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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

工藤房美さん 子宮頸ガン 肺・肝臓・腸骨転移

あと1ヶ月と告げられた瞬間、希望は消えてしまった。でも、絶望はしなかった!
2016年3月 熊本市北区にて
2015年11月に『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』を出版された工藤房美さんは、10年前に子宮頸ガンを発症する。手術が適用できないほど進行しており、さらに肺、肝臓、腸骨に転移があった。子宮頸ガンの診断時点で、2年後生存率6%。転移が見つかると、主治医は「何もしなければ余命1ヶ月」と告げる。

放射線治療で入院中、一冊の本が届けられた。村上和雄先生の『生命の暗号』。その中に、次のような一節があった。「人間のDNAのうち、実際に働いているのは全体のわずか5%程度で、その他の部分はまだよくわかっていない」 工藤さんは病床で思わず、「バンザーイ!!」と叫んだ。眠っている残り95%の良い遺伝子がいくつか目を覚ましたら、少しは良くなるかもしれない。そう考えて、全身の細胞に「ありがとう」と言うことにした。

しかしそれは決して、ガンを消そう、治そうという意識で声掛けしたのではない。今までムリを強いてきた自分の体に、お礼を言って、感謝して死のうと思ったのだ。死は受け入れたが、絶望はしなかった。ただただ、感謝したかった。正常な細胞にも、ガン細胞にも。

熊本の工藤さんのお店(インド・ネパール料理店)を訪ね、お話を伺ってきました。


*なお、インタヴューアーは「小澤」と表記していますが、同行した杉浦貴之さんからの質問も含まれています。

工藤房美さん 子宮頸ガン 肺・肝臓・腸骨転移
工藤房美さん(中)を囲んで、杉浦貴之さん(右)と共同取材



◆ガンになって、生命の尊厳に思いが至った!◆

小澤
早速ですが、ガンの経緯をお話いただけますか。

工藤さん
2006年5月1日、子宮頸部の扁平上皮ガンと診断されました。私は何の知識もなくて、手術すればそれで済むと思っていました。

小澤
初診時には、転移はわからなかったのですか?!

工藤さん

全身を調べましたが、転移はなかったのです。その後、手術ができるかどうかの検査に2週間ほど費やしたところ、主治医から、「手術はできない。残念だ!」と言われました。子宮のガンが広がっていて、他の臓器を傷つけてしまう。手術で取り切れない、という説明でした。

小澤
それで治療方針が、ラルスに変更になったのですね。

*ラルス(RALS=Remote After Loading System:放射線治療の一つで、遠隔操作密封小線源治療)

工藤さん
手術ができないと知らされた時は、望みが断たれたような気持ちになりました。実はすでに出血が甚だしく、まず止血のための放射線を照射しました。それから、ラルス治療に入ったのです。手術以外に治療法があることに、安堵しました。

小澤
止血の放射線をしてから、さらにラルスをされた。

工藤さん
放射線治療は合計30回でしたが、終盤はお尻の皮膚が爛れたようで服がこすれても痛かった。ラルスは3回の予定だったので、放射線を30回やり終えた時は、もうあと3回治療すれば家に帰れる。あと少しの辛抱と、自分を励ましました。

小澤
ラルスはどうだったのですか?

工藤さん

拷問のようでした。(注:当時の施術法と現在の施術法はちがいます) タオルを持参するよう指示されましたが、それは口にくわえるためでした。痛くて苦しくて悲鳴を上げた声が、タオルに塞がれる・・・。

小澤
壮絶・・・ですね・・・想像も及びませんが・・・。

工藤さん
治療を終えて車椅子で病室に戻りましたが、体に力が入らず立つこともできませんでした。ガンになったことより、この治療に無力感を覚えました。

小澤
そんな折に出会ったのが、村上和雄先生の本!?

工藤さん

三男が通っている小学校の先生が、贈ってくださいました。「生命の暗号」です。

小澤
遺伝子に関する内容ですが、興味が湧いたのですか?

工藤さん
いえ、実は、本が届いた翌日が2回目のラルスだったのです。あの恐怖の治療のことを思い浮かべないようにと、読み出しただけだったのです。(笑)

ところが、読み出すと感動が半端じゃなかった。こんな遺伝子の働きのこと、ちっとも知らなかった。私、科学者になればよかった!と思ったくらい。(笑)

小澤
著書には、「夜中、病室のベッドの上で、バンザーイ!と大声で叫んだ」とありますが、何が心に響いたのでしょうか?

工藤さん
ものすごい可能性がある!! 遺伝子のうち3~5%しかスイッチが入っていない。残りの多くは眠ったままだ。じゃ、そのうちの一つ、二つでも良い遺伝子のスイッチが入れば・・・という可能性に希望を見出せた。

小澤
それは、ガンが治るかも、という希望ですか?

工藤さん
いえいえ、私、ガンを消したいとか一度も思ったことがないんです。今より、ちょっとだけいい気分になれる可能性に希望が持てた。人間って、スゴイ!! それは自分のことだけでなく、家族、日本中の人、世界中の人、みんな素晴らしい!! 最後は、すべての生命が愛おしくなって、地球を抱っこしているような気分になっちゃいました。(笑) 生命の光を感じました。

小澤
本を読んだだけで、確かに何かの遺伝子にスイッチが入ったようですね!(笑)

工藤さん
そうしたら、今まで懸命に支えてきてくれた体への、細胞への、感謝の気持ちが湧いてきました。細胞の数だけ・・・60兆・・・お礼を言おうと思ったのです。

小澤
それが、「ありがとう」。

工藤さん
あとどのくらい生きられるかわからないけど、せめて自分の細胞に「ありがとう」とお礼を言って、死にたいと思ったのです。

小澤
何かを求めて、ありがとうの声掛けをしたわけではない?

工藤さん
治るために「ありがとう」を言ったわけではないんですよ。細胞に痛い治療を強いてごめんね。愛してるよ、という意味を込めての「ありがとう」でした。お礼を言い続けて翌日のラルスを受けたら、なんと痛みが全くなかった。びっくりしました。


工藤房美さん 子宮頸ガン 肺・肝臓・腸骨転移
屈託なく体験談を語ってくださる工藤さん



◆転移が発覚! 余命宣告! 消失!◆

小澤
「ありがとう」のおかげで、予定通り3回のラルス治療は受けられたのですね?

工藤さん
治療を終えて1ヶ月半後、経過観察のため受診しました。ふだん仏頂面の主治医を私たち患者仲間は「鉄仮面」と呼んでいましたが、その鉄仮面がレントゲン写真を診て笑いました。

小澤

良い結果の笑顔ですね。

工藤さん

子宮のガンが消えていました。

小澤
おお、やりましたね!

工藤さん

ところが、喜びも束の間、放射線治療室から連絡が入りました。肺と肝臓の転移が、確認されたのです。肺全体にびっしり散らばり、水玉模様になっていました。肝臓には、こぶし大と種をばらまいたようなガンがありました。「この状態で、座って(体を起こして)呼吸している人を見たことない」と、主治医が言いました。

小澤
初診時には、なかったのですよね?

工藤さん
ええ。だから、1ヶ月ちょっとくらいで広がったのでしょうね。主治医は、抗ガン剤治療を強く勧めました。それで私、聞いたのです。「抗ガン剤は、どのくらいの割合で効くのですか?」 主治医の答えは、「百のうち一つでもあれば・・・何もしなければ1ヶ月も生きられない」というものでした。

小澤

で、抗ガン剤治療を受けた?

工藤さん
私は、受けたくなかったんですよ。でも、病院に家族を呼ばれ、多数決で抗ガン剤を打つことに決まってしまいました。

小澤
医師としては、何もしない訳にはいかない。言葉は悪いですが、ギャンブルに近いような抗ガン剤治療という認識だったのでしょうね。

工藤さん

結局、9月~11月にかけて6回治療を受けました。2回目が終わった時は、影が少し薄くなりましたが、転移したガンはまだ残っていました。6回終わって、さらに抗ガン剤治療の追加を指示されましたが、さすがにもう体が持たないと思って、どうにかこうにか中止を受け入れてもらいました。

小澤
この間も、ありがとうを言い続けていたのですよね?

工藤さん

抗ガン剤で抜け落ちた髪の毛にも、ありがとうを言いました。そして、2007年3月、ガンと判って10ヶ月後、検査をしたらガンが消えていたのです。


◆物事、一方向だけからは見ない!◆


小澤
ちょっと話を戻りますが、ガンと告げられた、どういう思いが浮かびましたか?

工藤さん
「ああ、そうなんだぁ」ですね。

小澤
その時の「ああ、そうなんだぁ」は、どんなニュアンスだったのですか?

工藤さん
ガンと聞けば、「=死」を連想しましたから、「ああ、そうなんだぁ。私は死ぬんだ」と、ただそれだけですね。

小澤
当時持っていたイメージ共々、告知されたガンを受け入れた。そういうことですか?

工藤さん
ただ、事実を受け入れた。それだけです。そうするしかなかった。

「ガンという病名を聞くと、多くの患者さんは頭の中が真っ白になって、中には泣く人、失神する人もいる。そして一様に、どうして私が?と嘆いたり、うろたえる・・・あなたは珍しい」と、主治医に言われました。(笑)

小澤
一般的には、自分がガンであることを認めたくない、否定する心理が発生するのに、工藤さんはスンナリ受け入れたものだから、主治医も呆気にとられた!?(笑) ショックはなかったのですか?

工藤さん

大きな声で言えませんが(笑)、ショックはなかったんですよね。

小澤
これまでの人生で起きた様々な物事に対しても、そういう受けとめ方をされてきたのですか?

工藤さん
どちらかといえば、そうだと思います。要するに、私、思考が浅はかなんですよ。お気楽で単純な性質なんですね。(笑) 今までも、「どっち選ぶ?」と突きつけられた時に、ただ単に「奪う」より「与える」ほうを選んで生きてきただけなんです。

小澤

「奪う」より「与える」を選ぶのが、工藤さんの生きる基準、生き様だった!?

工藤さん
でも、ガンになって気付いたのは、“人によかれ”という思いが深くなかったということでした。もっと深い愛があったのではないか・・・。そんな感情が出てきました。私の中に愛を入れる器があるとしたら、「ガンですよ」と告げられた時に、その器が小さかったことを知りました。ガンという病名を聞いた途端、器が広がったように感じました。

そしてその後、もう余命1ヶ月ない、明日があるかどうか、を突きつけられた時に、広がったと思っていた器が、まだまだ小さかったことに気付きました。「ガン=死」だけど、怖れる感情は出て来なかった。

さらにそこで出会ったのが、村上和雄先生の本だったのです。

小澤
その気付きで、工藤さんに何か変化がありまあしたか?

工藤さん
選択肢が無限にあるんだ、と思うようになりました。今日一日、いまこの瞬間、どう生きようか?それは、自分で選ぶことができる。だから、今日はこんな日にしよう!って、自分で決めることにしました。

余命を告げられてからは、尚更、自分で決めましたね。今日は、洋服と靴を捨てよう・・・とか。

小澤
終い支度もされたのですか?

工藤さん
しましたよ。だって、もうあと僅かしか生きられないと思いましたから。残った主人と息子のことも考えて、余分な物は処分しようと。3人の息子には、それぞれに遺書を書いて渡しました。

「ありがとう」を言い始めたのも、いまのうち言っておかないと間に合わないという思いからです。

小澤
命の限りをわきまえ、終い支度をし、一方で、今日一日一瞬に生きるエネルギーを注ぎ切る。その切り替え、見事ですね。

工藤さん
物事、一方向だけから見るのは嫌なんですよ。一方向からしか見なかったら、進歩しないと思うんです。

小澤

そういう見方をするようになったのには、理由があるのですか?

工藤さん
小学生の時に、体験しました。私の親は、授業参観に来たことがなかった。クラスで私を含め、親が授業参観に来ない児童が3人いた。クラスの後方で、保護者の囁く声が聞こえました。「あの子、可哀想なのよ。両親がいなくて、おばあちゃんが育てている。あの男の子なんか、もっと可哀想。親の顔も知らない。それから、あの子も親がいなくて、おじいちゃん、おばあちゃんに育てられてる。可哀想・・・可哀想・・・」 いったい誰を指差しているのかと思い、後ろを振り返ったら、私のことでした。

私のことを他人が指差して、「可哀想」と言っている。果たして、私は可哀想なのか? でも自分では、可哀想なんてちっとも思っていない。だから、物事の捉え方は受け取る人によって異なることを、その体験で思い知ることになったのです。


工藤房美さん 子宮頸ガン 肺・肝臓・腸骨転移
ガン患者さんが多数訪れる、インド・ネパール料理のお店



◆人生を楽しむ!遺伝子の喜ぶことをする!◆

小澤
抗ガン剤治療を止めた後は、何か療法をされたのですか?

工藤さん
毎朝、朝陽を浴びること。毎日、感謝すること。それしか、していません。「あれがいいよ」「これがいいよ」という話は、いっぱい来ました。(笑) でもね、世界では満足に食べることもできず死んでいく子供たちがいるのに、「あれがいい」「これが悪い」なんて言っては申し訳ないと思うんです。「良い、悪い」を決めるのは、その物自体ではなく、自分の心です。そういうジャッジをする気は、なかったです。

小澤

それは、やはり死を受け入れていたからなんでしょうか?

工藤さん
そうですね、余命1ヶ月を宣告されるほどの末期ガンだったから、ということはあると思います。中途半端なステージだったら、すこし違う心境だったかもしれない。だから、痛みが出たり、熱が出ても、自然に任せました。

小澤

それは良い意味での開き直りとも言えるでしょうが、決して絶望感はなかったように感じます。いかがですか?

工藤さん
私、人生で、絶望したことはないです。あと1ヶ月と告げられた瞬間、希望は消えてしまった。でも、絶望はしなかった。

小澤
告知を受け入れるだけで、絶望しなかったのはなぜでしょう?

工藤さん
今回の人生で共にした肉体をお返しするのが、「死」だと思ってます。そのお返しする終わりの時が来て、魂はまた次のステージに行く。だから、死は怖い事でも、悲しい事でもない。それが私の死生観なので、絶望する必要が無い。

小澤

そういう死生観で、余命わずかのガンを受け入れていた。そのガンが消えた! その事実を知った時、何が心に浮かびましたか?

工藤さん
・・・(照れ笑いを浮かべ)・・・「うわぁ~、私、まだ何せないかん??(笑)」 正直、やった!嬉しい!よりも、まだ終わりじゃない!? じゃ、何をしろってことだろう!?

小澤
自然に任せて、感謝してたら、「まだこの人生、終わりませんよ」って遺伝子にスイッチが入ったようですね。

工藤さん
遺伝子にスイッチが入るということでは、次男に「この状況を楽しんで!」と言われたのは、衝撃でしたね。

小澤
抗ガン剤治療で、髪の毛が抜けてしまった頃ですよね。

工藤さん
髪の毛が一本もない私の頭を見て、そう言ったんです。「楽しんで!」 それを聞いた途端、今まで自分は楽しんでなかったことに気付きました。強烈な電気ショックを受けたようでした。常に、誰かの為にやってきたのだけど、そこに“楽しむ”はなかった。

ガンになるまで、無理してましたね。思考が偏っていました。「~ねばならない」の負担があった。頑張らねばならない、と思い込んでいました。それで昼夜問わず、頑張り過ぎてましたから、そりゃガンになるよね~、ごめんね~、でした。

小澤
工藤さんでも、「~ねばならない」思考に囚われていたのですか!?

工藤さん
ですから、今は、私の遺伝子が喜ぶことだけを選択して生きています。

小澤
最後に、いま現在、ガンと向き合っている真っ最中の方に、一言メッセージをお願いします。

工藤さん
はい。「毎日、いい気分でいること」です。いい気分は、他者がつくったものではなく、自分でつくるのです。

小澤

ご協力、ありがとうございました。


*工藤房美さんの著書
『遺伝子スイッチ・オンの奇跡』 風雲舎






【編集長感想】

ガンを契機に、工藤さんが“遺伝子が喜ぶことを選択した”一つが、ネパール支援です。その一環として開店した、インド・ネパール料理店(熊本市北区)を訪ね、鼓を打った後、インタヴューに応じて頂きました。

工藤房美さん 子宮頸ガン 肺・肝臓・腸骨転移
カレーとナン とっても美味しい!


実際にお会いすると、なんとも不思議な包容力を感じます。別に何らかの宗教の教えを説くわけではないのですが、大仏様や観音様が語っているような感覚・・・とでもいいましょうか。意識が大きく広がり、穏やかな気持ちになるのです。

そのせいかわかりませんが、工藤さんのもとに多くのガン患者さんが参られます。遠方からも、直に会いに来られるのです。

工藤さんとコンタクトを取ったガン患者さんで、いい気分でいるようにしたことにより、回復されたお二人の事例もお聞きできました。

なお、今年2月より「まほろの会」を始められました。自由に語り合い、癒しをみんなで共有し、元気を充電する場です。



【追記】
4月の熊本地震では、工藤さんのお店も甚大な被害に遭われました。今更ながらですが、心よりお見舞い申し上げます。(お店はすでに営業再開されています)

◆インド・ネパール料理 ロータスのブログはこちら!
(まほろの会のご案内も、ブログに掲載されています)









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