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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)

病院には振り回されたけど、ガンには振り回されなかった!
2017年3月 浜松にて
栄養がなくても自己増殖する、組織的には最も悪性度が高い乳ガンが見つかったのは、2010年の夏。「3年生存率は25%、5年生存率は0%」と、医師は事務的に告げました。乳ガン術後1年経たないうちに、今度は肺に影。摘出した細胞を調べると、乳ガンの転移でもなく、肺ガンとも確定できない原発不明の悪性腫瘍でした。大上さんがされたのは、自分の信じる医療をその都度、その都度、自分の意志で選んだことです。


大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
大上恵子さん(右)と編集長  



◆心配したのは、ガンより会社のこと◆

小澤
「がん治っちゃったよ!全員集合!浜松」(2016年12月25日)では、スタッフとしてお手伝い頂き、ありがとうございました。また今日は、体験者としての取材にご協力頂き、感謝します。

大上さん
私の体験がお役に立つかどうかわかりませんが・・・。わざわざ浜松まで、ご苦労様です。

小澤

では早速ですが、発症されたのはいつでしたか?

大上さん
2010年の6月(当時49歳)に、胸にハリとちょっとした痛みを感じ出しました。当時は、会社員としてバリバリ仕事をしていました。毎年受ける人間ドックから、ちょうど半年経った頃でした。乳腺に炎症でも起こしているのかしら?と、軽い気持ちで婦人科系の個人病院を受診しました。

小澤
その時は、乳ガンを疑うことはなかったのですか?

大上さん
ええ、まったく想像しませんでした。祖父母、曾祖父母、伯父など家系にはガンが多かったのですが、でも「自分は大丈夫だ。ガンにはならない」と理由もなく除外していました。

診てもらった個人病院では、うまく生検ができなくて、大きな病院を受診するよう勧められました。診察室を出る際に、「まだガンと決まったわけじゃないからね」と背中越しに声を掛けられた途端、頭の中が真っ白になってしまいました。

小澤
その時、大上さんにとって、ガンのイメージはどんなものでしたか?

大上さん
「ガン=死」 死刑宣告でした。それなのに、大きな病院での診察予約が2週間後・・・!? そんな悠長なことでいいのか!? 急に焦り出しました。

すぐさま、友人から教えてもらった乳腺専門外科に電話したところ、たまたま週明け月曜日の朝一番に空きがあり、予約が取れました。

小澤
ガンという言葉が、大上さんを緊急態勢にさせたのですね!?

大上さん
初診から1週間後に、細胞診の結果を主人と聞きに行きました。すると、医師から結果を聞く前に、カルテに記載されている「乳癌」という文字が目に入ってしまいました。

小澤
診断が乳ガンと確定して、どんなお気持ちでしたか?

大上さん

ガンができた場所としては体の外側で、生命活動をするために絶対欠かせない器官ではない・・・だから、切って取ってしまえば何とかなる。そんな風に考えました。ですから、意外と深刻になったり、大きく落ち込んだりはしませんでした。気になったのは、ガンのことより、会社の事でした。

小澤
ガンより仕事のことを心配された?

大上さん

ちょうど会社が合併に向けて動いていたのです。研修やら、業務のやり方の変更やらで、毎日夜の11時、12時まで残業していました。そして合併後は、再編成される支部のリーダーを任されることになっていました。

小澤
それは超多忙の最中でしたね。


大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
乳ガン発覚前、前途洋々バリバリに仕事していた頃の大上さん



◆手術の段取りに疑念◆

大上さん
医師に手術に要する入院期間を尋ねたら、7~10日ということでした。それなら、夏休みを利用して入院すればいいなと考えました。さらに、手術についての質問を医師にしました。「全摘ですか?」 医師の返答は、「好きにしていいよ!」

小澤
えっ?! 医師から術式や予後の説明は、されなかったのですか?

大上さん

ガンの大きさは、3cmくらいと言われました。ただ、術式については「全摘でも部分切除でも、どっちでもいいよ!」という言い方をされた。私はその言葉に、正直“カチン!”ときました。

小澤
執刀医ですよね?

大上さん
いえ、手術は、診察してくれた乳腺専門医が以前に勤務されていた病院で執り行われます。その予約を取る際、何も分からない状況なのに、「どっちにする?」と丸投げされた。判断材料を提供せずに、さあ決めて下さい!という対応は、合点がいきませんでした。

小澤
しかも、実際の執刀医は別のドクターですもんね。信頼関係が築けませんよね。

大上さん

これ以上話しても埒が明かないので、手術を受ける病院で追加の検査をしました。担当の女性医師は、乳ガンは10年くらいかけて緩やかに大きくなるのに、どうして今まで気づかず放置したのか!?と咎めるような口調で言われました。「毎年、マンモかエコーの検査をして、つい半年前も受けて異常は見つかりませんでした」と答えたら、「そんなことあるわけない!」と断じられました。

小澤
大上さん、なんか無神経なお医者さんに当たりますね!?

大上さん
細胞診とMRIの結果、私のは“特殊なガン”と判定されました。医師は「あなたのは、栄養が無くても自分で大きくなれるガン」という表現をしました。そのような検査結果も踏まえ、私としては全摘でもいいかな、と考えました。全摘したら抗ガン剤を使わなくて済むだろう、と勝手に判断したのです。

小澤
抗ガン剤は使いたくなかったのですか?

大上さん
抗ガン剤の副作用で脱毛すると、仕事に差し障りがあるなと・・・「抗ガン剤=髪が抜ける=会社に行けない」という連想でした。

小澤
そこも、仕事優先だったんだ!?

大上さん
でも診察の最後に、「全摘でもリンパにガンがあったら抗ガン剤治療はしますよ」と言われました。全摘でも抗ガン剤をすることになるのか・・・と戸惑いながらも、全身のPET検査をして、手術日を決め、あとは手術前日に入院する際の注意事項を聞いて、その場を後にしました。

気持ちが落ち着くと、ふと不安がよぎりました。「この流れだと、全身の検査結果を踏まえて手術やその後の治療を検討する間もなく、即手術になってしまう。それでいいのだろうか?」

小澤
う~ん、確かに。とりあえず全身の検査はするけど、結果にかかわらず手術はこっち(病院)に任せとけばいいんだよ!という対応にも取れますね。

大上さん
そんな疑念を抱きながら、医療保険の手続きのため保険会社の担当者に連絡したら、その方のご主人が肝臓ガンを経験されていました。ご主人を治療した病院のドクターは名医だから一度診てもらいなさいと、助言されました。

小澤
新たな情報が入ってきましたね。

大上さん
実はその前に、別の乳腺専門の病院に行ったんです。紹介状も検査データも持たず飛び込みでしたが、意見を聞いてみたくて。でも、経緯を話しだしたら、「手術するしかないでしょ。別に僕が診ることないよ」と、取り合ってもらえませんでした。5分もせずに、診察室から追い出される有り様でした。もう、病院に対する不信感が増しました。(笑)

小澤
「忙しいのに、そんなことで手間取らせるなよ!」って感じですか?(ため息) 大上さん、行く先々でドクターに荒ぶる言葉を浴びせられてますね!?(苦笑)

大上さん
保険の方から紹介されたときは、ちょうど心が折れていたところだったので、「どこ行っても同じだよ」と乗り気になれなかったのですが、また電話がかかってきて強く勧められました。ネットで調べてみると、日本で5本の指に入る化学療法専門の腫瘍内科医ということでした。それで、一度セカンドオピニオンを聞いてみようと、受診しました。

小澤

今度は外科ではなく、内科のドクターですね。

大上さん
その先生は、丁寧に診察してくださいました。「ガンはタンポポの種みたいに全身に散らばっている。その散らばっている種を、手術より先に叩くことが必要」という説明は、術前もしくは術後の抗ガン剤治療の選択も一任されていた私にとって、腑に落ちるものでした。

小澤
術前に抗ガン剤治療を受けてみようという気持ちが、芽生えてきた?!

大上さん
既に手術日も決めていたので、悩ましい状況になったのですが、執刀する女性医師には打ち明けてみようと思いました。病院に診察予約の電話を入れると、その先生は夏休み中で、勤務に戻るのは私の手術当日ということでした。PET検査の結果も、当日の朝に伝えますと言われ、「それはないでしょ!!」と納得できなかった。

それで、手術3日前にキャンセルして、腫瘍内科医のところで抗ガン剤治療を開始しました。毎週1回×12、4週間に1回×4ですから、翌年(2011年)の1月末くらいまでやりました。途中、副作用でしばらく休薬もしました。

小澤

けっこう長い期間、治療したのですね。お仕事の方は?

大上さん
休職しました。就任予定だった支部のリーダーの件は、上司にお願いして撤回してもらいました。抗ガン剤治療の結果は、原発巣が5mm小さくなって、3月14日に温存手術を受けました。(手術は腫瘍内科医の病院に非常勤で来られている、乳腺外科医が在籍している医療機関で執り行われた) 私のガンは悪性度が最悪で、トリプルネガティブ(ホルモン受容体ER/PgR陰性、HER2陰性)でした。割に包み隠さず話す先生で、3年生存率は25%、5年は0%・・・さらっと告げられました。

小澤
ズバリと統計の数字を伝えられていたのですね!?

大上さん
そう言われたのですが、なんとなく他人事のように思えて、根拠もなく「自分は大丈夫だろう」と呑気に構えていました。温存だったので、1ヶ月後に放射線治療が始まり、計25回照射しました。その後は服薬もなく、8月末から復職しました。

小澤
治療を始めて、約1年ですね。

大上さん

職場に戻るとすでに合併後ですから、以前とまったく様相が異なり、別会社のようでした。元の同僚も散り散りで、見知らぬ顔ばかり。業務システムもすべて変更されていて、戸惑う事ばかり・・・毎日、ストレスでしたね。

小澤
仕事に復帰したものの、休職前に比べ心身への負担が大きい労働環境になっていたのですね。


大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
想像を絶する波乱万丈の人生を穏やかに語る大上さん



◆信頼が崩れる◆

大上さん
毎月1回、経過観察に通院していました。2012年1月の検診に行ったら、病院のスタッフに「誕生月にはX線検査をしてもらってます」言われました。

小澤
えっ!?毎月の診察はどんなふうだったのですか?

大上さん

医師から体調はどうですか?と聞かれるだけで、画像も血液検査もしませんでした。事の成り行きで検査を受けたら、画像を診た医師が「アレッ?!」って呟くんです。肺に白い影がある。それで、(提携している)病院でCTを撮ったところ「肺転移」と診断されました。

それはもうショックで生存率の数字が脳裏に浮かび、「今度はダメなんだ」と落ち込みました。

その時診察してくれた医師(執刀医)の、「大上さん、手術からまだ1年経ってないよね?」という問いかけがズシンと心に重くのしかかりました。さらに、院長(化学療法の権威である腫瘍内科医)に、「手術して1年も経たないうちに転移しちゃうもんなんですか?」と訊くと、返ってきたのは「そんなの想定内だよ」の一言。

小澤
想定内!?・・・その割には経過観察がゆるゆるでしたね。

大上さん
そうでしょ!! 画像検査は誕生月だからということでしただけで、それまで何の検査も対策もしないで“想定内”!?  パソコンの画面に向かい、私の顔を見ることなく、言い放った・・・それまでの信頼が崩壊しました。それでも気を取り直して、「手術はできますか?」と尋ねたら、「手術、手術って、ガンが出る度に体を切り刻んで・・・鳥越俊太郎じゃあるまいし」という言い草。。。「これからもどっかに出る度に切るの?!それより抗ガン剤しかないよ!」

小澤
いくら抗ガン剤専門の腫瘍内科医であっても、言い方がありますよね。(怒) 外科への対抗心でもあるのかな??

大上さん
「治らないからね。延命治療だよ」としっかり前置きされた上で、内服の抗ガン剤治療を1年しました。

小澤

受け入れ難い対応だったが、治療は受けることにした!?

大上さん
抗ガン剤治療を開始する前ですが、叔母の紹介で呼吸器外科の意見を聞きに行きました。やっぱり、肺の専門家に診てもらったほうがいいだろうと思って。すると、負担の少ない術式で手術できるという見解でした。ただその時は、肺にメスを入れるのが怖かったのと、腫瘍内科医の治療を断りにくかったので、見合わせることにしました。呼吸器外科医は、そのドクター(腫瘍内科医)のことも知っている
ようで、「そこの治療が不安になったり、手術する気になったら、いつでも来なさいね」と言ってくれました。でも、手術を受ける勇気がなくて、1年飲み続けたのです。

小澤
治療しながら、仕事は続けられたのですか?

大上さん
副作用で全身のだるさ、節々の痛み、手足のしびれがあり、とくに足の裏は接着剤がくっついたような感覚で歩きにくかった。それでも仕事はしていました。でも3ヶ月経った頃だったかな、職場のリーダーに副作用のつらさを打ち明けたら、「死ぬことわかってて、なんで仕事なんかしてるの!?」と言われ、ポキッと心が折れました。

小澤
死の輪郭がくっきりしてきただけに、胸に突き刺さる言葉だったのでしょうね。

大上さん
家のローン、今まで積み上げたキャリア、休職しても席を残していてくれていた会社・・・いろんなことが頭の中で渦を巻く。仕事を辞めるわけにはいかなかった。

それと、乳ガンになる前年、母がクモ膜下出血で倒れ、1ヶ月生死を彷徨いました。なんとか命は取りとめましたが、私は毎朝病院に行ってから会社に出勤し、退社後また病院、帰宅は11時という生活をしていました。

小澤
病院→仕事→病院→帰宅・・・看病、フルタイムの仕事、しかも合併準備で大わらわ、看病、家事・・・そりゃ、体は悲鳴を上げますよね。

大上さん
私の両親と同居していたのですが、父はすべて母に任せきりで何にも出来ない人。お湯を沸かせるくらいですかね。(笑)

小澤
じゃ、お父さんの面倒も見なくてはいけないですよね。

大上さん
今思うと、どうやってこなしていたのか、自分でも不思議なくらいです。 

話を戻しますと、いつの間にやら社内に「大上さんは退職する」という路線が敷かれてしまい、辞めざるを得なくなってしまいました。退職に追い込まれた仕打ちはひどいなと思いましたが、私自身、毎日出社するのが精神的、肉体的に辛くもあったので、これはこれでいいかと受け入れました。

小澤
望む形ではなかったが、ストレスフルな仕事から解放された。

大上さん
2012年の末に、抗ガン剤の副作用とは異なる、なんともいえない体の不調を感じるようになりました。実は、そのちょっと前に一度に両親を亡くしたこともあって、その精神的ダメージも大きかった。

あまりの違和感に、腫瘍内科医のところで検査をお願いしたところ、「それはこちらで決めるから」と取り合ってもらえなかった。これはもうダメだと思い、セカンドオピニオンを伺った呼吸器外科を頼りました。

小澤
いつでもいらっしゃい、と言ってくださったドクターですね!?

大上さん
予約もないのに、その日のうちにCTまで撮ってくれました。結果、肺のガンは大きくなっていました。手術するなら今のうちということで、2013年の2月に切除しました。ところが取った組織を調べると、乳ガンの転移でもない、肺の原発のガンでもない。

小澤
原発不明・・・ということですか。

大上さん
執刀した呼吸器科のドクターは、確定できないものの、念のため肺ガンの抗ガン剤をすることを勧めました。それで、3月から7月までやりました。現在は3ヶ月に1回のペースで、経過観察しています。お陰様で特に問題はありません。


大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
抗ガン剤の副作用でウイッグを着けられている頃



◆病院には振り回されたけど、ガンには振り回されなかった!◆

小澤
乳ガンが見つかってから、ずっと現代医学の治療を受けてこられたわけですが、ご自身の生活習慣を見直すようなことは?

大上さん
食生活を変えて良くなった、○○ジュースが良かった、というお話を聞きますが、その人に良かったものが必ずしも私に良いとは限らない・・・懐疑的でした。生活上のいちばん大きな変化は、仕事を辞めたことですね。あとは、特にしていません。

小澤
それにしても、職場や医療機関ではいろんなアゲインストの風を受けましたね。ドクターからも、傷つく言葉をかなり浴びせられている。でも、押さえるべきポイントは押さえているというか・・・決してドクターの言うがままではないし、不信感を抱いたらスパッと次なる行動に移して、セカンドオピニオンを取っている。受けた医療は現代医学だけでも、主導権は渡していないし、依存していない。逞しさ、自立心を感じます。

大上さん
そうですね。私、自分で言うのも何ですが、小さい頃から普通の人の10倍くらいは苦労して生きてきたと思います。妹が障害者だったので、親は妹に付きっきり。いつも独りで留守番でした。後年、その妹は事故で亡くなり。両親の不仲やら、経済問題やら・・・。そしてこの5年間は、ガン以外にも「人生でこれ以上のことはない!」というくらいの出来事も経験して・・・よく乗り越えてきたなとは思います。

小澤
病気を乗り越えた先に、明確な夢や目標を掲げて、それを常にイメージして治す!というタイプでもなさそうですよね。

大上さん
同居しているワンちゃんたちを置いて、先に死ねないという気持ちはありますけど。(笑) 船で遭難したら、あそこに島影が見えるから必死に漕いで、何としても辿り着くんだ!というタイプではありません。波に任せて漂うタイプ。大波が来たら、とりあえずそれを乗り切るだけ。

大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
愛犬のティティちゃんとムーニくん



小澤
何が支えになったのでしょう?

大上さん
もともと私は、落ち込んでくよくよ引きずるタイプです。でも、人生で落ち込むことが多過ぎて慣れたのか、落ち込んでもどうにもならないというのを習得したのかもしれません。

小澤
落ち込み慣れして、開き直りが身に付いた?! とすると、ガンが悪くなるのを避けるために、□□をしてはいけない! △△をしなきゃいけない!という思考にもならなかった?

大上さん
ならないですね。お酒もバンバン飲みますし。(笑) ○○しなければ治らない、とか考えるヒマなかったですね。その場その場を乗り越えるのに必死だっただけです。

小澤
突き付けられた課題は変えようがないから、次から次へと課題に答え続けただけなんですね。つまり、目の前の“今”に対峙し続けた。

でも、仕事を辞めて時間ができたら、余計なこと考えるようになりませんでした?

大上さん
他にも人間関係の悩みがあって、そっちの方が重大で、ガンで悩んでいる場合じゃなかったんです。(笑) ガンはなるようにしかならない、と思っていたんですよね。

再発の時は怖かったですが、考えてみると、人間はいつか死ぬ。車の事故で死ぬかもしれない、心臓発作で死ぬかもしれない、災害で命を落とすこともある・・・両親の死のこともあって、そう考えてみるとガンはまだありがたいな、と思うようになりました。いつしか、「ガンは一緒に生きるもの」という思考になりました。

小澤
そうすると、ガンは何がなんでも絶対治さなければいけない、という肩肘張った力の入れ具合ではなかった?

大上さん
乳ガン初発の時は、本屋さんに行ってガンに関する本を手にとってみましたが、どれも内容は著者の主観であってオールマイティではない。あれがいい、これで治った、という情報にアクセスしだしたら、キリがない。だからその手の本は、読んでないです。

自然治癒力は大切だと思いますが、私は医学の力も信じて、その都度、その都度、自分の意志で選んだという感覚はあります。

小澤
お話を聴いていて、それはすごく感じますね。選択に主体性がある。新たな医療機関の情報という追い風も、ひどい仕打ちを受けた逆風も背に受けて、自分が進む推進力として使っている。ちゃんと判断材料にして、決断を下している。落ち着いているし、客観視できています。病院には振り回されたけど、ガンに振り回されてはいませんよね。

大上さん
もし今度またガンができたら、その時はそのとき! だから、絶対再発を防がなければ!という意識はないですね。

小澤
治し方が生き方と一致している人は、強いですね。

大上さん
そうですか? ガンより恐ろしい目に、いっぱい遭っているからかな。(笑)


大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
癒されてます



【編集長感想】

今までの取材した体験者のなかで、登場するドクター数がおそらく最多ですね。それは、パニック的なドクターショッピングではなく、大上さんの病気、体、人生と向き合うドクターの姿勢を見定めていたからだと思います。

どんな治療であっても、権威、名声、治療実績より、どんな人がどのように介入するか? そして、受ける患者さんがどんな意味付けをするか? それによって、辿り着く先が大きくちがってくるのだと思います。

後日、大上さんに写真の提供をお願いしたところ、次のようなコメントが添えられていました。

「かつらも、癌にならなければ被る事なかったし、抗がん剤も経験しちゃった!って色んな副作用も楽しんでました。

髪が生え始めたときも、ハゲ鷹の赤ちゃんみたいって手触りを楽しみ、今思うと信じられない坊主頭で、かつらをとり、こんな事がなければこんなベリーショートになることもなかったと楽しみ、短い髪の毛を工夫して結って、浴衣を楽しみ。振り返ると、常に楽しんでました(笑)」 

大上恵子さん 多重ガン(トリプルネガティブ乳ガン・原発不明の肺腫瘍)
ベリーショートの浴衣姿



インタヴューでは、ご自身のことを「私って情けないし、ダメダメだなって思い続けて来ました」と仰っていましたが、いやいや、胆が据わってます。









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