再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

彦田かな子さん 乳がん

いろんな生き方があっていいんだ!
2021年2月 いずみの会定例講演会(オンライン)+追加取材
「死んでしまいたい」と鬱病に苦しんでいた彦田さん。がんが発覚すると「がんにいのちを奪われるのは絶対に嫌だ! 死にたくない!」と心が叫び声を上げた。

そこから生き方が大転換します。「自分を後回しにするなんてもったいない!」 やりたい事して生きたいように生きることを、はじめて自分に許可することができました。


彦田かな子さん 乳がん
彦田さんが運営される「シャチホコ記念がん哲学外来メディカルカフェ」にて



◆がんと判明するまで1年半かかった◆

小澤
先日は、いずみの会でご講演ありがとうございました。今日はそれを補足するような形でお話をお聞きしたく、お時間を取っていただきました。宜しくお願い致します。

彦田さん
その節はお世話になりました。こちらこそ宜しくお願い致します。

小澤
まず、発病からの経緯についてお聞かせください。たしか6年前でしたよね。

彦田さん
診断が確定したのは2015年ですが、実はその1年半ほど前に乳首がただれ出しました。

小澤
症状があったのですか?

彦田さん
ええ、ただ女性の場合は下着がこすれてただれることもあるので、近所のドラッグストアで皮膚炎の軟膏を買って塗ったのですが良くならなかった。それで薬剤師さんに相談して別の外用剤を試しましたがこれまたダメ。何度か相談するうち、一度病院で診てもらうよう勧められました。

小澤
市販の塗り薬では治らなかった。

彦田さん
血がにじんだり、痛むようにもなってきました。でもその状態に慣れてしまったのですよね。劇的な悪化だったらびっくりして病院に飛んでいったでしょうが、痒みから始まりただれてと徐々に進んでいったから焦ることもなかったですね。

小澤
ゆで蛙のたとえ話みたいなものですね。

彦田さん
ようやく病院で診てもらいましたが、がんではありませんでした。

小澤
初診はがんじゃなかったのですか!?

彦田さん
総合病院の外科で診てもらいましたが、ドクターは乳腺の専門ではありませんでした。マンモグラフィーと触診で、がんではないと診断されました。40歳で3人目を産んだ2年後のことだったので、産後のトラブルだろうと。それからも3ヶ月ごとの検査に1年半ほど通院しました。

小澤
では、転院でもして乳がんとわかったのですか?

彦田さん
同じ病院で3人目の担当医に替わったとき、どうもおかしいということになり細胞診をしましたが判明せず。その後2度組織診もしましたがやはり確定には至らずグレーという見解。それでもドクターはがんを疑っていたようで、大学病院の乳腺外科を紹介されました。大学病院では、即座に「がんです」と言われました。

小澤
診断が確定するまで長かったですね。

彦田さん
私のがんは塊ではなくパラパラ散らばっているタイプでした。なので、乳腺専門のドクターでないと採取が難しく、がん組織にうまくヒットしなかったようです。


彦田かな子さん 乳がん
こんなお茶目な彦田さんからは想像できない過去が・・・



◆母の思いに応えて抗がん剤治療◆

小澤
がんと告げられた時は、どんな気持ちになりましたか?

彦田さん
もう、パニック!! ドクターが説明してくれたかもしれませんが、ぜんぜん覚えてないです。転移はしてなかったようです。HER2(+)、ホルモン(+)だけは覚えています。

小澤
当時は、がんに対してどんなイメージを持っていましたか?

彦田さん

死ぬと思いました。卒業後、総合病院で医療事務に就いていましたが神経内科の担当だったので、がんと関わる機会はなかったです。結婚後は家庭に入ってしまったし、身近にがんの人もいなかった。がんとは無縁の生活をしていたので、がんについてはまったく知識がありませんでした。だから、「すぐ死んじゃう!」と思いました。

小澤
治療はどうされたのですか?

彦田さん
全摘手術になりました。事前に主治医からは、(治療は)取るだけでよさそうだと聞いていました。でも手術した結果、抗がん剤をしましょうと言われました。

ところが当時は、マスコミが抗がん剤に否定的なK医師を度々取り上げていて、なんとなく抗がん剤はよくないという世間の風潮に私ものみ込まれていました。友だちからも「やらないほうがいいよ」なんて言われたくらいです。

小澤
彦田さんとK医師の理論が結びつくのは全然イメージできないなぁ。(笑)

彦田さん
信じられませんか?(笑) 抗がん剤のこと恐れていました。主人も私の意思を尊重してくれていました。その旨を主治医に伝えると、それはあり得ないという反応でした。自分の妻だったら絶対やらせる、とまで言われました。それでも私はやる気になれませんでした。

ところが、たまたま抗がん剤に詳しい腫瘍内科医のKM先生の講演が近くで催されることを知りました。主治医の進言も気になっていたので、一応抗がん剤の勉強もしてみようと参加しました。すると否定的なK先生とは真逆のお話だったので、迷いが深まってしまいました。

小澤
KM先生は、エビデンスに基づく標準治療を啓蒙されていますよね。

彦田さん
どうしようかと悩み、母に抗がん剤はやりたくないと話したら、母は涙ながらに「やれる治療があるならやってほしい」と私に訴えました。娘を思う母の言葉は重かったです。それを決め手として、乗り気にはなれなかったですが、一回は受けてみよう。その結果次第では止めてもいいと思い、やることにしました。

小澤
お母様の心情を無碍にできなかったのですね。

彦田さん
そうでした。そうでした。懐かしい話です。(笑) 今となっては、やってよかったと思います。でも抗がん剤治療中は、嫌々やっていたせいもあってかホント辛かったです。

小澤
どのくらいやられたのですか?

彦田さん 
2種併用を4回×2で合計8回です。その後、ハーセプチンを1年半。それが終わってからホルモン剤で、現在も継続中です。


彦田かな子さん 乳がん
治療中のお母さんへの手紙



◆自分は後回し◆

小澤
さて、この前(2/6)の講演会用に書いてくださった手記を拝見し、今の明るく元気な彦田さんからは想像できない経験をされていたのを知ったのですが、子どもの頃のお話をお聞きしていいですか? そんなにいじめられていたのですか?

彦田さん
中学時代に、体が小さい、髪の毛が天然で明るい茶色など外見的なことでだいぶいじめられました。登校はしていましたが同級生のいる教室には入れず、職員室で先生に個別に教えてもらっていました。

小澤
そして空想好きで、人との関わりがあまりなかった。

彦田さん
独りでいることが多かったからでしょうね。学校生活はそんなふうでしたし、家では両親が共働きで留守が多かった。父は鉄工所勤務で交代制の夜勤もありました。母は早朝午前3時から仕事に行き、引き続き8時から別のパート。夕方に帰宅すると夕飯を作ってから内職をしていました。2つ下の弟がいたので、私が朝ご飯とお弁当を作っていました。

小澤
ご両親が不在なので、彦田さんは弟さんの面倒も見るお姉ちゃんだった。親代わりの役目も担っていたのですね。

彦田さん
親が真面目で厳しく育てられたので、私もこう見えて根はすごく真面目なんです。(笑) その真面目さが故にがんになったところもあると思います。

小澤
真面目って往々にして「~ねばならない」「~べき」に傾倒しがちですよね。

彦田さん
それはありましたね。「家の中で父親、母親より、私が一番しっかりしなければならない!」そんな思いを持っていました。それを結婚してからも継承したのだと思います。「いいお母さん」「いい奥さん」それが何かもわからないのに、勝手に必死にそれをやらねばと思い込んでいました。

小澤

自分自身をどう生きるかより、家族家庭を守るために妻として、母として、しっかり役目を果たす。それが基軸の生活になったのですね。

彦田さん
結婚後、鬱になった原因でもあります。

〈彦田さんの手記より〉
18年前に結婚した頃から、嘔吐が止まらなくなり食事も取れなくなりいろいろな病院に行き、たくさんの検査をしましたが異常なし。最後は、精神科を受診し鬱・心身症と診断されました。どんどん増えていく薬の量とは反対に症状は悪くなるばかり。救急車は何度もパニックになって呼びましたし、ついには入院したり、病院から逃げ出したり・・・今思い出しても恐ろしい日々でした。


小澤
がんの前に、精神状態がサインを出していたようですね。

彦田さん

精神科の先生に、社会的な役割(妻、母)に偏った生き方を指摘されました。でもまったく私の中に入ってこなかった。耳を傾けようとしなかった。

小澤
それは彦田さんがずっと大切にしてきた聖なる生き方でもあるから、指摘されても無意識に抵抗しますよね。そう簡単に受け入れられるものじゃない。だってその環境で自分と家族を守るためには、そういう生き方をせざるを得なかったのですものね。

彦田さん

そうなんです。自分を否定されたような気持ちになるので、そういうことを言われたら病院を替えていました。(笑) 私が悪いと言われたように受け取ったんですね。今になってみると、精神科の先生たちの言うとおり。(笑)

小澤
よかれと思って一生懸命やってきたら、“自分”が最も後回しになっていた。


彦田かな子さん 乳がん
体験を活かしての患者相談会



◆縛りからの解放◆

彦田さん
ところが、がんになって「死んじゃうかもしれない」となった時、せっかくこの世に生を受けてきたのに何で自分を一番後回しにしてるんだ!?という思いが湧き上がったのです。

〈彦田さんの手記より〉
・・・そんな中、乳がんになりました。あれほど、死んでしまいたいと思っていたのに「がん」にいのちを奪われるのは絶対に嫌だ!死にたくない!と強く思ったことを今でもはっきりと覚えています。



小澤
精神科の先生の言葉は入ってこなかったけど、がんからのメッセージは届いたようですね。

彦田さん
なるべくしてなったんですね。がんになったからこそ、今は自分を生きることができていると思います。あのまま生きていても、生きているとは言えなかった。

小澤
生存しているけど、彦田さんの人生を生きていなかった!?

彦田さん
鬱で山ほど薬を飲んでいたから、思考も感情も虚ろでした。

それにもっと早く気づいていたら、子どもの頃から自分を生きていいんだ!と気づいていたら、どんなに素晴らしい楽しい人生だったろうと思います。

今の子どもたちに「自分を生きていいんだよ!」って言いたい。

小澤

それが、彦田さんが「がん教育」に携わる理由なのですね。

〈彦田さんの手記より〉
そして、数年前、長野県のがん哲学外来cafe「みずたま」代表者さんに誘われ東京へ文部科学省主催の「がん教育」研修会に参加するために行った。そこで「わたしにできることがある」と心躍る気持ちになりました。「がん教育」のことを勉強し、鹿児島まで2泊3日でがん教育外部講師研修を受けに行ったりもしました。

彦田かな子さん 乳がん

メディカルカフェ


彦田さん
そうなんです。なかなか45分枠で伝えるのは難しいですが、私の体験を聴いて「いろんな生き方があっていいんだ」と思ってもらえればと試行錯誤しながらやっています。

小澤
彦田さんが、がん以降に身を投じた活動「がん哲学外来カフェ」「がん教育」は、ご自身の体験からどうしても伝えたいという思いが原動力になっているのですね。

彦田さん
世の中、誰もが何かに縛られて生きている部分があると思います。私は、がんになって命が終わるかもしれない瀬戸際に立たされたことで、ぐるぐる巻きに縛られた状態から解き放たれ、幸せな存在になりました。次元が変わったような感じです。よく人から「彦ちゃん、楽しそうね~!」って言われますが、唯々、何ものにも囚われていないだけなんです。

小澤
今の彦田さんのお話は、すごく重要なことを示唆していますね。「何をやるかより、どういう存在でいるか」が生き方の起点になる。“本来の自分を抑制する何かに縛られている状態”は、パソコンに例えるなら不要なプログラムが邪魔してサクサク動かなくなっている状態。なので、不要なプログラムをアンインストールして初期化すれば、自分を生きやすくなる。

彦田さん
私も本当にそう思います。私の場合はがんになって気づいたけど、そうなる前に気づいてもらいたい。だから私はがんの人だけを対象にせず、がん教育というプログラムで子どもたち対象にも活動の場を広げました。縛られていることって結構くだらないことなんですよ。しかも、自分で自分を縛っていることが多い。

小澤
「自分を縛り付けてるよっ!」のサインは、がんになる前に出ていたのですよね?

彦田さん
絶対出てました。(笑) どんだけ出したら分るんだ!? いい加減にしろっ!ですよね。精神科の先生に言われても聞く耳持たなかったから、がんという最終カードを出されちゃった。(笑)

気づいたあとの残りの時間は人それぞれで天のみぞ知るでしょうが、お陰様で回復して元気に日々を過ごせています。だから精一杯、私に与えられた時間の限り、自分を使わせてもらいます。

小澤
ピュアに生きる力を使うと、その一部として治る力もあるわけだから、治療や予後にも良い影響をもたらすでしょうね。


◆たった一人の胸に届くだけでもいいから伝え続ける!◆

彦田さん
「自分を生きる」ってことに気づきやすい人と気づきにくい人がいると思うんです。がんにならなくても気づく人は気づく。自ら気づける人になってほしいという願いもあって、子どもたちに伝えていきたい。

幸せを感じるのは自分自身なので、他者の基準や評価ではなく、自分の基準で生き幸せを味わえたらいい。そして、そういう人がたくさんいる社会にしていきたいと思います。

小澤
自分は変われない。幸せになっちゃいけない。生きるのは辛く厳しいものだ。この世に安心な居場所はない・・・そんな思い込みも気づくことを邪魔するかもしれません。なので、いろんな背景がありながらも気づいて生き方を変えた人たちの体験談は貴重だと思います。

彦田さん
私が気づけた要因の一つに、周りの大人が私を守ってくれたことがあります。小さいときから親戚が「大丈夫?」って声掛けしてくれました。学校の先生は、教室に入れない私に職員室で勉強を教えてくれた。そして、今はこの学校が社会の全てと感じるかもしれないけど、世の中にはちがう世界がいっぱいあると言ってくれました。

今のこの辛い環境が全てでずっと続くわけじゃないという安心感を与えてもらえていたのです。それを私は心のどこかに持って信じていたので、がんになって気づいて変わることへの抵抗が少なかったのだと思います。

小澤
その辛い環境でやむなく身に付けた生き延びるための“掟”だったのですからね。もっと安心して生きられる世界があるとわかれば、ずっとその掟で自分を縛り付ける必要はない。

彦田さん
人生は自分で切り拓くことができるし、ちがう環境が待っている。そういうことを誰かが言ってくれたら救われる人もいると思うんです。500人の生徒に私が話をして、その中のたとえ1人であっても心に届いたら、ゼロよりいいですよね。

小澤
その時はたった1人であっても、他にも、その後の人生で遭遇する局面で彦田さんの話を思い出す人がいるかもしれない。彦田さんの言葉は、きっと多くの生徒さんの人生のアーカイブに残りますよ。

彦田さん
それでもいいです!!(笑) 私、発信し続けます!!


彦田かな子さん 乳がん




◆がん哲学外来 メディカルカフェ(全国)一覧
彦田さんは、愛知県名古屋市で「シャチホコ記念がん哲学外来メディカルカフェ」を運営されています



【編集長感想】
人間は多細胞生物です。多細胞というのは、たくさんの細胞で構成されているということではありません。いろんな役目の細胞が集合して生命体として生きている。

一人の人間も、地球という惑星も、多くの様々な生き物が織りなす多様性で成立している。

だから、いろんな生き方があっていいのです。

それが自然なのです。

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