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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

福浦さゆり さん 卵巣ガン3期(腹膜播種)

ガンは幸せに生きるための水先案内人
2015年4月 ガン生還者に学ぶ会(長崎市)第9回講演会より
長崎市で「ガン生還者に学ぶ会」を主宰している福浦さゆりさんは、2002年(当時38歳)に卵巣ガン3期と診断されました。「病は天からのお手紙」と語る福浦さんのガン体験談です。


ガン生還者に学ぶ会  長崎
2015年の講演会当日は長崎帆船祭り開催中で会場周辺は大賑わいでした




◆発病当時の生活◆

私は2002年の5月に発病しました。当時、38歳でした。夫、中学2年生と小学3年生の息子の4人暮らしでした。私は専業主婦でさほど多忙な生活を送っていたわけでもないのに、どうしてガンになったのか? 振り返ってみると、過食と運動不足が思いあたります。過食といっても、私はたくさん食べられるタイプではないので、私の体にとっては多く食べていた。(自己診断ではビタミンや酵素が不足しやすい体質ではないかと) 加えて運動はまったくしていなかったので、代謝が落ちて汚れが溜まりやすい体になっていたように思います。

そんな体内環境がベースになっているところに、性格が強く作用したようです。何事にも真面目で、いつまでもクヨクヨ悩むタイプ。悩み事を引きずってうつうつとした状態が免疫に影響したのだろうと、ガンになって痛感しました。


◆病状と治療◆

ちょうど13年前の5月、今頃ですね、排便時にお腹が痛むのが3日続きました。3日目は腰が重だるく抜けるような痛みで、これは普通じゃないと感じました。痛みの部位から大腸の異状を想定し、内科を受診しました。そこでエコー検査をしたところ、「大きいですね。大きすぎて右か左かわからないけど卵巣ですね」と医師が口にしました。すでに9cmになっていたため検査した病院ではなく、卵巣腫瘍専門の教授がいる大学病院の婦人科で診療を受けることにしました。

手術で開腹してみると腫瘍の大きさは11cm。左右の卵巣と子宮を摘出、大網の一部も切除。さらに腹膜播種をレーザーで焼き、癒着した腹膜を離す処置で4時間の手術となりました。

それでもすべて取り除けずガン細胞が残っているということで、抗ガン剤治療をすることになりました。2種類の抗ガン剤を週1回×16回というスケジュール。初回はなんともなかったのですが、回数を重ねるにつれ副作用に悩まされました。脱毛、手足のしびれ、口内炎、味覚失調、倦怠感、骨髄抑制・・・14回目のとき、主治医に「あと2回ですよね?!」と言ったら、「君は全部で18回だよ」と訂正され、「先生、全部で16回って説明でしたよ!」と言い返したら主治医の上司の先生に、「君は自分の病気がわかってないのか?!」と叱られました。18回・・・それがもう地の果てのように感じられて(笑) ショックでしょげかえってしまいました。そのせいか15回目では全身に蕁麻疹、顔はスイカのようにパンパンに腫れてしまった。体はボロボロ、気
力も失せ、副作用のため抗ガン剤治療を打ち切り、夢も希望も霧散した退院となりました。

家に帰ったものの、やり残した3回の抗ガン剤治療が頭から離れない。なぜか“3回”にこだわってしまって、あと3回やれば助かるかもしれないという妄想にすがりついていました。主治医が提案したのは、今までの3倍量の抗ガン剤を3ヶ月おきに投与する「サイクリック治療」でした。1度目の治療で白血球がゼロ近くなってしまったことで、2回目に臨むにあたり怖くて胃が痛くなりました。

「もうあと1回したら私は死ぬだろうな」 2回目が終わって、そんな気がしました。意を決しておそるおそる主治医に治療を止めたいと申し出ると、「いいよ」と軽い返事が返ってきました。治療をしない不安はあるものの、主治医との関係を悪くすることなく抗ガン剤治療から離れられることにほっと安堵しました。

とはいえ未来の見通しがまったく立たず、精神的にはどん底でした。外来の度に入院仲間が居る病室に行き愚痴をこぼしていました。ある日仲間の一人に言われました。「苦しいのはあなただけじゃないのよ」 その言葉を聞いて私は自分自身が情けなくなりました。仲間にも嫌な思いをさせて、果たして私は生きていていいのだろうか・・・? そんなことがあったからでしょうか、夢で真っ黒なブラックホールが現れ、その中から「悲」という漢字が浮かび上がってきた。それを見た私は絶望の呻き声を発して飛び起きました。

特別熱心な仏教信者ではないのですが、お釈迦様やご先祖様に手を合わせる養育環境にあり、自分なりの死生観がありました。ですからその夢は、お釈迦様から「生きる価値なし」と示されたような気がしてひどく落ち込みました。そこで後にも先にもないくらい考えました。「自分は生きていたいのか? 諦めるのか?」 おでこが痛くなるくらい真剣に真剣に考えました。考えに考えた末の答えが「やっぱり私は生きたい」でした。そしてお釈迦様に「生きたいです。生きます」と報告しました。


ガン生還者に学ぶ会  福浦さゆり
卵巣ガン体験を語る福浦さん




◆退院後に取り組んだこと◆


自分の気持ちに区切りをつけると、情報収集を始めました。インターネットで見つけた患者会組織が、自助療法として玄米菜食とビワ温熱療法が紹介していました。ビワが病気治しに使われているなんてまったく知らなかったのですが、そういえば入院前に見た夢の中でビワが出ていたのを思い出しました。すぐさま母に電話したところ、祖母も私と同じ病気で母が幼い頃に若くして亡くなっており、亡くなる前に季節外れのビワをしきりに食べたがったという話をしてくれました。そして「さゆり、お前はきっとそれで助かるよ」と励まされ、ビワ療法に関する本を無我夢中で読みました。

その中の一冊にこう書かれていた。「病気を治すのではなく、病気で治す。病人の責任は自分を治すことである。自らの考え方、暮らし方を正すのが一番大切なことである。やっぱり、病は病人の敵ではなかった。天からのお手紙であった」

実は入院する4年前の1998年6月12日、私は「お釈迦様へのてがみ」という手記を書き始めていました。こんな時、お釈迦様ならどんなふうにお答えくださるのかな、と想像しながら綴っていた。入院したのが2002年のちょうど6月12日でした。ですから、「病は天からのお手紙」という言葉を目にしたとき、「ああ、これはお釈迦様が返事をくださったのだ」と思いました。お釈迦様は「生きていていいんだよ」とお答え下さった。しかも、治し方まで教えてくださった。(ビワ療法はお釈迦様が創案した仏教医学でもある) もう、うれしくてうれしくて仕方ありませんでした。ですから、ビワ温熱療法をワクワクしながらやりました。

玄米菜食については理論としての意義もあるのですが、それより(食べ物の)命をいただくわけですから、感謝し心をこめて調理をすることに感動していたのです。それがとてもよかったなと、いま思います。

他には、早寝早起き、ウォーキング、郭林新気功、自然療法、漢方、機能性食品、深呼吸、筋力トレーニング、生き方考え方の見直し、などに取り組みました。


ガン生還者に学ぶ会  福浦さゆり
講演会のゲスト 松尾倶子さん(福岡 青葉の会代表 スキルス胃ガン体験者)を囲んで福浦さん(右)と編集長(左)




◆私にとってガンとは◆

ガンを治すことが最終目的だったら幸せになれないと思うのです。幸せじゃなかったからガンになった。ガンだけ治そうとしたら、幸せじゃない前の自分に戻るだけ。ガン治しを通じて、自然界の生命力、人の心の温もり、愛情など目に見えないものに感謝するという生き方ができるようになったことが、私の体を元気にしてガンの治癒に至ったように思います。

ガンは幸せに生きるための水先案内人。いつも悩みを引きずる私は、ガンになるまで“過去”と“未来”に生きていた。それがガンをきっかけに“今”を生きられるようになったのです。



◆「ガン生還者に学ぶ会」のホームページはこちら!


◆福浦さゆりさんの著書
「お釈迦様へのてがみ」長崎文献社

福浦さゆり  卵巣ガン




【編集長感想】

福浦さんが同会を立ち上げたのは、あるガン仲間の存在があったからです。卵巣ガン4期のKさんは、同じ病室のガン友。いつも笑顔を絶やさず、重ぐるしい病室の中で明るく光のような存在でした。亡くなる前に「天国に行ったら、空の上から同じ病気で苦しんでいる人を励ましたい」と語っていたそうです。福浦さんは、そのKさんの思いを引き継ぐことを決意。「上から彼女がいろいろ段取りして、私はその通りに動いているのです」 Kさんと二人三脚なんですね。














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