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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

高山正樹さん(胸部軟部肉腫) 泉建治さん(膀胱ガンClassⅤ 大腸転移)

典型的な“企業戦士”だったお二人の男性ガン体験者
2012年9月 仙台 メトロポリタンホテルにて
出世して収入を上げるのは男の甲斐性と信じ、骨身を削った高山さんと泉さん。「病気になっても病人にはならなかった」生き様こそ、ガンを克服した大きな要因でしょう。

高山正樹さん、泉建治さん
仙台駅前のメトロポリタンホテル



【高山正樹さん(1951年生まれ) 胸部軟部肉腫】

家庭を一切顧みず「男は出世」と深夜まで仕事漬けの生活を送っていた高山正樹さんは、2001年9月に胸のできものを切除する手術を受ける。手術後、主治医から思いもよらなかった病名を告げられる。切除した組織を調べたところ悪性だった。「胸部軟部肉腫3期」、5年生存率は50%以下。50歳の時でした。

地元のがんセンターから帰ると、今までの自分の生き方が悔まれてしかたない。毎晩のように付き合い酒。「宵越しの金は持たない」主義を気取って蓄えもほとんどなし。後悔と反省でしょげかえり、三日間うつろな目をして家に引きこもっていた。

しかし、高校を卒業したばかりを筆頭に高校2年と中学3年の3人の子供と女房がいる。「いま俺がいなくなったら家族はどうなるんだ!?」「ここで死ぬわけにはいかない!」と再手術までの間に、あらゆる治すための情報を収集した。仕事で新しいプロジェクトを立ち上げる時のように、あらゆる角度から分析するため様々な情報を分け隔てなく集めた。インターネット、書籍からこれはと思う情報をプリントしてファイリングした。

すると、どうも医者の指示に従うだけで治るとは思えなくなってきた。それで自分なりに決断をした。手術で取り切れなかった肉腫に対する抗ガン剤治療を断り、放射線も1回だけ受けて病院から逃げ帰る。食事や運動、サプリメントなどによる養生に加え、遂にはガンの最大の原因となった環境を変える。勤めていた会社を退職したのだ。そして1年後に受けたCT検査ではまったく異状が見られなかった。

高山正樹さん
高山正樹さん(左)と編集長



【泉建治さん(1952年生まれ) 膀胱ガンClassⅤ 大腸転移】

出向先の支店長として激務をこなしていた2001年の夏頃からお腹に痛みを感じ、トイレに行くと血の固まりが出ることがあった。胃薬などで凌いでいたが年が明けた1月に仕事中に激痛と血尿。翌日、開業医の泌尿器科受診。細胞診の結果はClassⅤ(細胞学的に悪性が確定的である)。余命は1~2年と告げられる。

紹介してもらった大学病院でさらに詳しく検査すると大腸にも転移が見つかる。主治医の説明では膀胱を全部摘出して大腸を代用して膀胱にするという。しかし以降の検査ではClassⅢ~Ⅱになっており、表在性、筋層への浸潤および他臓器への転移がないことから術式に納得がいかない。看護師である奥さんとも相談し手術以外の手段はないか必死に調べる。

ある日、奥さんが図書館で『幸せはガンがくれた』という本を見つけ借りてきた。「ガンなのに幸せなわけないだろ!」と思いながらも手にとって読んでみる。すると「10万人か20万人に一人くらい自然に治ることがある」という一文が目に留まった。胸に熱いものがほとばしった。「よし!自分が10万人に一人になる!」と決意する。

手術しないと半年の命だと言う主治医に「覚悟はできています。自分で責任取ります」と告げ手術を断り退院。自己免疫力の向上と自然治癒力を活かす為、漢方薬、食事療法、運動等を取り入れ1年後、自然退縮。

泉建治さん
泉建治さん(左)と編集長



◆納得できなかった◆

小澤
今日はお二人の男性ガン体験者さんにお会いするため、仙台に参りました。お忙しいところ恐縮です。宜しくお願い致します。

高山さん、泉さん
はじめまして。宜しくお願いします。

小澤
高山さんも泉さんも、典型的な仕事人間。古い表現かもしれませんが(笑)、「モーレツ社員」だったわけですよね。失礼ながら、私の経験からすると、どっぷり会社人間だった男性ほど通常の医療にお任せになる傾向があります。しかしお二人は、がんセンターや大学病院といった現代医学の最高峰といわれる医療から身を遠ざけた。どのような経緯があったのですか?

高山さん
では先に私からお話します。要因としては3つあります。
1)外科の主治医の説明が納得できなかった
2)ある患者会の「治る」という情報
3)友人の外科医の意見

小澤
主治医の説明が納得できなかったとは?

高山さん
ガンの原因は何か尋ねてみたら「原因はわからない」という答えでした。わからないけど、できてしまったのだから手術する。取り切れなければ放射線、抗ガン剤をしましょう、と言う。それでもって、「治るか治らないかわからない」という見通し。明確な説明とは到底思えませんでした。

小澤
原因がわからないにも拘わらず、解決策はこれだ!と言われても腑に落ちなかった?

高山さん

それと、私と同じ軟部肉腫の患者が同室に4人入院していました。その方々は外科医の先生を神様扱いです。先生の言うことを金科玉条のように信じ抗ガン剤治療を受けていました。ところが食欲が落ち髪が抜け副作用に苦しみながら、お二人が亡くなった。

小澤
高山さんと同じ病気ですから、自分の行く末を見る思い。

高山さん
私は病室にパソコンを持ち込んで情報収集しました。調べるうちに辿り着いたある患者会から取り寄せたビデオや書籍には、ガンの原因のことが詳しく説明されている。ガンは自分でつくったのだから自分が主体になって治す。解説と共に実際に治った人の事例も実名で紹介されています。私は現代医学と対比し検討した結果、こちらの方がはっきりしているし筋が通っていると思いました。

小澤
なるほど。3つ目は?

高山さん
高校時代の仲の良い友人に外科医がいます。彼に訊いてみたのです。現代医学と患者会の情報について、どんな意見を持つか?

小澤
お友達ですから、医師としての立場だけでなく個人的な本音が聞けますね。

高山さん
彼は「抗ガン剤は効かないからあまり使わない」と話してくれました。

小澤
そうはいっても、主治医の属する権威ある医学界が提示する治療法ではなく、民間の患者会が公開している情報を信じるのは躊躇しませんでしたか?

高山さん
そうさせたのは仕事で培ってきたノウハウのお陰だと思います。営業で徹底的に現状を分析したうえで、お客様に問題提起しその改善策を提案する。いくら専門家である医者の言葉であっても鵜呑みにしない、というのは仕事によって身に付けた「問題解決法」だと思います。

小澤
くどいようですが、それでも主治医の勧める治療を断ることを言い出すのは困難極まりないでしょう。「この治療をしないと○○になる」という医学的な見地から悪い予測を持ちだされると決意も怯(ひる)む…。

高山さん
ですから私も放射線治療を1回受けてしまいました。(笑) 主治医に「高山さん、あなたを助けたい」なんて真剣に言われますとね…。だから「私にしか手に負えない仕事ができて、会社に戻らなければならない。家族を養わなければならないので一旦退院します」と病院から逃げ出しました。(笑)


小澤
泉さんは手術さえも拒否されたのですよね?

泉さん
大学病院を受診する時は、尿は出ない、痛みはひどい、血尿という有り様。診断はClassⅤという悪性でしたから、当初は主治医にお任せで手術も仕方ないと思っていました。

小澤
それだけ症状がつらければ、早くなんとかして!と思うのが人情ですよね。

泉さん
ところが入院して再度検査をすると、ClassⅤがⅢに改善していた。(悪性度が軽くなった) 当時、私は支店長の職にあったのですが、ガンになったので半年の病気休暇を申請しました。入院して間もなく後任の支店長が決まったと知らされました。それを聞いて、正直なところ心が軽くなって気持ちがスッキリしました。いかにプレッシャーを抱えて仕事していたか…。悪性度が下がったのは、仕事のプレッシャーから解放されたからだと思っています。

小澤
精神状態での変化でガン細胞も変わる!?

泉さん
それと実は家内が看護師でして、私が入院していた6階の一つ上の階の呼吸器科で勤務していました。

小澤
では肺ガンの患者さんなど看護されていたのですね。

泉さん
家内は現場でたくさんのガン患者さんを見てきましたが、病院の治療成績はあまり芳しくない。私の場合も病院の治療でうまくいくとは思えない。でも何とか治ってほしいと願っていてくれた。だから手術や抗ガン剤以外の方法を必死に調べてくれました。

小澤
内情を知っているからこそ、泉さんを通常医療のベルトコンベアに乗せたくなかった。

泉さん
私も一緒にインターネットで検索し本もたくさん読みました。それに私の親族にはガンが多かった。私が膀胱ガンになる前の4年間で4人も亡くなっていました。なんとか私がこの負の連鎖にストップをかけたい。そういう強い思いもあって、医者任せにしないで治す気になりました。

小澤
それでも、手術さえ受けないというのは勇気が要ると思うのですが?

泉さん
家内が図書館である本を見つけてきてくれたのです。『幸せはガンがくれた』 最初は「ガンで幸せなわけないだろ?」と思いましたが、読んでみると「自然に治ることがある…云々」というくだりがある。「…10万人か20万人に一人…」 10万人に一人だろうが自然に治る可能性があるという事実を知ったのは嬉しかった。書いてあることを読んで新鮮に感じたし、ガンの正体がわかったようで気持ちが落ち着きました。



小澤

勇気づけられますね。

泉さん
それと検査で悪性度が下がり、表在性、筋層への浸潤および他臓器への転移がないのに膀胱を全摘して代用膀胱にする手術には納得がいかなかった。主治医には手術をしたい様子も伺えましたし…。

小澤
手術を断るのは大変だったでしょう。

泉さん
手術をしないと全身に転移して半年の命だと主治医に言われましたが、すべて覚悟し自分で責任を負うと念書も書いて円満に退院しました。この時ばかりは営業で身に付けた交渉術が役立ちました。(笑)


◆ガンをつくった原因を断つ◆

小澤
病院の治療はやめた! じゃ、どうする? といった局面になって不安はなかったですか?

高山さん
それについては根拠のない自信を持てたのです。1ヶ月半の入院中、病院の周りを散歩したり、知人が持ってきてくれたサプリメントを飲んでいたら今まで感じたことがないくらい体調が良い。おそらくガンの最大の原因である仕事から離れてストレスがなくなり、規則正しい生活を送ったからだと思いますが、すこぶる元気になった。「自分は大丈夫なんじゃないか」という感覚が芽生えました。

小澤
現代医学の治療をしない不安よりも、集めた情報から決断したことと自分の体の感覚から自分が歩もうとしている方向性を信じることができたのですね。職場には復帰するが、間もなく退職される。

高山さん
退院の頃から、いずれ退職するだろうと予感はありました。でも子ども三人育てていかなければならない。そう簡単に辞めれるものではないですが、ガンの原因は仕事だと解りましたから辞めました。あてはなかったですが、結果的には一度無職になって新たな挑戦をしたのが良かったですね。

小澤
というと?

高山さん
新しい仕事に挑戦することに夢中になりました。だからガンのことを忘れることができた。それが良かったのだと思います。

小澤
ガンにエネルギーを注ぐのではなく、新たな人生にエネルギーを向けることができた。

高山さん
そうですね。新たな気持ちで一家を支えることにエネルギーを注げました。


小澤
病院を円満退院された泉さんは、どうされたのですか?

泉さん
退院して2~3日は自宅でボ~ッとしていましたが、まず体力回復しようと思いトレーニングを始めました。毎朝5時半に起きて自宅から走って30分の公園に行き、階段登りと腕立て伏せを日課にしました。食事は玄米菜食に変えました。それから2年間は常に腹巻にカイロを入れて温めていました。

小澤
生活習慣を改善した。

泉さん
心の支えとしては、身近な目標をつくりました。4月初旬に退院したのですが、その時すでに長女の結婚式が決まっていました。7月19日。できれば元気な姿で臨みたい。

小澤
ガンに対する恐怖心や病院での治療を拒んだ不安はどのようにコントロールされたのですか?

泉さん
ひとつは、同期入社の友人が単身赴任先で心筋梗塞で急死したことです。ショックでしたが自分の身に置き換えると、ガンは死を迎えるまで猶予があるぶんいいなと思えました。それでガンがさほど怖くなくなった。もう一つは、『幸せはガンがくれた』の著者が主宰する患者会に参加したこと。そこで高山さんとも知り合えた。仙台にも患者会の支部があって、ガン仲間ができて心強かった。

小澤
それはありがたいですね。

泉さん
7月から会社に復帰しました。

小澤
泉さんの場合も仕事のストレスがガンを発生させた最大の原因だったようですが、同じ職場で仕事を続けられたのですよね。

泉さん

支店長から一気に主任に降格されたのは恨めしい気もしましたが、その環境を克服してみようと思いました。逆に厳しい責任あるポストから離れて、ふっきれました。それから、定年後の楽しみにために9月にある会を立ち上げました。

小澤
当時、泉さんは50歳で定年はまだ先ですよね。

泉さん

考え方を変えたのですよ。「治そう」ではなく「治っている」を前提に想定することにした。ガンを治すことを目標にするのではなく、治った後にしたいことを目標に設定したのです。

小澤

どんな会ですか?

泉さん
「そば打ち愛好会」を立ち上げて会長に就任しました。(笑)


◆ガン克服の鍵◆

小澤
高山さんも泉さんも、地元 仙台で患者会活動に携わっていらっしゃいます。ご自身の経験や患者さんと接することで、何かお感じになることはありますか?

高山さん

そうですね、病気だけに囚われていない、別の目標に向かえる人が乗り越えられているように思います。それと潜在意識に根拠のない自信のある人でしょうか。自分に自信が持てなくなる人は、上手くいかないような気がします。

小澤
一人ひとりちがうとは思いますが、そのところの切り換え法はありますか?

高山さん

自分のことだけに囚われるよりは、誰かの役に立って喜びを感じる。そうするとガンのことも忘れますよね。

小澤
《治る:治らない》に囚われ過ぎないほうがいい、と言えそうですね。

高山さん
ガンを治そうということばかりに囚われていると、体調が悪くなったり、どこか痛くなると、またガンのことが頭の中に溢れだす。そうすると、躓いちゃうんですよね。

泉さん
見せかけの治る気持ちじゃダメなんですよね。自分を隠して裸になれないと、ホントの治る気持ちは出ないと思います。

小澤
それはどうしたらできるのでしょう?

泉さん

今の自分が置かれている状況をしっかり受け入れる。そこから切りかえしていく。

小澤
現状を否定していると、ちゃんとしたスタートが切れず、前に進むことができない?

泉さん
たとえば定年後の目標を立てるにしても、現状を受け入れてなかったら現実逃避に過ぎないですよ。それでは足取りがしっかりしない。地についていない。人様にすがるようなもので、自分の歩みではなくなってしまう。

小澤
ガンになる前よりシンプルに生きられるようになったようですね。

泉さん
問題が生じてもあまり深く悩まないようになりました。ガンになった後は、何か問題に直面したらある言葉を唱えるんです。「ま、いいかッ!」 すると、すっと気持ちがリセットできて次に進めるのです。

小澤
ガンになる前は?

泉さん
死んでも口にできませんでしたよ。(笑)


泉建治さん
泉さんのバイブル「幸せはガンがくれた」 体験談を話される時などには必ず持参。当時の図書館のラベルが付いた現物でないとダメなのだそうです。泉さん、新しい本を図書館に寄贈してこのラベル付きの本を貰い受けたそうです。



【編集長感想】

高山さんは退職後、新しい職場で充実した仕事をされています。復帰した会社で57歳まで勤め上げた泉さんは、「そば打ち愛好会」にとどまらず、「能面教室」事務局もされています。さらに昨年、添乗員の資格を取得されツアーコンダクターとしてチャレンジを続けています。

自分自身に起きたことを素直に認め受け入れたお二人。お話を伺うと「正解を見つけたのではなく、正解をご自分でつくっていかれた」という印象を強く抱きました。

お二人との話は医療費節減にまで及び白熱しました。一人ひとりが主体性を伴う健康観を持つことで増え続ける医療費節減の一助になるはずです。高山さんや泉さんのようなガン体験者が情報を発信することは、社会に貢献できる活動に発展していくのではないかと思います。


◆仙台のガン患者会は高山さんが窓口になってくださってます。高山さんの連絡先については、こちらよりメールでお問い合わせください。



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