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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

石川利広さん 胆のうガン(手術不能)

人生を振り返るチャンスをくれたガンよ、ありがとう!!
2017年12月 いずみの会(名古屋)体験者発表より
「大きなピンチの時ほど、明確な目標を持つとよい」という人生訓があります。胆のうガンで余命を告げられた美容師の石川さんは、自分の命が尽きるかもしれない1年後に成人式を迎えるお嬢さんの髪を結ってあげたい・・・それがただ一つの願いでした。治すためではなく、お嬢さんの成人式を自分の足で立って祝うために、命を使い切ろうと決意しました。


石川利広さん 胆のうガン(手術不能)
ガン患者会 NPO法人 いずみの会(名古屋)は、毎月事務所を開放して、ガン患者が集うおしゃべりサロンを開催。定期的にゲストスピーカーをお招きし、ガン体験談を語って頂いています。



◆余命1年の胆のうガン◆

2015年2月(当時68歳)に、札幌の雪祭りに行きました。出発の数日前からお腹に膨満感があり、体調は良くありませんでした。現地に到着したものの、食事もお酒も美味しくありません。折角の北海道を楽しむことなく戻り、近所の病院で診察してもらいました。検査データを見た医師に、「この肝臓の数値は異常だから、すぐさま市民病院に行きなさい」と指示されました。

市民病院に着くと、すでに入院の受け入れ準備ができていました。私は仕事をする気満々だったのですが、すぐ入院するよう促され、何が起こっているのだろう?と、訝りました。

まず、肝臓の負担を軽減するため、絶飲食が始まりました。そのうち、黄疸で顔がくすんだ土色になり、痩せてきました。筋肉が落ちて、声も出にくくなり、いかにも死にゆく体でした。胆管に管を挿入して、とりあえず胆汁が流れる措置をしてもらいました。入院して12日目、ついに1年の余命宣告をされました。(実際は、「次の正月を迎えるのは難しい」という見解だったと、後に知らされる)

私は心臓のバイパス手術の既往歴があるので、仮に胆のうの手術が適用できるとしても、入院した市民病院では技術的に対応できないと説明がありました。もし手術を望むなら名古屋大学の消化器外科を紹介します、ということでした。しかし、十二指腸や腹水にもガンが確認され、手術するにしても広範囲に摘出する必要があるので、手術しないほうが延命できると医師は判断していました。


http://www.izuminokai.or.jp/
「私は弁士ではないので・・・」と緊張の面持ちながら、肩の力が抜けた語り口。時折、込み上げるものに胸を震わせながら。



◆ガンは人生を振り返るよいチャンスである!◆

実は、40代の頃から「終活に時間が取れるから、死ぬならガンがいいな」 そんな漠然としたイメージを持っていて、口にも出していました。今から思えば、それが言霊として実体に作用したのかもしれません。

なぜ、終活に時間を掛けたかったのかというと、私には5人の子供がいます。4度結婚して、3人の元妻との間に4人。現在の妻との間に1人。すべて娘です。その娘達に、私の胸の内をちゃんと伝えて死にたいと思っていました。そういう思いもあって、1994年に日本尊厳死協会に入会しました。おかげで私なりの死生観もあり、余命を告げられ2秒ほどは頭が真っ白になりましたが、狼狽えることはなく、冷静に向き合うことができました。延命治療はしないことも、明文化していました。

ある意味公言通りガンになったわけですが、そこで、ある宗教学者の言葉を思い出しました。「ガンは人生を振り返るよいチャンスである」 

早速、自分の人生を振り返ってみました。子供の頃からこれまでをなぞるように振り返ると、なんとまあ自分勝手な人生を送って来たことか・・・。それにも拘わらず今があるのは、多くの人に支えられたからで、もう感謝「ありがとう」しかありません。「ありがとう」が湧いてきた自分の心が、純粋に素直になっているのを感じました。プライドや男だからという傲り高ぶりも、消え失せていました。

家族に何か書き残したいと、手にペンを取り紙に向かいました。ところが、次々と思いが込み上げるので、書いては消し、書いては消しの繰り返しで、一向に筆が進まない。そうこうしていると、今の幸せな家族の関係をこの先長く続けられそうもないという申し訳ない気持ちでいっぱいになり、涙が溢れて便箋を濡らし、もう書けなくなってしまいました。結局、感謝の5文字「ありがとう」が、最も伝えたいメッセージなのだと強く刻み込まれました。


◆なんとか娘の成人式まで!◆

その時は、「死にたくない」「もっと生きたい」という思いはありませんでした。ただ10ヶ月後の娘の成人式に、この手で髪を結ってあげたい。でも、来年の1月に自分の足で立っていられるだろうか? せめて夏なら、まだ元気かも知れない。だったら、夏に成人式の前撮りを済ましてしまおう・・・そんなことも考えました。

でも家内は、私の知らないところで、あっちの病院に電話したり、こっちの病院に問い合わせたりと、可能性を模索していたようです。ただし、家内も私が死ぬことは覚悟していたようで、せめて成人式まで元気でいてほしいという願いでした。ですから、西洋医学以外の方法も調べて、サポートしてくれました。

そんなところに、お店のお客さんから杉浦貴之さんを紹介されたのです。5月のメッセンジャー10周年記念イベントに誘ってくださいました。すでに筋肉が減っていて、椅子に座り続けられるか自信がありませんでしたが、参加しました。ところが不思議なことに、終演まで体はシャンとしていました。イベントでは、杉浦さんの歌とトーク、寺山心一翁さんの語り、畑地医師の講話に感動し、大いに笑い、大いに泣きました。

「命尽きるまでは、真剣に生きよう!」そんな気持ちが湧いてきました。毎晩寝付く前に、自分にたくさん良い言葉を送りました。「俺の細胞はヤワじゃない!」「親からもらったこの命、使い切るまで死んでたまるか!」 尊い命をすべて使い切る生き様を見せることこそが、家族への最大の贈り物になると思いました。


◆ホノルルマラソン!?◆

その後も、杉浦さんのイベントに参加しました。イベントでは毎回「がんサバイバーホノルルマラソン」が紹介されます。「ホノルルマラソン!? とんでもない!」というのが当初の印象でした。知人にマラソンの事を話すと、「命を削りに行くようなものだ」と取り合ってもらえませんでした。

でも参加したサバイバーさんに会ううち、私も参加したいという気持ちが強くなり、ホノルルマラソンに行くと決めました。家族に伝えると、妻も娘も二つ返事で「ついて行く!」と言ってくれました。でも思うに、娘は国内ではなくハワイだから、ついて行くことにしたんじゃないかと思います。(笑)

3人でトレーニングを始めました。家族3人でホノルルの42.195キロを目指し、日々を積み重ねていった。そのこと自体が、とても嬉しかった。3人で共有した時間が、愛おしくて仕方ありませんでした。

初めてのホノルルは不安でした。でも、日本全国から集まったメッセンジャーの仲間によって、不安は薄らいでいきました。家族をはじめ、いろいろな方々の支えに感謝しながら、フルマラソンを完歩することができました。


石川利広さん 胆のうガン(手術不能)
感動のホノルルマラソン



◆夢を叶えた後・・・◆

余命1年の宣告は重いものでしたが、逆に、余命を告げられたことで迷いがなくなったのも事実です。標準治療を強いられることも、副作用で消耗することもありませんでした。取り組んだのは、自然な療法だけです。ただ、抗ガン剤は3回だけやりました。治療というより好奇心で受けました。(笑) 1回目、なんともない。2回目、なんともない。3回目、白血球がガクンと減り、口内炎ができたので、すぐ止めました。もとより、何か不快を感じたらやめるつもりでした。

おかげで、痛み・苦しみを味わうことなく今日まで来ています。それがホノルルマラソン完歩、そして夢だった娘の成人式を家族で迎えられた一因です。治療より、家族と共に元気になるためにトレーニングし、娘の髪を結うために毎日を精一杯生きた。それが良かったのでしょう。

目標を達成し、春が過ぎ、夏が来て、お盆も迎えた・・・死なないじゃん!(笑) 検査をすると、腫瘍は縮小しているものの、消えてはいません。管は今も入ったままですが、余命を告げられた身としては体調は良好で元気です。(笑) 主治医は、今もって私の経過に首を傾げています。画像と肝臓の数値からすると、生きていることが奇跡だと言うのです。ですから私は、「私が5年経過して元気にしていたら、なぜ生存しているのか?医学的にちゃんと検証してください」とお願いしてあります。(笑)

ガンのおかげで人生後半に、こんな素晴らしい経験ができた。本当に感謝しています。ただ、一つ問題がありまして、叶えたいと願っていた夢が現実に叶えられ、そのままフェイドアウトする・・・という想定が覆り、生きているわけですよ。終活もしたし、死ぬ準備も万端、葬式の時に流す音楽も4つ決めて、でも体調はいい。(笑) そうすると、再起動しなきゃならない。これがね、けっこうたいへんなんですよ。(笑) もう一度、日々を生きるエネルギーを点火させないといけない。

体験談がメッセンジャー(48号:杉浦貴之さん発行)に載ってからは、「ロペさん(石川さんの愛称)、希望の星!」扱いで、これはこれでまた、たいへんなんです。(大笑)


◆仲間のおかげで自分の心をコントロールできる!◆

病気と闘うのに最も重要なのは、心なんだと思います。心70%、食事15%、運動15%と、自分では考えています。でも、何をするにも心が動かないといけないから、いかに自分の心をコントロールすることを身に付けるかです。

3年経っても、5年経っても、生きている限り、再発や転移の不安が完全に払拭されることはないでしょう。それでも、前を向いて人生を進めていくには、一人ではしんどいなと思います。そんな時、仲間の存在は大きい。同じ病を経験している仲間でないと言えない事が、たくさんあります。家族であっても、伝わらない事があります。

そういう意味合いもあって、この12月に2回目のホノルルマラソンに行ってきました。今回は夢に向かってではなく、元気と感謝を仲間に伝えよう、そして初めて参加する人たちのサポートをしようと、ホノルルに行くことにしました。

ところが、左足親指の付け根が出発前から痛むんです。痛風なんです。ハワイでその痛みが最高潮になっちゃった。痛みのことはチームのメンバーには、知らせませんでした。チームリーダーからは、「ロペさんは、あれこれサポートしてくれなくても、いてくれるだけでメンバーが勇気をもらえるから、ご自分がゴールすることだけ目指してください」と言われていました。とにかく行ける所まで行こうと、スタートしました。

結局、サポートはできなかったものの、12時間ちょっとかかってゴールしました。チーム内では、最後尾から2番目でした。筋肉痛とちがって痛風は、ずーっと痛みっぱなしです。ゴールまで残り数百メートル。先にゴールした仲間が、声援を送ってくれる。出迎えてくれる。自分のことのように喜び、心配し、泣いてくれる仲間・・・本当にありがたいなと思いました。


石川利広さん 胆のうガン(手術不能)
がんサバイバーホノルルマラソン チームリーダーの愛称さくらちゃん(左)とロペさん(石川さんの愛称)



*体験談発表のなかで、石川さんが感銘を受けたノーマ・コーネット・マレックの詩を紹介してくださいました。

「最後だとわかっていたなら」(訳:佐川睦)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう

たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして わたしたちは 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから



【編集長感想】

「やんちゃな人生を送ってきた」と、語る石川利広さん。人生で一生懸命に取り組んだのは、仕事、そして女性と付き合うこと。(笑)ガンを治すことには、一生懸命になっていないそうです。

石川さんは、自分の人生を全うしようとしているだけなのでしょうね。







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