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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

渡辺由美子さん 進行性乳がん ステージ4

がんは自分の魂とつながる旅!
2020年8月 いずみの会事務所にて
(定例講演会が新型コロナウィルスのため中止になり、事務所でDVD収録をしました)


事情があって病院を受診したのは、しこりに気づいてから2年近く経っていました。2018年4月、進行性の乳がんは既にリンパや骨に多発転移し、診断はステージ4。医師からは延命治療しかないと告げられました。

延命治療より自己治癒力で治すことを模索した渡辺さんは、広島から遠く離れた岐阜県の船戸クリニックに向かいます。そして、滞在型リトリート施設である「リボーン洞戸」に長期滞在を決意。環境を変え、自分と向き合い、スタッフに癒され、食を学び、代替医療を受け、ホルモン剤も併用し寛解を継続しています。

滞在途中からリボーン洞戸のスタッフも兼ね、2019年10月めでたく卒業。福山に戻り、食の大切さを伝えるリボーンカフェを予約限定で運営されています。


渡辺由美子さん 進行性乳がん ステージ4
いずみの会事務所で収録にご協力くださった渡辺由美子さん



◆右胸にしこり・・・しかし当時、大きな問題を抱えていた◆

只今ご紹介頂きました渡辺由美子です。広島県福山市から参りました。今日はこのような機会を頂いて、本当に嬉しく思っています。

私は2ヶ月後に64歳になります。家族は息子が2人います。2人ともすでに独立し家庭を持っていて、いま私は一人で暮らしています。がんになる前は、病気知らずでした。健康にはかなり気をつけて生活していました。ですから、大病はしないと妙な自信を持っていました。その根拠は、健康管理のなかでも特に食生活にありました。

ところが、2016年、右胸のしこりに気づきました。でも、体調は問題なく、いたって良好でした。快食・快眠、快便。平熱も常に36.5度以上。がんの人は低体温と聞いていたので、胸のしこりががんとは想像もしませんでした。そのうち消えるだろうと、さほど気にしませんでした。

その頃の私は、胸のしこりよりもっと大きな問題を抱えていました。夫との離婚交渉が難航していて、ストレスフルな毎日でした。とにかく1日も早く離婚を成立させたい。奮闘の甲斐あって、2018年2月、ようやく離婚が成立しました。

ほっとしました。それでやっと自分の体に目を向けることができました。しこりは広がり、すでに陥没をしていました。右腕は浮腫み、歩くと振動で脇から背中にかけて痛み、長時間は歩けない状態でした。さすがにこれは良くないと、4月に受診しました。CT検査の結果、乳がんの可能性が高いので乳腺外科のある病院を紹介するから、直ぐ行くように言われました。

がんという言葉を聞いた私でしたが、目の前が真っ暗とか、落ち込むとか、悲しいということは、なぜかありませんでした。そこには冷静な自分がいました。自己分析すると、30年くらいずっと食と体について学び実践してきたからだと思います。その間、安保徹先生の講演を何度も聴いて、自律神経と免疫の勉強をしてきました。なので、今こそ自分の免疫を上げる時だ!という考えが頭に浮かんだのです。

もう一つ、ある講座で中医学の先生が「がん細胞も自分の細胞なんですよ。皆さんは、我が子がグレたからといって排除しますか?」と言われたのを思い出しました。当時はただ客観的に聴いただけなのですが、その言葉が、私の心に残っていました。


◆治癒はありえません!◆

乳腺外科で詳しく調べた結果、「進行性乳がん ステージ4」 右の肺門リンパ節と左頸部リンパ節に転移、さらに多発性骨転移がありました。主治医は「治癒はありえません。延命治療をします」と私に告げました。延命治療の説明の中で、使用する薬剤の副作用は白血球減少、免疫力低下、骨粗鬆症とありました。私はそれを聞いて、延命治療の限界を感じました。

私自身は先ほどお話した離婚問題で、長期にわたりストレスに身を曝してきた自覚がありました。それが発病の大きな原因だから、しばらくは生活習慣を整え様子を見たいと思いました。そのことを医師に伝えようとした途端、言葉を遮られ、「がんは生活習慣病ではありません。ストレスも関係ありません。どんなに気をつけてもがんになる人はなります」と一刀両断。「この治療をすぐに始めないと、腕の浮腫みはもっと酷くなる。患部からは浸出液が出る。出血で貧血になる。骨折しやすくなる。痛みも出る。日常生活ができなくなります」 だから指示に従いなさいと高圧的でした。私がなかなか治療を受けると言わないので、業を煮やしたのか追い打ちをかけるように、「この浸出液はすごい悪臭がする。そうなってから困り果てて病院に来られても、病院も看護師もとても迷惑だ」 それでも私が態度を保留にしていると最後通牒のごとく、「あなた、小林麻央さんのようになりますよ!」

この医師には私の考えは理解してもらえない。そして何より、脅して治療を強制するやり方はありえない。どうしても治療を断りたいが、どう話せばいいか思い付きませんでした。その私の様子を同席していた長男が察してくれて、「母は突然の事に混乱しているようなので、帰って家族で話し合いたいと思います」と助け船を出してくれました。その申し出に対し、「私は多くの患者を受け持っているので早く連絡をくれないと予約が取れませんよ」という医師の言葉を背に、私たちはそのまま帰宅しました。息子は、私が体にダメージを負う治療は望んでいないことをちゃんと理解してくれていたので、この時は本当に助かりました。


◆長男のアトピー性皮膚炎から学んだこと◆

私が知る限り、がん治療は西洋医学的標準治療が一般的だと思うのですが、私は病気に対して可能な限り対症療法ではなく、自己の治癒力で治したいという考えを持っていました。

このような考えに至ったのには理由があります。長男が生後間もなくアトピー性皮膚炎になってしまいました。当時の私は病気の知識も薬の知識もまったくありませんでした。ですから何の疑いもなく、病院で処方された外用剤を塗っていました。ところが、息子の額にちょっとだけあった皮膚炎が、薬を塗っていくうちにどんどん広がってしまいました。半年もしないうちに顔全体から胸からお腹までになり、薬なしでは生活できない状態になりました。その外用剤はステロイド剤で、長期に使い続ければ副作用があることをようやく知ることになりました。では、どうしたらいいのだろう?途方に暮れました。

そんな折、知人から食の勉強のお誘いを受けました。それで息子のアトピーが解決するとは思わなかったのですが、軽い気持ちで参加してみました。初回で、食の重要性、奥深さに深く感心し、もっと学びたいという気持ちになりました。ステロイド剤は止め、食事を改善しました。2年がかりで息子の皮膚はきれいになりました。

この体験が、私の中で大きな柱になりました。病気や症状は体からのメッセージで、結果に対しては必ず原因がある。「医食同源」食は命という考えで、食を大切にして家族や自分の健康管理をしてきました。だからこそ、がんであっても医食同源を軸に自己の治癒力を高めて、自分の体と向き合いたいと思ったのです。

でも、あの医師に出会って本当によかったです。おかげで私は、「絶対に治してみせてやる!」スイッチが入りました。(笑) ただ、こういう私を理解してくれる医師を探すという課題が残りました。ところが、奇跡が起こりました。そのわずか2日後に参加した講演会で、講師の方が「がんになってよかった」という患者さんが集う船戸クリニックと、ケリー・ターナーさんの『がんが自然に治る生き方』という本を紹介してくださいました。その講師は、がん治療医ではなく、オリンピック選手のメディカルトレーナーもされている整形外科医でしたが、たまたまそんな話をされたのです。それを聞いて私は、ピン!ときました。すぐに本を購入して一気に読み終えたら、やっぱり私は大丈夫!と思えました。私はがんを克服できると確信を持ちました。


船戸崇史先生
船戸崇史先生



◆私の健康観を理解してくれる医師との出会い◆

ネットで船戸クリニックを検索し、船戸崇史院長の言葉を読んで、この先生ならきっと私のことを理解して受け入れてくれると思いました。船戸先生に診察してもらいたいと所在地を確認したら、なんと岐阜県でした。(笑) 「遠いなぁ~、せめて大阪あたりならなぁ~」さらに検索してみましたが、私の望むような医療者にはヒットしませんでした。意を決し、船戸クリニックに電話し、リボーン外来を予約しました。

船戸クリニックの診察室に入ると、机の上に『がんが自然に治る生き方』が置いてありました。その本を目にして期待が膨らみました。「この先生なら、きっと私を理解してくれる」 船戸先生は私の目をしっかり見ながら、私の話を聞いてくださいました。「がんになる人は真面目な3G(我慢強く、頑張る、頑固者)なんだよ」という先生の言葉には、思わず苦笑してしまいました。さらに、「あなたは、おしんのような人だ」と仰られました。でも私は、我慢するのは当たり前、頑張るのも当然、自分の信念は曲げない・・・そんな生き方をしてきました。それを振り返ってみると、涙が止まりませんでした。

随分昔の話ですが、私が中学一年生の時、担任の先生に「張りつめたゴムはいつか切れてしまうんだよ。緩めることも必要だよ」と言われました。でも当時の私には、その言葉の意味がまったくわかりませんでした。でもこういうことだったのか!というのが、今はよくわかります。50年前の担任の言葉を胸の中に持っていたというのは、きっと私に必要な言葉だったので魂が記憶していてくれたのだと思っています。

ただ、私としては食をとても大切にしてきたのに、どうしてがんになるの!?という疑念があり、それを船戸先生にぶつけると、「あなたがそこまで食を大切にしてきたから、今があるんだよ。いい加減な食事をしていたら、もっと早くがんになっていただろう」と言ってくださり、私はその言葉に納得しました。

船戸先生からは、週2~3回のペースでの代替治療の提案(その後、内服ホルモン剤の追加)がありました。しかし、福山から週2~3回通院するのはとてもムリです。すると先生は、「あなたのような人のために、リボーン洞戸をつくったんだよ」と仰られました。リボーン洞戸は滞在しながら治療を受けられる施設です。私自身は、リボーン洞戸に滞在したい気持ちがありましたが、家族に相談してから決めることにしました。息子たちは「お母さんのしたい治療なら応援するよ」と、優しく背中を押してくれました。この治療を選択するにあたり、受け身ではなく自分で決めたことが大きなポイントだったと思います。


リボーン洞戸
渡辺さんが長期滞在されたリボーン洞戸



◆リボーン洞戸で、がんではなく自分自身に焦点を当てた◆

いよいよリボーン洞戸に出発です。すでに歩くと痛みがあり、荷物を持ちながらの移動は厳しいので、自ら車を運転して向かいました。リボーン洞戸のスタッフは、緊張している私を家族のように温かく迎えてくれました。チェックインを済ませテラスに出ると、目の前の大きな山が私をここに導いてくれたように感じました。同時に、大好きだった祖母の姿が目に浮かび、「おばあちゃんが私を守ってくれている」と思えました。

滞在を始めてすぐ、「2人に1人ががんになると言われていますが、それは違います。全ての人が、がんになります。でも、2人に1人は自分の免疫力でがんを消しています。半分の人は免疫力が十分働かずに、がん患者になっています」という船戸先生の説明を聞いて、私自身は免疫力を高める食をしていたつもりでしたので少しショックでしたが、気持ちを切り替え、自分を奮い立たせました。

先生の説明の後に、アンケートがありました。
「あなたの楽しみ喜びは何ですか?」 

私はこんなことを書きました。
・息子たちが幸せな家庭をつくること
・一緒に食の勉強をしている仲間たちと料理を作り楽しい時間を過ごすこと
・人の役に立つこと
・相手が喜んでくれること

私の回答を見たスタッフから問い掛けられました。「これって、由美ちゃんの楽しみ、喜びなの?」 私にはその意味がまったくわかりませんでした? 相手の喜びが私の喜び・・・それって間違っているのだろうか?・・・えっ!? 疑いもしなかった私の価値観に、「それって本当?」という楔が打ち込まれました。戸惑いながらも、「相手の喜びに目を向けるばかりで、自分自身の喜びに目を向けていなかった・・・」ことに気づきました。

リボーン洞戸では日常を離れ、とことん自分と向き合いました。がんではなく自分自身にフォーカスしていたので、がんのことは意識の外にありました。がん患者という自覚もありませんでした。

この意識の向け方は、リボーン洞戸に滞在してからのことではありません。病名が判った時、看護師をしている妹に電話で報告しました。

乳がんのステージ4で治る見込みはなく、主治医から延命治療しかないと言われたこと。代替治療を受けにリボーン洞戸に行くこと。全て話しました。現役の看護師としては、おそらく「姉は死んでしまう」と判断したのでしょう。泣きながら、私の話を聞いていました。そのとき私は妹に、はっきり言いました。「がんという病名は付けられたけど、私は病人じゃないから」「私ががんは恐くないことを皆に示すから」 妹は、「そんなこと言ったって・・・」と泣くだけでした。それもそのはず。妹は病院で多くのがん患者さんを見送っています。私の姿がその方々に重なるのも無理はありません。でも私は「いつか良くなる!」としか考えていませんでした。

リボーン洞戸で過ごす時間が私を癒し緩めてくれました。一日のスタートの朝ヨガで、自分の体に感謝をすることを学びました。感謝しながら体をほぐすのは本当に気持ちよかったです。これまでずっと緊張しながら頑張り続けてくれた私の体を緩めることは、心を緩めることに繋がりました。日中の自由時間は、自分のしたいことだけをして過ごす。お気に入りだったのはテラスで風を感じながら、ゆっくりお茶を飲み、ぼーっとすることでした。贅沢で貴重な時間でした。

船戸先生は、がんには言い分があると仰います。私のがんちゃんは、「もう我慢しないで!もっと自分を大切にして!」と私に教えてくれました。「教えてくれてありがとう。これまで気がつかなくてごめんね。あなたは私の勲章よ。(私の中に)居たかったら居てもいいけど、暴れないでね」 感謝の気持ちとお願いをがんちゃんに伝えました。

それから、瞑想も大好きでした。とくに、ライアーという楽器を使っての瞑想では涙が止まりませんでした。あるとき、突然、天女の姿をした私が風に舞う不思議な体験をしました。天女の私は、キラキラ光るものを周りに振りまいていました。まるで愛を振りまいているように思えました。初めての坐禅も体験しました。日頃、いかに必要以上に脳を使って考えているのかを実感しました。瞑想は今でも自宅で続けています。

滞在中、私は毎日のように自分のことをスタッフに話しました。スタッフが温かく見守るように耳を傾けてくれるので、私はどんなことも洗いざらい安心して話すことができました。リボーン洞戸の生活で、私はたくさんの愛を受け取って、たくさんの涙で浄化されました。その結果、私が纏っていた鎧が一つずつ剥がれていきました。

また、マクロビのパーソナルシェフである和み(なごみ)さんのお料理は衝撃的でした。はじめて口にした瞬間、涙が溢れました。3日間、コトコトとじっくり煮込まれたもので、今まで味わったことのないやさしく慈しみ深い味わいでした。それまで私は「料理は愛」という思いで作ってきましたが、彼女の「料理は祈り」という姿勢に魅せられました。ありのままの自分を受け入れ、自分を許し、自分を愛するという彼女の姿に憧れました。頭では「自分を責めない」「自分を認める」ということを知っていたはずなのに、私はできていませんでした。


渡辺由美子さん 進行性乳がん ステージ4
いずみの会スタッフと



◆無意識に母と同じことを・・・◆

話は変わりますが、私にはもう一つの大きな問題がありました。私は、母が嫌いでした。今は過去形で言えるので安心してください。(笑) 母は、自分の価値観を強く信じていて、その価値観に当てはまらない人は非難し遠ざける人でした。言葉遣い、礼儀に厳格で、「こうあるべき」「こうすべき」が極まっていました。そういう母の元で育った私は、どんなに頑張っていい子でいても、母は決して褒めてくれませんでした。大人になって、言いたいことを言えていない不満感のような感情に自分では気づいていました。同時に、どうして私は母が嫌いなのだろう?と自問もしていました。それが何故なのか解き明かされました。とにかく母に認められ愛されたいから、自分の言いたいことを抑え、いい子でいたのだ。それがわかった時に、なんて私は健気な子だったのだと思いました。認めて褒めてくれない母に対し、私は怒りを覚え、いつの間にか母を嫌う感情が芽生えていたことを理解できました。

そういう私でしたので、大人になってからも無意識的に「いい人」でいることで周りの信頼を得ようとしていたのです。自分がどうしたいのか?ではなく、どうすれば相手が喜んでくれるのか?どうすれば私を受け入れてくれるのか?を基準に相手ファーストで振る舞っていたのです。ところが、私も母と同じように価値観を相手に押し付けていたことに気づきました。とてもショックな気づきでした。「場の空気は読まなければいけない」「相手の話は最後まで聞かなければいけない」「自己主張より調和を取るべき」・・・そんな価値観がいつの間にか身に染みついていました。価値観に合わない人を、心の中で責め、切り捨てていました。そしてまた、そういう自分を自分で責めてもいました。

そんなスパイラルから自由になれば、ありのままの自分でOK、頑張らない自分でもOKなんだということが、今は実感できています。リボーン洞戸では、素敵な人たちと出会うことができました。その方々から、たくさんの愛のエネルギーを受け取りました。それによって、自分を解放し、緩め、甘やかし、認め、褒め、自分らしさを見つけることができました。少しずつ変容することができました。


◆スタッフとしてお手伝い◆

リボーン洞戸に滞在し3ヶ月が過ぎた頃、船戸先生よりスタッフとして手伝いながら治療を受けてみないか?と打診されました。業務としては、ゲストの方とお話したり、料理を作ったりです。福山での生活のこともあるし迷いましたが、自分に「どうしたい?」と問いました。自分の気持ちを最優先にして答えを出し、お引き受けすることにしました。


渡辺由美子さん 進行性乳がん ステージ4 
リボーン洞戸スタッフとしてゲストのおもてなし



随分前になりますが、映画「ガイアシンフォニー」に出演されていた佐藤初女さんに憧れ、将来は佐藤さんのようなおばあちゃんになりたいと思いました。全国から佐藤さんの元を訪れる心に痛みを抱える人たちは、佐藤さんの料理で癒され帰っていきます。30代の頃のその記憶が蘇りました。リボーン洞戸でそんなお手伝いをしたいと思いました。野菜の声を聴きながら、感謝と祈りを込めてお料理しようと思いました。作る喜び。食べて頂く喜び。喜びが深くなったのも、がんのおかげです。

現在はリボーン洞戸を卒業して、福山の自宅でリボーンカフェをしています。(予約制) お料理を食べて頂き、不安や迷いから解放され自由になるというお手伝いが少しでもできたらいいなと思っています。

2018年6月からリボーン洞戸に滞在して以降、マーカー値は右肩下がりとなり、半年後の11月には正常値になりました。

私は、がんになって心からよかったと思っています。

・私は守られていると実感できたこと。
・抑圧された感情を解放して自由になれたこと。
・ありのままの自分を愛せるようになったこと。
・家族との絆がさらに深くなったこと。
・息子たちに甘えられるようになったこと。
・頭で考えてばっかりだったのが感じられるようになったこと。
・自分の価値観に囚われなくなったこと。
・がんは恐いものではないことを周りに見せることができたこと。
・リボーン洞戸でたくさんの素敵な人と出会い、たくさんの愛を受けとったこと。

がんと告げられたときに、とても今の自分を想像することはできませんでした。がんのおかげで、私は本当にたくさんの愛を受けとることができました。いま振り返ると、「私のリボーン」は自分一人では決して成し遂げることができなかったと思います。受け取った多くの愛が私に中で溢れて、今があると思います。これからも愛を感じながら、喜びながら、私も愛を届けていきたいと思います。

皆さまが、希望に満ちた、輝いた人生を送られますように、お祈りしています。

ご清聴ありがとうございました。


渡辺由美子さん 進行性乳がん ステージ4 
広島県福山市のリボーンカフェで提供されている「ゆみちゃんご飯」

渡辺由美子さん 進行性乳がん ステージ4
渡辺さんが立ち上げた広島県福山市のリボーンカフェの案内状(予約制)



◆ガン患者会 NPO法人いずみの会 公式サイトはこちら!

◆リボーン洞戸の公式サイトはこちら!

◆船戸クリニックの公式サイトはこちら!



【編集長感想】

お話を終えて、渡辺さんが質問に答えてくださいました。

Q:福山に戻られてから地元の医療機関には通院していますか?

A:2019年10月リボーン洞戸卒業後、船戸先生から地元でホームドクターを持つことを勧められ、継続して服用しているホルモン剤を処方してもらうため通院しています。


Q:リボーン洞戸のスタッフとして、滞在者をサポートする側になってどうでしたか?

A:お手伝いしながら治療を受ける件も、息子たちに相談しました。彼らは、私がマイナスのエネルギーを受けないか心配していました。私は大丈夫と思っていましたが、実際にはお手伝いすることで、かえって私も元気になりました。滞在者を応援するために言葉掛けをしますが、それは同時に自分にも向けられていたという感覚です。


Q:渡辺さんもお母さんのように周りに自分の価値観を押し付けていたことにショックを受けたと語られていましたが、お話を聴いていると息子さんたちにはあまり影響がなかったように思えました。

A:自分で考えて自分で選択する。自立を子育ての柱にしていました。ですから、息子たちには口を出さないように気をつけていました。結果、私の価値観を押し付けずに済んだのですが、社会での対人関係においては母と同じことをしていました。おそらく、自分が母からされたことを、子供には継承させない、私で断ち切るという意識があったのかもしれません。


僕がとくに注目したのは、渡辺さんが一貫してがんという病ではなく自分自身にフォーカスしていたことです。“がんだけを変える”のではなく、“自分を変える” すると、がんも変化していくのではないか! そのブレのなさ。お見事です。

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