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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

森本美弥さん 上咽頭ガン、肺腺ガン(多重ガン)  再発転移で余命1年宣告(発症時45歳)

余命を告げられ死の恐怖に苦しみもだえる日々から立ち直ることができたのは、死を受け入れることだった!
2015年9月 グランヴィア岡山のカフェにて(徳島在住)
ガンと診断され、治らないと諦めた。再発余命を告げられ、死を覚悟した。ボロボロになった心に浮かんだのは「死は一つの通過点に過ぎない」・・・治ることより悔いなく生きることに決めたら、自ずと行くべき道を歩めた。


森本美弥さん 上咽頭ガン、肺腺ガン(多重ガン)
「がん治っちゃったよ!全員集合!in岡山(2015年9月23日)」 会場のステージ前にて



◆ガンは怖い、けれども抗ガン剤も怖い◆

小澤
昨日はお疲れ様でした!お手伝い、ありがとうございました!(森本さんは「第5回がん治っちゃったよ!全員集合!in岡山」というイベントにボランティアスタッフとして参加してくださいました)

森本さん
素晴らしいイベントに携わることができてホント嬉しかったです。こちらこそ、ありがとうございました。

小澤
ではまず、病歴からお聞かせください。

森本さん
ガンが見つかったのは2004年10月でした。入浴中に首のしこりに気づきました。診てもらった開業医さんの勧めで、日赤病院で検査してもらいました。すると、上咽頭扁平上皮ガンと肺腺ガンの二つガンがあることが判りました。

小澤
原発が別々ということは、多重ガンですか?

森本さん
そうです。肺は手術で摘出しました。上咽頭は手術が難しい場所にあったので、抗ガン剤と放射線を勧められました。抗ガン剤には悪いイメージを持っていたので断り、放射線とハスミワクチンで治療することにしました。

小澤
抗ガン剤を断り、ハスミワクチンを受けられた。ガンと診断されて間もない患者さんとしては異例の選択ですね。ガンになる前から、何か情報をお持ちだったのですか?

森本さん
いえ、私も一般の方同様、ガンについてまったく無知でした。ただ、ものすごく元気だった叔父さんがガンと診断され抗ガン剤治療を始めたら、半年の内にヘロヘロになってしまった。最期は植物状態にもかかわらず痛みを抑えるためモルヒネを使った。それでも痛みに苦しみながら死んでいった。それが強烈な印象として私の中に残っていました。ガンは怖いなって。

小澤

ガンは怖いけど、抗ガン剤も怖い!?

森本さん
そうです。「ガンは治らない!」と刷り込まれていました。ですから、出身地の福岡に帰って会うべき人に会い、するべきことしようと思った。(笑)

小澤
では、はなっから死を覚悟して、知り合いに別れを告げたり、身辺整理に取り掛かろうとしたのですね。

森本さん
そう、そう、もう諦めの境地で。(笑) とはいえ、どこかに生き延びたいという気持ちもあって、いろいろ調べてはいました。自分のガンを隠すことなく、友人にも話しました。そうしたら、いちばん仲の良い友だちがハスミワクチンのことを教えてくれたのです。すぐさま東京に飛んで行きました。

小澤
行き先を福岡から東京に変えたのですね。(笑) 森本さんがハスミワクチンを選んだ理由は何だったのですか?

森本さん
上咽頭ガンの治療を放射線だけにしたら耳鼻科の主治医から通院しなくてよい、と言われました。ガンがある部位は耳鼻科が担当なのに、放射線科で診てもらってくださいってことでした。もともとその主治医とはそりが合わない感じを持っていたのですが、その時「ああ、普通の治療だけではダメだな」と思いました。

それと地元に近い方で、ハスミワクチンで実際に治った人がいたのです。それが口コミで私の友人に伝わったようです。放射線治療を受けながら、ハスミワクチンを同時進行でしました。


◆脳を脅かす局所再発・・・祈りと懺悔◆

小澤
今でいう統合治療ですね。

森本さん
それらの治療でガンはいったん消えました。ところが2005年9月、検査で怪しい影が映りました。詳しく調べると、ガンが上咽頭から脳に浸潤し視神経を脅かし失明の危険があるということでした。

小澤
初発の時は死を覚悟したものの生き延びるために行動を起こされましたが、再発を知った時はどんなお気持ちでしたか?

森本さん
初発は放射線でわりとあっさりガンが消えたので、「こんなもんで治るんだ」と安心していました。それだけに再発を告げられた時のほうがショックは大きかったですね。診察を終えて主人と娘が待っていてくれた車に乗り込むや、泣きじゃくりました。「もうお母さんダメ!!死ぬッ!!」大声を上げて泣きました。

小澤
回復に向かっていたと思っていたところに、脳にまで至ろうかという再発ですものね。

森本さん

診察してくださった先生(個人病院)は、大学病院で治療するよう強く勧めました。その状況では受け入れざるを得ず、大学病院で放射線と抗ガン剤治療をしました。

小澤
治療はどうでした?

森本さん
それはもう過酷でした。吐き気がひどく食べられない。首のところに放射線を照射するので喉は火傷状態。常に氷水を口に含んで浸していました。今も唾液が出にくい後遺症は残っています。パンは水なしでのみ込めません。

小澤
病院の治療以外には何か取り組まれました?

森本さん
ハスミワクチンはずっと継続しました。それと困った時の神頼みではないのですが(笑)、ある信仰を始めました。お友だちのお母様のお葬式に参列した際、故人をとても大切にする執り行いに感動し、何かあったら入信して教えを仰ぎたいという気持ちを持っていました。

小澤
心の拠りどころが必要だったのでしょうね。

森本さん
心が平常を保てるよう(入信先の)職員さんが傾聴してくれました。私は何度も泣きながら告白しました。

小澤

告白することで落ち着かれた部分があったのですか?

森本さん
ありました。

小澤
それはどんなことでしたか?

森本さん

それまでの自分の生き様・・・やってきたこと、悪いこと、だからガンになっても仕方なかった・・・を洗いざらい語る。今のつらい状況を話す。とにかく胸の内を全部吐き出すことができた。しばらくして、一人で祈るよりご家族一緒に祈られるとよいということを聞いて、その手の信仰にまったく関心のなかった主人を連れていきました。入門者用のガイダンスVTRを観た後、職員さんが主人に「どうでしたか?」と感想を尋ねました。すると主人は「僕は神様が家内の病気を治してくれるとは思っていない。でも、僕が一緒に祈ることで家内の気持ちが安らぐならば、僕も入信します」と言ってくれたのです。

小澤
ご主人、一緒に祈るため入信されたのですか!?

森本さん
私は内心、適当な受け答えをしてやんわり断るだろうと思っていた。私、主人にはずっと傲慢な態度をとってきたのです。主人が優しいのをいいことに、我儘し放題だった。

小澤
それは嬉しかったですね。

森本さん
ですからこの頃は、過去を振り返って懺悔の日々でした。傷つけた人に、そして自分自身にも・・・。死ぬかもしれない病気にかかってやっと気づいた。なんて自分はもったいない時間を過ごしてきたのだろうと、悔しい気持ちになりました。

小澤
お祈りを続けるうちに、そういった苦々しい思いは清算できましたか?

森本さん

最終的には、「過去のことはどうしようもない」と思えるようになりました。過去の自分を許せるようにもなりました。そして私に残された時間があるのなら、家族のために一生懸命生きたいと思いました。


森本美弥さん 上咽頭ガン、肺腺ガン(多重ガン)
森本さんの体験談が掲載されている書籍 『ガンを食事で治した医師と患者のレシピ』
(マキノ出版)





◆余命1年の宣告が、私を変えた!◆

小澤
再発に対する治療はどうでしたか?

森本さん
それが、放射線と抗ガン剤をやってもよくならず進行してしまいました。2006年の4月にはリンパ節4ヶ所に転移し、頸動脈にべったり巻きつくようにガンがあるため、もう治療の手だてがないと言われました。

小澤

その時点で余命宣告された?

森本さん
あと1年と告げられました。どうやって自分の病室に帰ったのか覚えていません。

小澤
茫然自失。

森本さん
死が現実的になったことで、2-3日は眠れませんでした。精神的にどん底状態で、死の恐怖が襲いかかってきました。夜になると、墓の中で苦しみもがくイメージが出てきて震えていました。

小澤
1年という具体的なリミットで、死のイメージも具体的になった。

森本さん
でも苦しみ抜いた先にふとこんなことが頭に浮かんだのです。「みんな死ぬんだ」 どんな偉い人でも、どんな可愛い人でも、どんな素晴らしい人でも、一人として永遠に生きる人はいない。そう思えたら、一瞬、気が楽になった。

小澤
ここで森本さんの死生観が表れた。それは、信仰をされてきたことが伏線としてあったのかな。

森本さん
それは関係あると思います。気が楽になった瞬間に、「死は一つの通過点。魂はずうっと生きられる」そんなふうに思えた。

小澤
そう思えると、死の恐怖は薄らぎますね。死の恐怖に囚われていると、思考や行動が停止しがちになります。すると進むことができない。

森本さん
神様にお祈りしながら、「抗ガン剤か免疫療法か迷っています」と告白すると、「あんたは最初から免疫療法でいくと言うたんちがうか!? そしたら、そっちへ進め!」という声が聞こえた。

小澤
死の恐怖が薄らぐと、メッセージもキャッチしやすくなる。

森本さん
それで心が決まりました。たとえ結果がどうであろうとも免疫療法を選ぼうと。

小澤
安心立命したこと、結果を手放したことで、自分の軸が確認できた。

森本さん
「生かされている限り、1分1秒でも愛する家族のために生きたい」と強く願いました。そしてそのことを踏まえ大学病院の主治医、免疫療法の主治医に「私の望む治療をさせてほしい」と伝えました。どちらの先生からも、「自己責任ですよ」と言われました。

小澤
まあ、治療の選択はもともと自己責任ですけどね。(笑) 治療法を信じるのではなく、その治療法を選んだ自分を信じるしかないのですから。そして“治ること”より、今を“生きる”ことにエネルギーの注入をシフトさせたところが、大きなターニングポイントのような気がしますね。

森本さん
ある意味、余命を告げられたことで腹がくくれた。それがよかったように思います。

小澤
その後の経過は?

森本さん
免疫療法と共に、大きな力になったのがガン患者会の情報でした。自分で治すことができる!そういう手立てがある!そうやって治した人がたくさんいる!それは大きな希望と励みになりました。食事を変え、半身浴、ウォーキング、瞑想などに取り組みました。おかげ様で、年末のCT検査ではガンの活動は鎮静化していました。

小澤
ガンになる前の慣れ親しんだライフスタイルを変えることは、苦にならなかったですか?

森本さん
玄米中心の食事をいかにおいしくするか、工夫するのが楽しかった。心身ともに自分が変わっていくことは喜びでした。

小澤
自分を変えて11年ですね。

森本さん
はい、ガンのおかげです。(笑)


森本美弥さん 上咽頭ガン、肺腺ガン(多重ガン)
徳島に戻られる前、朝早くから取材に応じてくださいました



【編集長感想】

「自分に対する不満を持って生きてきた。充足感を得られなかった」と語る森本さん。自分を治していくのと並行して、患者会の徳島支部を立ち上げて情熱を注がれた。会員さんの喜びは、森本さんにとって自分が人の役に立っているという喜びでもあったようです。その喜びが、再発予防の助けにもなったのだと思います。

森本さんは、不定期で患者の会を開催、また個人相談を受けられています。













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