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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)

人は変えられない。自分は変えられる。
2020年1月 名古屋駅近くのカフェにて

「なぜ私は二度もガンをやる必要があったか?」 自分の生き方に目を向けると必死に闘ってきた自分がいました。闘うことで何を手に入れようとしていたのだろう? 闘うことで何を失ったのだろう? それに気づかせてくれたのがガンでした。


須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)
ガンになった当初はひたすら病気を隠していた須田志保美さん。自分の体験が少しでも役に立てばと、語ってくださいました。



◆会社の健診で初期の乳ガンが見つかる◆

小澤
「第24回 がん治っちゃったよ!全員集合!愛知県一宮」(2020年4月4日開催)の出演をご承諾頂きありがとうございます。イベントに先駆けて、須田さんの体験を記事にできればと取材をお願いしました。

須田さん
私の経験がお役に立てばいいのですが。

小澤
では、発病時からお聞かせ願えますか。

須田さん
2011年の春、会社の健康診断でマンモグラフィー検査をしたところ、右胸に異常が見られ要再検査となり乳腺クリニックを受診しました。ドクターは見るやいなや「ガンに間違いないだろう」と言い、細胞診の結果、初期の乳ガンと診断されました。まだこの時点でリンパに転移しているかはわかりませんでしたが、私が望んでいる部分切除をしてくれる病院をいくつか紹介してもらいました。

小澤
初期でもあるし、すぐ手術という運びですか。

須田さん
自宅からアクセスのよい病院を探し、決めたのが6月頃だったと思います。ただ当時はもの凄く仕事が忙しく、職場の同僚など周囲の人に知られるのも嫌だったので、お盆休みに手術日を予約してもらいました。

小澤
では、会社の人は誰も須田さんの病気のことは知らなかった? 知られたくない理由があったのですか?

須田さん
当時の感覚では、周りの人がガンという病気を受け入れられなくて引いてしまう気がしました。また、私は契約社員のデザイナーでしたので、ガンが発覚すると契約を打ち切られてしまう怖れがある。バリバリ働いてやりがいを感じていたので、仕事は失いたくない。それで、病気を打ち明けることはしませんでした。

小澤
なるほど。ガンと診断された時はどんなお気持ちでしたか?

須田さん
「私がガンになるんだ!?」と思いました。ただ、7~8年前に肝臓ガンに罹り、大手術だったのですが乗り越えて元気に過ごしている母がいたので、大丈夫だろうという感じでした。

小澤
すぐ身近に、ガンであっても元気にしている経験者がいたのですね。

須田さん

私の場合は初期でドクターからも軽くすむよと言われたこともあり、「取れば治る」というイメージでした。


須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)
須田さんの作品のテーマは
「和」と「むずび」



◆新たなガン◆

小澤
夏休みに手術された後は、どうでしたか?

須田さん
術後の確定診断は、リンパに転移のあるステージ2bでした。「須田さん、この後は放射線と抗ガン剤に続きホルモン治療ですよ」と言われ、慌てました。

小澤
フルコースの治療方針。

須田さん
それは困ると思いました。

小澤
困るというのは、治療方針に異議があるということではなさそうですね?

須田さん
継続的に通院するとなると、ガンであることが周りにわかってしまうからです。それ以降、自分なりにいろいろ調べました。母は抗ガン剤を使いませんでしたし、何もしなくても治る人がいるから、やらなくていいのではないかと考え、主治医にお断りしました。顔を真っ赤にして怒られましたが。(笑) それでも、経過観察だけの通院を受け入れてもらいました。

小澤
経過はどうだったのですか?

須田さん
はじめのうちは3ヶ月に1回、その後6ヶ月に1回のペースになりました。2015年の前半までは順調でしたが、夏頃に基準値内ではあるものの腫瘍マーカーが急角度で上がりました。主治医はその上がり方が気になったようで、3ヶ月後に再検査しましょうということになりました。

小澤
今までの推移とは異なる動きだったのですね。

須田さん
3ヶ月後の2016年1月の数値は基準値を突き抜けていました。すぐにCT撮影をしたところ、大腸と肝臓にガンがあると告げられました。

小澤

結果的に乳ガンの転移ではなく、新たに発生したものだった。多重ガンですね?

須田さん
そうです。ですから乳腺の主治医は自分の担当外ということで、消化器科に回されました。

小澤
マーカーが上がるまでの体調はどうだったのですか?

須田さん
元気でした。術後の標準治療をすべて断ったので、再発予防に玄米菜食を徹底してやっていました。お昼のお弁当も玄米、海外出張の際にはレトルトの玄米と調理器具まで持参していました。(笑) あとは自分でよいと思ったサプリメントを飲んでいました。

母の時にも情報収集して[玄米菜食+少量の上質な肉・魚]を日常の食事にしていましたが、自分が乳ガンになって以降、本を買い漁ってさらにガン治しを学びました。それで得た知識から、なるべく手術などせずに治したいという気持ちになっていました。それで、いくつか患者会のリサーチをして地元の「いずみの会」に入り、食事を中心に自然治癒を目指すことにしました。


須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)



◆なぜガンになった?◆

小澤
乳ガン発症に話を戻しますが、ガンになった原因の心当たりはありますか?

須田さん
今は、仕事に関係するストレスと理解しています。当時の職場は、デザイナーという職種を低く評価する風潮がありました。ですから、デザイナーの入れ替わりも頻繁でした。私は徹底的にやらないと気が済まないタイプで、いくつかの会社を経験しましたがどこでもヒット商品生みだしてきました。私としては頑張っている自負があり、もっと高評価を得て見返してやろう!待遇を上げさせてやろう!という意気込みでしゃかりきに仕事に打ち込んでいました。なので、乳ガンの手術の時も個室に入院し、取り仕切っていたお盆休み明けの大きな展示会の準備をして、休みが明けるとそのまま展示会に突入しました。

小澤
デザイナーさんって、厳しい環境にあるのですね。

須田さん
仕事を押し付ける割には、何か不都合があるとデザイナーのせいにされる。そのくせ、大口の取引が決まると営業マンの手柄になってしまう。許せなかったですね。「今に見てろ!」って。(笑)

小澤
強い理不尽な思いを抱いていたのですね。デザイナーをバカにするな!

須田さん
特に女性デザイナーは地位が低く損をしていました。同じ能力、仕事の出来でも、男性デザイナーに差を付けられ、女性デザイナーは不当な扱いをされていた。そんな不満が乳ガンの温床になったと思います。

小澤
今でも同じ会社にお勤めなのですか?

須田さん
いえ、大腸ガンが見つかる前に解雇されました。働き方や女性登用が言われ始めた頃で、上司が替わるとすぐに、「あなたは仕事が出来過ぎる。この会社はそんなに仕事ができなくていいんだ」と言われました。

小澤
煙たがられた?

須田さん
そんな感じでした。男性営業マンのやり方にもアドバイスしたりしていましたから。「女が男の仕事に指示してはいけない」とまで言われました。女性がある程度の年齢になると男性としては使いにくいのか、解雇なんてよくある話のようです。

そうはいっても、解雇通知には怒り心頭でしたね。その怒りが2度目のガンを誘発したように思います。解雇されて1年くらいは旅に出たりしていましたが、ずっと怒っていました。

その後、自分の好きなことをするために新しい会社にはアルバイトとして採用してもらいました。そこは会社が昼食を提供してくれました。献立には普通に肉や魚も入っているので、食べないと理由を聞かれてガンがばれてしまうと思い食べていました。それから怒っていたせいか甘い物を欲してチョコレートも口にするようになっていました。

小澤
徹底してきた玄米菜食ができなくなった。

須田さん
その頃はストレスや怒りでガンになるとは思っていなかったので、食生活の乱れがいけなかったと考えていました。


須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)



◆大腸と肝臓を切除◆

小澤
2度目となる大腸ガンですが、手術を見送り自然治癒に舵を切ってどうなりましたか?

須田さん
それが、いずみの会に相談すると、手術をすることを強く勧められました。それと、担当医がとても怖い先生で通院するのが嫌になっていたのですが、それを看護師さんに伝えたところ、担当医を替えてくれたのです。新しい担当医は、話していて妙に納得でき信頼感が生まれました。

小澤
それはありますね。病院の治療を拒む理由に治療法の問題ではなく、「あのドクターが言うことは受け入れ難い」と話す患者さんがいらっしゃいます。

須田さん

私のガンは進行が速いので一刻も早く手術をしましょう、という説明内容は前のドクターと何ら変わらないのに、新しい担当医の言葉はスッと受け入れられました。(笑) ただそれでも、大腸は取っても肝臓はどうしようかな?と迷っていました。

そんな折に、いずみの会主催の安保徹先生の講演会があることを知りました。安保先生って抗ガン剤否定の先入観がありましたが、お話を聴くと違っていました。食べ物も人それぞれで、野菜だけで大丈夫な人もいれば、お肉を食べたほうがよい人もいる、と話されたのです。それを聴いて、玄米菜食の縛りが解かれました。

小澤
タンパク質にしても、植物系でまかなえる人と、動物系を摂取したほうが効率的な人といますよね。

須田さん
参加者からの「抗ガン剤は絶対ダメですか?」という質問にも、「効く人もいますからね。やってみてイヤだったらやめればいいですよ」とお答えになられた。治療法も合うものをやればいいんだと思い、2016年の4月に大腸を25cm切る手術を受けました。術後の経過は順調で予定より早く退院できました。退院して1週間後には、百貨店で作品を出展していました。まだ「見返してやるぞ!」という気持ちがあったので。(笑) 私は有名になるんだ!と意気込んでもいました(笑)

小澤
まだ「見返してやるぞ!」を持っていたのですか!?(笑) でもそれが回復のモチベーションにもなったのでしょうね。肝臓の転移巣はどうされたのですか?

須田さん

病気のモチベーションにもなっちゃたわけですけどね。(笑) 肝臓にはガンが2ヶ所あり、翌5月に手術をしました。実は、入院して手術の詳しい説明を聞いて心が揺らぎました。肝臓を広範囲に切除するだけでなく胆のうも取る。術後の5年生存率20%弱。手術に要する時間は8時間30分の見込み。聞いているうちに落ち込んでしまい、手術を回避すべく歯医者の治療を口実に家に逃げ帰りました。でも思い直して手術に臨みましたが、12時間に及ぶ大手術になりました。

小澤
大きな手術でしたね。しかも、大腸の手術から1ヶ月後。回復はどうでした?

須田さん
ほんと私は負けん気が強いので、翌日から院内を歩き出しました。看護師さんもびっくりしていました。(笑) 大きなイベントが控えていたので、早く元気になって退院したかったのです。でも、だんだん痛みが増してきて歩けなくなりました。痛みに耐えかねて叫ぶほどでした。3種類の痛み止めを点滴に入れてもらいましたが、まったく効かない。CT撮ったら胆汁が漏れていました。CTガイド下ドレナージという処置をしてもらい、やっと痛みが引き出しました。当初2週間の入院予定でしたが、45日間に延びてしまいました。


◆予定より長くなった入院生活で◆

小澤
大腸も肝臓も切除されましたが、術後に追加の治療はなかったのですか?

須田さん
当時の主治医が言うには、「すべて取り切れました。ただ、ガンがどこに隠れているかわからないから再発の可能性はありますが、それを抑えるための抗ガン剤はあなた(須田さん)が望めばやります。無理強いはしません」

小澤
ご本人の選択に任せる。

須田さん
私は「自分の免疫力を上げて、自分で治します」と伝えました。すると主治医は、「よい選択だと思いますよ」と言ってくれました。

現在の主治医はそれを聞いて、「私なら抗ガン剤治療をもっと強く勧めたでしょう」と仰ってました。

小澤
須田さんにとっては望みどおりでしたか?

須田さん
はい、余分な労力は使わずに済みました。(笑) でもそのぶん、自分で治すにはどうしたらいいか?という課題に取り組まなければなりません。

小澤
須田さんのプランニングはどんなものだったのですか?

須田さん
予定より長くなった45日間の入院生活は、私に考える時間をたっぷり与えてくれました。「ガンは自分でつくった」この時、自覚しました。

小澤
一度目の乳ガンの時は、その考えには至らなかったのでしたね。

須田さん
なぜ私が二度もガンにならなければいけなかったのか? ずっと考えていました。主治医や看護師さんの働く姿を見て、この人達はいったいいつ休むのだろう? 他人の為に献身的に仕事をしている。ありがたいと思いました。

それで気づいたのが、「私は自分の為ばかりを考えて生きてきた。天罰だ」 「私の性格がガンをつくったのだから、このまま何も変えず同じ生き方をしていたら、またガンになる」 胆汁が漏れずにすんなり退院して、以前の勢いそのままイベントに出展していたら、またきっと同じ事を繰り返したでしょうね。

小澤
何かの配剤でブレーキが掛かったのですかね。(笑) 時間がたっぷりできて、それまでガンの原因を外部環境に求めていたのが、自分の内側にフォーカスするようになったのですね。 

須田さん
乳ガンで気づけば、大腸を患うこともなかったのでしょうけどね。(笑)


須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)
がんサバイバー仲間とウクレレユニット「サンらいず」を結成し慰問活動もされています



◆自分がどう在るか!?◆

小澤
須田さんのファイター気質は、どのように培われたのですか?

須田さん
デザイナーをやってるとなります。(笑) ヒット商品を作ろうとすれば、天才ではないので数打ちゃ当たるじゃないですがたくさんデザインをしなければならない。10品提出するには、100くらい作ることになります。デザイナーとして認められには、強くあらねばならない。弱音を吐いていたら、競争に負けてしまう。

小澤
気質は変わりましたか?

須田さん
ムリしない。やれないことは仕方ない。好きなことをしよう。ガンを経験して、弱い人の気持ちがわかるようになりました。45日間何もできなかったし、退院して家に帰ってきても歩くのもつらい。術後1年は療養の日々でした。

退院後に、いずみの会主催の講演会で寺山心一翁さんのお話を聴く機会がありました。寺山さんのお話が、ストンと腑に落ちました。

小澤
どんなことですか?

須田さん
寺山さんと似たような体験をしていたのです。入院中の食べれず水も飲めない状態。痛みで寝付けず夜明けを迎え、病棟の廊下の突き当たりで日の出を見るのを日課にしていました。太陽を見るだけで元気になっていく。それを続けていたら寝れるようになったのです。退院してからも、日の出を見るのは習慣にしました。寺山心一翁さんのスマイルワークショップにも参加しました。そのワークショップでも、私は人が変わりました。

今まで酷使するばかりで自分の体にお礼とか言ったことがなかった。論理的に筋道立てて話すのが習慣になっていました。常に、失敗は許されない、服装は常にトレンドのものでなくてはいけない、完璧であれ、というのが私は身に付いていた。だから、人と交わるのが苦手だった。

小澤
デザイナーとして勝ち残るために自分に“掟”を課していたのですね。

須田さん
ワークショップ参加者の皆さんと一緒に歌を歌ったり、感じるままに自分の想いを語ることが、とても楽しかったです。

小澤
感性がオープンになったのですね。でもデザイナーはクリエイティブなお仕事ですから感性豊かなのではないですか?

須田さん
感性はあると思うのですが、現実的に社会で生き抜くには感性だけでは通用しないと思っていました。

小澤

世の中、勝ち抜くためには論理思考での武装が必要だという思いがあったのかな?

須田さん
若い頃は奇抜なデザインとか出していたんですよ。またそれが好評だったりもして、自分の好きなデザインに没頭していました。その頃の仕事は楽しかったです。いつのまにか、本来の自分を封印してしまっていたかもしれません。

小澤
自分基準ではなく、会社や世間の基準でデザインしなければならなくなった。

須田さん
不特定多数を対象に[売れる:売れない]の基準でデザインしなければならなかったから、苦しかったのでしょうね。

小澤
これからはどんな活動をしていこうとお考えですか?

須田さん
ワークショップで歌う楽しさを味わったので、「めぐみ音」(ガン患者さんの合唱サークル)に入りました。持ち前の徹底的にやる気質で上達することに執着しましたが、メンバーの取り組む姿勢はまちまち。時にはミスもするコンサートなのに、聴いてくれた人は喜び感謝の言葉を述べてくださる。「上手じゃなくてもいいんだ」と思えるようになりました。そんな経験から、自分が楽しく存在していることで、ガン患者さんが何か感じてくれれば嬉しく思います。

そして、私はやっぱり物づくりが好きなので、「和」をモチーフにした物づくりを通じて世界に発信していきたいです。

小澤
それは楽しみですね。ご活躍期待しています。今日は、ご協力ありがとうございました。



◆須田さんのブログ「る・むすび」はこちら!



須田志保美さん 多重ガン(乳ガン、大腸ガン・肝転移)
取材のご協力ありがとうございました



【編集長感想】

肝臓の術後の経過がおもわしくなかったことで、早々の仕事復帰を諦め予定より長い入院となった。体調的には辛かったものの、自分と向き合う時間となった。

「災い転じて福と成す」

おかげで、須田さんがこの世で闘っていくため必要と思い込んでいた“武装”を解除できた。外部と闘う武装エネルギーは、自身の内部にも向いてしまっていたのですね。







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