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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)

2度のがんでやっと自分と自分像が一致するようになった!
2021年7月 オンラインで取材
20代での自殺未遂、2度の子宮のがん…それは、泰山さんの人生を進めて行くうえでどうしても通過する必要があったのでした。

*泰山理沙さんの波瀾万丈プロフィールはこちら!



泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)
泰山理沙さん



◆子宮を全て失うことで人生を進めて行くと覚悟した◆

小澤
東京のイベントで一度お会いしましたね。今日はオンラインで体験談を取材させて頂きます。宜しくお願い致します。

泰山さん
こちらこそ宜しくお願い致します。

小澤
ではまず、発病からの経過をお聞かせください。

泰山さん

2015年春の健康診断で子宮頸がんの高度異形成で要検査となりました。それ以降、3ヶ月に一度検診をしていました。良くなったり悪くなったりを繰り返すも、異形成状態を保っていて大丈夫だと思っていました。

小澤
その時点では、治療はしなかったのですね。

泰山さん
異形成のことを忘れかけた2017年の8月(当時37歳)、通常の生理とは明らかにちがう大量出血がありました。病院で診てもらったものの、よくわからない。別の病院で再度検査してもらい、結局、確定診断が出るまで1ヶ月かかりました。「子宮頸部すりガラス細胞癌」 希少がんなので、なかなか判別がつかなかったようです。

小澤
希少がんだったのですか。

泰山さん
最終的には高校時代の友人の情報もあって、がん研有明病院で治療を受けることにしました。それでも当初は子宮全摘に抵抗があり、手術以外の治療法も模索しました。子どもを授かる能力を残したかったですし…でもやはり全摘したほうが良いと判断して、手術を受けました。

小澤
心残りもありながら、全摘を受け入れた?

泰山さん
実は、私は若い頃に自殺未遂の経験があるのです。それでも生き続けることができた。だから今回は、子宮を全て失うことで人生を進めて行く局面なのだと思いました。

小澤
ほー、そういう解釈をされたのですか。手術の後は追加の治療がありましたか?

泰山さん
10月に手術をして、抗がん剤治療を6クールやりました。終わったのが2018年の4月です。


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)
手術後の病室にて



◆心と体の結びつき◆

小澤
「癌」という病名を告げられた時は、どんなお気持ちでしたか?

泰山さん
もう、「ガーン!!!」でした。(笑)

小澤
マンガの吹き出しのようなのですね。この時、がんに対するイメージや認識は何かお持ちでしたか?

泰山さん
がん経験者だった叔母の様子からの知識はありました。長年にわたり山あり谷ありの療養をしていたので、緊急性のある病気ではないという認識は持っていました。同時に、病状の変化にメンタリティーが影響するのが見てとれました。

小澤
泰山さんはその当時、すでに心の問題に取り組む活動をされていたのですか?

泰山さん
ヨガインストラクターをやっていましたが、その後、引きこもりや不登校のカウンセラーをしていました。自分の心のコンディションのためもあってヒーリングを学んでいたのです。

叔母ががんになったとき、医療以外で病気に関わる「生きること」「心の問題」をクリアする方法は何かないのかな?という思いを持ちました。

親にかまってもらいたいから子どもが熱を出すってことあるじゃないですか。大人でも無意識に病気やトラブルで注意を引くことは、私自身の経験からも理解できました。

小澤
「私という存在に周囲の目を向けてもらうための手段」として病気を使っているとしたら、物理的治療以外のアプローチの必要があると感じたのですね。

泰山さん

ちょうどヒーリングを学んでいたタイミングなので、心と体の関係性にフォーカスする意識も高かったのだと思います。


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)
抗がん剤治療が終わった記念のヘナタトゥー



◆自己破壊行為の20代◆

小澤
全摘手術を受け入れる際に、過去の自殺未遂の経験から踏み切れたというお話がありました。2つの出来事に関連性を感じられることはありますか?

泰山さん
20代は精神的に病んでいました。強い自己嫌悪、自己否定が7年くらい続きました。死ぬことばかり考えていました。挙げ句の果て、自殺するのですが未遂に終わって助かったことが転機になりました。

小澤
自分否定にどっぷり浸かっていた原因は何ですか?

泰山さん
きっかけは、7年付き合っていた男性が二股掛けていたことです。別れてから男性不信、人間不信になり、自暴自棄になっていった。あえて良くない道を選んで進んで行くようなことをしていました。借金を作ったり、自堕落な生活でした。

小澤

嫌いな自分を自分で壊す…自己破壊…をしていた。

泰山さん
そうです。

小澤
そこまで自分を壊そうとするエネルギーは凄まじいと思うのですが。

泰山さん
中絶体験も影響していると思います。人を殺したような感覚でした。それでもう、自分に対し完全否定となりました。

小澤
そういう経験から、ご自身のもともとの男性観、男性との関係性など気づいたことはありますか?

泰山さん
そうですね…男性に対する依存が強かったかもしれません。そもそも、私は人に合わせるタイプでした。自己決定感が乏しいというか、自分でどうやってどう決断していいのかわからず生きていました。それを補うために、物事を決めてくれる人と一緒に居る。

小澤
自分のことなのに自分で決めてはいけない、という思い込みでもあったのですか?

泰山さん
小さい頃から親の言うとおりにしてきたところがありました。「~するべき」「~したほうがいい」全部決められて、それに従ってきた。自分で自由に考えて決めるというのがなかったように思います。

小澤
親御さんが敷いたレールの上を、疑うことなく乗ってきたみたいな?

泰山さん
そうです。そうです。

小澤
小さい子どもにとっては、疑いようもなく当たり前の日常だものね。

泰山さん
それが、高校を選ぶ時にいきなり選択権を与えられて右往左往しました。決め方がわからない。(笑)


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)



◆死に対する恐怖がなかった自分がいた!◆

小澤
自殺が未遂となって命が助かってからは、どうされたのですか?

泰山さん
自分と向き合うことをしました。そのなかで出会ったのがヨガでした。ヨガの真髄である「比較しなくていい」「ありのままの自分でいい」「できても、できなくてもいい」「やりたかったらやる、やりたくなかったらやらないでいい」に救われました。

小澤

何かができたらOK!できなかったらダメ!という条件付きの承認ではなく、できる、できないに拘わらず存在自体がOKなんだよ!ということですね。

自分をそんなふうに育んできたけど、がんがやって来た。

泰山さん
なんかまだやり残していると思いました。自分との対話がやっとできてきて、ついに核心に迫ってきたという頃でした。何かまだ見落としているの? そんなふうに捉えました。

小澤
僕も患者会などで、いろんな体験者さんのがんに対するファーストインプレッションをお聞きしますが、かなりちがいますね。もはや、がんを受け入れる準備ができていたというか。

泰山さん
たしかに。(笑)

私が怖かったのは、「死に対する恐怖がなかった」ことなんです。がんになったけど死の恐怖がないことを話したら、友人が泣いてくれた。その姿を妙に客観的に見ている自分がいました。

小澤
それはまたなぜ?

泰山さん
一度、ブラックアウト的な体験をしたからかもしれません。一度、死んだような。

それが先ほど言った、私の人生が子宮は失って生きていくことを課したのだという解釈になります。

小澤
ふむ。そういうことですか。

泰山さん
それと、後々に気づいたのですが、カウンセリングやヒーリングを施す者として、「経験者に勝る者はない。経験者じゃない人間の語る言葉は伝わらない」という思い込みを持っていたのです。経験してから携わるべきだ、みたいなことですね。

小澤
なるほど。がんを経験する目的があったのですね。

泰山さん
すでに十分なネタを持っていた私ががんになったとき、周りの人たちから「またネタ増やしたの!?」と言われました。(笑)


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)



◆想いと行動のズレで再発◆

小澤
ということは、再発の引き出しも必要だったのですか?

泰山さん
気持ちに浮き沈みはありましたが、元の動き回る生活に戻っていました。がんが無かったように生きようとして、ムリしたのだと思います。

抗がん剤の副作用が落ち着いたら、もう飛び回りました。こんなに動ける! 治療で止まっていた分を取り戻すような勢いでした。

小澤
がんになる前の泰山さんは、どんな人だったのですか?

泰山さん
短期でがっつり働いて稼いでは海外に行く、を繰り返していました。やりたいことのために睡眠も削っていました。がんになる前は、ほとんど日本に居ませんでした。お金を貯めては、アフリカ、台湾、アメリカを旅し、ヒーリングインストラクターのセミナーに参加し、日本にいたらいたでイベント企画をしたりとか、とにかく動き回っていました。

小澤
バブルの頃に「24時間戦えますか!」っていうのがありましたけどね。(笑)

何でそんなに動き回っていたのかな? 何を得ようとしていたのですか?

泰山さん
引きこもりと不登校の子どもたちと旅をしたいなと思い、まず自分があちこち巡ってみました。生きることの刺激になりそうな土地を選んで行きました。

日本だと裕福な家の子が不登校になっているのに、現地では貧しくて学校にも行けないが目がキラキラ輝いてイキイキしている。その差は何なんだろうと知りたくなりました。生きることの純粋さを呼び起こされました。

小澤
泰山さん自身への問い掛けでもあったのかな。

泰山さん
治療明けの2017年は、イベントに携わって日本国内を飛び回っていました。そうやって動ける自分が嬉しくもありました。飛び回る資金のために、昼夜問わず稼ぎのよい仕事もしていたので、再発でその生き方にピリオドを打たれたのだと思います。

自分を変えたいがために、自分のやりたいことをやる! そのために、やりたくない仕事もやっていた。

小澤
ズレが限界に達したのかな。自分の中での分離が耐えられないところまでになった。


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)



◆自分像は虚像だった!◆

泰山さん
楽しいことをしてるのが一番!!と突っ走っていたら、腰が痛くなり出しました。

小澤
いつ頃ですか?

泰山さん
2018年の秋頃です。MRI撮ったら腫瘍があって、この時は大ショックでした。主治医から再発を電話で伝えられ、その軽い調子にムカつきました。(笑)

小澤
連絡事項みたいな感じ?

泰山さん
怒り心頭でした。たぶん、この時はじめて、感情を露わにできたと思います。打ちひしがれて、思う存分悲しみました。小さい子どものように泣きわめきながら文句を吐きました。本音を出せたような感じがしました。

小澤
1度目のがんで人生の棚卸しが済んだような感じだったものね。

泰山さん
主治医からは放射線と抗がん剤治療を提案されました。

杉浦貴之さんのセミナーにも参加して、「自分が主治医。自分で決める」が大事だなと思ったので、もう一度「すりガラス細胞癌」をしっかり調べました。希少がんで症例が少ないので、放射線+抗がん剤、放射線のみ、抗がん剤のみで有意差があるかどうかも定かでないようでした。

家族は両方受けることを勧めましたが、私は自分の考えで放射線だけに決めました。

小澤
自分で決断した。

泰山さん
再発がわかる前に、引きこもりニートのサポートをするために愛知県に移住することが決まっていました。その運営責任者さんは、がんが再発した私に次から次へと課題を与えてきました。放射線治療で入院中でも電話がかかってきました。

いま思えば、病人扱いされず、やる事がいっぱいあったのはよかったなと。病気じゃなく生きることにエネルギー使うように仕向けてくれたなと感謝しています。「お前は病院に居るような人間じゃないって」 治療は東京で受け、仕事は愛知でする。放射線治療の間は、行ったり来たりしていました。

小澤
大ショックだった再発のことを考えるヒマのない環境を作ってくれたようですね。

2度目のがんを経験して、他に何か変化したことはありますか?

泰山さん
めちゃくちゃ感謝するようになりました。そして、自分を大切にするというのがどういうことか、わかったような気がしました。本当の意味で大切にしなかったから2度目がきた。そう思いました。ムリしてたんです。

小澤
自分の体が悲鳴を上げるほどムリを強いていたのはなぜだったのですか?

泰山さん
たぶん、他者から見られる“自分像”を勝手に私が作っていたのだと思います。「がんになったけど元気に飛び回っている人」という人物像は、「そう見られたかった」のであり「本心からそう在りたかった」のではなかったのだと思います。がんになる前も同じです。アフリカやインドやちょっと人があまり行かないような地に出向いたのも、周りの目を意識しての行動だったと思います。

小澤
自分でブランディングしたのだけど、実は虚像だった!?

泰山さん
「周りからどう見えるか?」が基準だから、どれだけ我慢して頑張ってもキリがなく、さらに頑張って体を酷使するパターンになっていたのです。

小澤
起点が自己否定で、それがそのままでの「頑張り、我慢」は自己犠牲や罪悪感、被害者意識がくっつきやすく、そうなるともうエンドレスだよね。

泰山さん
やっと自分と自分像が一致するようになりました。


泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)
愛知での活動



◆すべての経験は宝◆

小澤
希少がんである「すりガラス細胞癌」の放射線単独治療の結果はどうでしたか?

泰山さん
数ヶ月で癌は消えました。主治医や放射線担当医もMRIの画像を見て驚くほどでした。

小澤
放射線治療以外、日常生活で気をつけたことはありますか?

泰山さん
食育に携わっている友人から、食べるときによく噛むようアドバイスされました。一口につき70~80回。食べ物が口の中でドロドロになるまで噛みました。

小澤
がん患者さんは食材にこだわったり、特定の食事療法を採用する人も少なくないですが。

泰山さん
食べ過ぎないようにはしましたが、とくにこだわりませんでした。食に関するいろんな情報も得ましたが、1回目の抗がん剤の時に体力の必要性を感じましたし、食事制限して弱っていく人を見たりもしたので、選り好みはしませんでした。

ただ、どんな食べ物にも、野菜にも、肉にも、魚にも感謝しながら食べました。そして、自分のすべてに感謝しました。頭から爪先までの各部位、心…こんなに頑張ってくれてありがとう! これを毎日のルーティンにしました。

小澤
一口70~80回噛む食事だと、たくさん感謝のルーティンができますね。

泰山さん
今日まで生きてた命にありがとう。さっきまで生きてた命にありがとう。顔、脳、心臓…血管、リンパ…ありがとう。

小澤
「食べること=命」というイメージの食べ方ですよね。がんを恐れて食べるのではなく、体への労い、細胞の喜び、生きる力にフォーカスして食べ物をいただく。

泰山さん
そうですね。

小澤
今は愛知から東京に戻られたようですが、これからはどんな活動をされる予定ですか?

泰山さん
やりたいことはいっぱいあって、まだしっかり定まっていないのですが、「アーストリジュアーズ(地球の宝物たち)」という活動名で、〈すべての人の経験は宝で価値がある〉を伝えていきたいですね。

私は「言葉」で救われたので、「言葉」を使って表現したいと思っています。

小澤
ご協力ありがとうございました。



◆泰山理沙さんとお仲間の活動サイト「Re:BornEN―紡縁―」はこちら!



泰山理沙さん 子宮頸部すりガラス細胞がん(再発)
オンラインでの取材ありがとうございました!



【編集長感想】


まさに、「波瀾万丈」

しかしながら、波瀾万丈には不可抗力的な外的環境(戦争など)からもたらされるものと内部環境の表象性が高いものがあります。

スクリーンに映し出される自分の物語は、自分自身がつくっていることに泰山さんは気がつきました。

しかし、自分自身でつくっていたようで、実は他者のシナリオを採用していたことにも気づきました。

これからは、自分の真の言葉で書き綴ってくれることでしょう。

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