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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

Kaoruさん 2度の乳がん 2度目は肺・骨転移

がんを経験して、やっと自分の人生のハンドルを握ることができた!
2021年5月 オンラインで取材

【病歴】
30歳、腎盂炎。
32歳、うつ状態。仕事を1年休職。
36歳、退職前の健康診断で右側乳がん。ステージ2で部分摘出、放射線治療、ホルモン治療。
46歳、左側乳がん0期、1年間迷った末に全摘。
2年後ひどい咳で話すこともままならないほど。喘息との誤診を経て肺、骨盤、その他部位への転移とわかる。
50歳の冬のPETCTで肺に小さな腫瘍があるものの、他は消失していた。


Kaoruさん 2度の乳がん 2度目は肺・骨転移




◆人生をリセットしようと思っていた矢先のがん◆

小澤
Kaoruさん(以降 Kさん)、イベント会場で一度お会いしましたね。僕は裏方でバタバタしてましたが。(笑)

Kさん
はい、ご挨拶程度でしたが、お会いしています。

小澤
今日は取材に応じていただきありがとうございます。宜しくお願いします。

早速ですが、先にメールで送ってくださった病歴を拝見すると、30代前半にいろいろありましたね。

Kさん
教職に就いていたのですが、職場環境に翻弄されていた感がありました。とにかく忙しく、週末も仕事の準備に追われました。上司のパワハラ的な振る舞いもありました。

30歳で教員になったのですが、それまでは大学院に通いながら予備校の講師という比較的自由な生活をしていました。それが、ガラッと環境が変わり、学校の教育方針と私が思い描く教育方針にギャップもありました。それに対して当時の私は、自分の基準を尊重して自分で決めることをしない人だったので、肉体的にも精神的にも疲弊していきました。

小澤
それはキツイですね。それで腎盂炎やうつになられた。

Kさん
私自身の問題もありましたが、同時期に離職者が続いたことを考えると職場環境はあまりよくなかったと思います。

小澤
36歳でがんと診断されました。どんな心境でしたか?

Kさん
退職することを決めフリーになる予定でしたので、今のうちにと職場の健康診断を受けたら、がんが見つかりました。せっかく自由の身になれる。運がいい!と喜んでいたら、がんになっていた。

ステージ2で悪性度は高くなかったのですが、浸潤していました。治療方針は、〈全摘出のみ〉〈部分摘出+放射線+化学療法〉の二つが提案されました。未婚でしたので、乳房を失うことは衝撃でした。人生にはこんな事が起きるんだ・・・。

小澤
死はイメージしましたか?

Kさん
人の寿命は80歳くらいと思っていたのが、必ずしもそうとは限らないことを実感しました。死は急に訪れる。やはり、その時は「がん=死」のイメージでしたね。14年前は、まだ情報も少なかったですし。

小澤
僕が「ガンの辞典」を開設した3年後くらいですね。たしかに、当時はネットのがん情報は少なかったですね。

Kさん
治療の情報、とくに標準治療以外の情報はなかなか入手できませんでした。

小澤
代替的なことをやっているドクターも患者さんも、あまり情報を表立って発信していなかったですね。アングラ的でしたよ。(笑)

Kさん

そうですよね。(笑) 36歳で、人生これからだ!と思っていた矢先のがんでした。


◆順調な予後◆

小澤
実際に選択した治療は、部分切除+放射線+ホルモン療法でしたね。

Kさん
何人かのドクターを巡って治療方針を聞きましたが、ドクターによって勧める治療がまちまちなのに驚きました。手術についての見解はほぼ同じでしたが、術後の治療・・・抗がん剤か?ホルモン剤か?両方か?・・・については意見が異なりました。私は抗がん剤をするつもりはありませんでした。

小澤
抗がん剤治療をするつもりがなかった理由は何ですか?

Kさん
よいイメージがなかったし、抗がん剤のルーツなど調べたら使いたくないと思いました。それと、最終的に主治医になってくれたドクターが、ホルモン剤だけでよいだろうという判断でした。

小澤

治療の経過はどうでした?

Kさん
ホルモン剤でも泣くほど辛かったです。2剤併用でスタートしたのですが、途中で1剤に減らしてもらいました。

小澤
退職されての日常生活に支障はありましたか? また、予後のケアとかは何かされましたか?

Kさん
生活面では、また予備校で講師を始めました。

ひとつ支えになったのが、一種のエネルギー療法の指導者さんです。気功のような施術でした。無農薬の自然な食材についても学び、精神的にもすごく助けられました。 

小澤
どうしても再発など不安がつきまとうでしょうから、何か信じる拠り所があると落ち着けますよね。

Kさん

実際、その療法は体感的にもよかったので心身とも回復しました。おかげで予後は順調でした。がんの恐怖を強く意識することもありまなく、仕事を続けられました。


◆2度目のがんと転移◆

小澤

初発の予後は安定した経過を辿っていたが、46歳で今度は左の乳房に発症したのですね。

Kさん
CTで影が映って検査したら0期の新たな乳がんでした。

小澤
10年経ってのがん、どんなお気持ちでした?

Kさん
医療に対する不信感を持ちました。今まで何のために治療や検査をしてきたのだろう・・・? 治療と検査をしていれば絶対に再発しない。そんな風にどこかで信じていたので、裏切られたようなぶつけどころのない怒りを感じたのを覚えています。ドクターや医療スタッフに対してではなく、絶対的と思っていた「西洋医療そのもの」に限界を感じた瞬間でした。

小澤
手術を受ける決断まで1年かかっていますが、この間はどうしていたのですか?

Kさん
ステージ0なら、そのまま放置しても死ぬまでOKかもしれない。ドクターにしつこく聞いたところ、そんな可能性もないわけではない。手術の前に自分でできることをやってみようと思いました。

小澤
2度目でもあり、1度目とは捉え方が変わっていましたか?

Kさん
私の場合は、心理的なことが発病に大きく影響しているというかなり確信的な自覚がありました。母親との関係がこじれたままだったのです。この心理を改善しないと、がんという病気以前に生きている意味がないと思うようになりました。

小澤
生きることを妨げるような心理的課題があった?

Kさん
心の奥深くで絶望していました。その絶望が死に結びついている。なので、手術までの1年間はヒプノセラピー、がん体験者さんのカウンセリング、トランスフォーメショナル・コーチングなどを受けました。

小澤
大きな気づきや変容などありましたか?

Kさん
ヒプノセラピーでは、「この手術は避けられない」と悟りました。いろんな人の運命の糸が織りなす中で、わたしの人生において、今はそういうタイミングなのだと感じました。

また別の個人セッションを受けるなかで、いつまでもグズグズ留まっているより手術をしてすっきりして前に進もうという気になりました。人生をムダにしているようで、もったいないと思いました。

小澤
心の課題に目を向けながら、手術の決心に至った。


〈Kさんの回想〉
Kさんは20歳の頃、祖母の家に泊っていたときにある夢らしきものを見ました。肉体を離れ集合意識のような場所に移動したのです。

2度目のがんが見つかり、ずっと抱え込んでいた心理的課題をこのまま放置しておくわけにはいかないと考えたKさんは、過去生に遡るヒプノセラピーを受けました。しかし誘導で辿り着いたのは、20歳の頃に夢見たあの集合意識のような場所でした。そこには20歳の頃に感じたのと同じメッセージが存在していました。

『ふだんから自分の体を守るために神経を張り巡らして五感をフル活用し疲れていること、肉体がないのは楽なこと』

『自分自身を責めているが、実は、すべての人はどんなに罪深くても、みな許されている』

『全ての人と繋がっている』

そして、誰かに「あなたはそのままでいいんだ」と言われた瞬間に肉体に戻ってきた。

その時、(個人的な事も世の中の戦争や犯罪も)理不尽な事は、なぜそれが起きているかは深いところではすべて知っていて納得していることに気づいた。

それは感覚的ながら、25年近くKさんのなかにちゃんと保存されていたものでした。



Kさん
手術から2年経って、ひどく咳が出るようになりました。肺および骨盤や他の複数部位に転移が見られました。

小澤

治療はどうされたのですか?

Kさん
2剤併用(ホルモン剤とイクリン依存性キナーゼ阻害薬)の薬物治療と玉川温泉に湯治に行きました。治療開始1ヶ月後には咳が劇的に改善しました。CT検査でも腫瘍はかなり小さくなっていました。その時点で、1剤に減らしました。(現在もホルモン治療は継続中)

小澤
レスポンスがよかったですね。

Kさん

コーチングのセッションも受けさせていただいていたことで、精神状態を安定させてアシストしてくれた効果も大きいと思います。


◆人は必要があってその経験を選ぶ◆

小澤
継続して核心に迫る作業はしていたのですね。セッションで心の部分にどんな変化がありましたか?

Kさん
長年にわたり悩んできた母親との関係性です。

母はものすごく心配性だったのです。加えて、わたしは幼い頃から常に大事な判断をするときは母の判断に従うようになっていました。自分自身で大事な決断をしてリスクを取るということがなかなかできませんでした。自分が主体的に何かを決定することをしてこなかったし、無意識に親の期待や周りの人間に評価されるような行動を取るようになっていました。

そういう意味では、ずっと自分の本当の価値観を確立できていなかった。そして、「本当の自立」もできていませんでした。

小澤
養育環境によって身に付けた生き方をしてきたのですね。

Kさん
セッションで、その出来事をどう解釈するか?にフォーカスしました。

「自分がそういう親を選択して産まれてきた。それはどんな学びをするために必要だったのか?」

小澤

親から~された・・・という受け身ではなく、必要があって自分が選んだのだと。

Kさん
被害者マインドから脱出して主体的に自己決定をした感覚を持つということですね。被害者でいる限りは、その被害者意識にエネルギーを奪われてしまうと理解しました。

小澤
差し支えなければ、お母様との関係性を経験する必要性の解釈をお聞かせ願えますか?

Kさん
教育に関わる者として、親子関係を深く見ることができるようになりました。親子関係に悩む生徒に寄り添うためにも必要だったと思います。目に見える明らかな暴力などの虐待でなくとも、わかりにくい虐待ってあるじゃないですか。言葉や態度で子どもを支配するような。

小澤

愛着障害の起因となるようなマルトリートメント(不適切な養育)ですね。躾の一環として隠れてしまうような事例もありますね。

Kさん
一見、素晴らしい親で恵まれた家庭のようなのだけど、果たして本当に恵まれているのか?

医学部予備校で、そういう子どもたちと関わってきました。社会的地位や経済力のある親の元で、苦しい思いをしている子たち。自分の存在価値を感じられない子たち。多分、そういう子たちと触れ合うために私の経験は活かされていると思います。

小澤
なるほど!

Kさん
息苦しい・・・30代くらいから母との関係で、真綿で首を絞められるような息苦しさを感じていました。その真綿の正体は「正義、正しい、子どものために、親の愛情・・・」に包まれている「心配」です。だから、うまくほどくことができなかった。

精神的に自立して、自分の価値観が確立されていれば、もしかしたらありがたみとして感じられるかもしれないものが、当時の私は「自分がしっかりしていないから心配されている」と自分を責めながらも、“負担感”や“踏み込まれた感覚”がありました。

自立できていない自分、価値観が確立できていない自分が生き方の方針を見失っていた。死ぬのも怖いけど、生き続けることももっと怖い。そう感じていました。だから鬱にもなり、実は30代から40代まで漠然と生きていくのはしんどく、生きることに絶望していたのです。結婚もしていない、子供もいない自分が生きる理由ってなんだろう??と思い悩んでもいました。

小澤
子どもの心理としては、虐待やマルトリートメントを受けたとしても、親を慕う気持ちは存在しますからね。生存本能として。

Kさん
母親との関係の何かがおかしいと違和感がありながらも、その違和感の正体が何かがうまくつかめなかったのです。

私はいい歳の大人になりながらも、どこかで大切な決断は親に委ねたり、許可を得ようとすることを無意識に繰り返してきたのだと思います。いい大人になりながら、本質的に自立できていなかった。その末に、自己決定感のなさ、無価値感を自分の中に産んで、「生きづらさ」を感じ続けていたのだと思います。 

自分には大切なことを決定する力が無い。そんな風にどこかで思っていました。

「もう十分に自己決定できる大人なのに、わたしにはそれができない」という杭に繋がったままでした。

小澤
サーカスの子象のたとえ話ですね。杭に繋がれた子象は成長して簡単に杭ごと引き抜く力があっても、そうしない。

Kさん
そうです。だから、そこから抜け出すには病気など大きなショックや、一見ネガティブな現象を使わざるを得なかったのかなと思います。

小澤
Kさんの場合は、がんを経験しないと抜け出せなかった?

Kさん
自分の人生のハンドルを握っていない感覚がずっとありました。がんを経験して、やっと自分で握れることができました。

そんな靄(かすみ)の中を歩いていたような感覚は、母のせいとか母が原因ではなく、私にとっては通る必要のある道だったのだと思います。

がんと向き合いながらも、治ることよりも本当の自分を生きることへの意識が高まっていきました。

小澤

人生の主役の座を取り戻されたのですね。
ご協力ありがとうございました。


Kaoruさん 2度の乳がん 2度目は肺・骨転移




【編集長感想】

Kさんとの関わりで生まれた
『笑ってバイバイ』(テルブックス刊 文と写真:たかのてるこ)






Kさんは、この本によって死のイメージが穏やかになった。
死生観の変化が生きるベクトルに作用し、病の変化にもつながったようです。

治ることよりも本当の自分を生きること

「いま生きている。ならば、どう生きよう」が「治る」の最終活用形なのだと思います。

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