・末期のガン対策
ガン患者さんのご家族や親しい方へ
親身に相談にのってくれる医師・薬局・治療院
無料レポート