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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)

崖っぷちに立たされ腹を括ったら自分の歩む道が見えだした!
2021年9月 オンラインにて取材

歯科医のご主人を胆管がんで亡くされてから、二人の息子さんの子育ては“跡継ぎ作り”だった。それが暗礁に乗り上げたとき、井村さんに二つのがんが見つかりました。「子どもたちのために生きなければならない。それは同時に私自身の課題に向き合うことだ!」・・・覚悟するしかなかった。いろいろな人との出会い、学び、実践を通して、人生の課題に答え続けている井村さんです。


井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)
お隣の県にお住まいですが、この日はzoomでオンライン取材



◆進行性乳がんと直腸がんが同時に見つかる!◆

小澤
井村さん、今日はお時間取っていただきありがとうございます。ノートを見返すと、去年(2020年)の2月のセミナー(杉浦貴之さんとのコラボ)に参加くださり、その月の末に個人相談でお会いしています。

井村さん
まだ1年半ですか!?(笑)

小澤
SNSで交流していると、ずっと以前からのお知り合いのような気がしますね。(笑) 早速ですが、発病からの経緯をお聞かせください。

井村さん
当時は宮崎に住んでいましたが、2019年の初め頃から体調が芳しくありませんでした。歩くと右足の付け根が痛く、右の脇や背中も痛く、肩も凝りました。4月の健診では血液データも良くなかったのですが、再検査してもわからずじまい。おかしいなと思い、自分の判断でPET検査を受けました。

小澤
結果は?

井村さん
乳がん ステージ3c。浸潤していてHER2陽性。医師からは進行が速いタイプと告げられました。

実は他にも気になる症状がありました。ほぼ1日1回下痢をしていたのです。乳腺のドクターに相談したところ、手早く診てもらえるからと消化器専門の個人病院受診をアドバイスしてくださいました。直ぐさま胃と腸の内視鏡検査を受けました。検査中に見つかった腫瘍はドクターの判断で内視鏡切除して組織を調べたところ悪性(がん)でした。

小澤
乳がんと直腸がんの多重がんとお聞きしていましたが、同時発見だったのですね。そして直腸は検査中に初期治療を施した。

井村さん
そうです。直腸は1.5cmでしたが、きれいに取り切れたとのことでラッキーでした。直腸は半年後に経過確認するだけでよく、乳がんの治療に専念することになりました。

小澤
細胞の悪性度が高く浸潤している進行性乳がんとなると、集学的治療になるかと思いますが。

井村さん

進行が速く転移もしやすいので早く治療をと促されましたが、念のためセカンドオピニオンも受けました。やはり早く治療しなさいと言われました。

親が高齢なことや諸々の事情があって、そろそろ地元の岐阜に帰ろうかと考えていた矢先にがんが判明しました。なので、乳がん治療は岐阜に戻ってから始めることにしました。

術前抗がん剤をするか、それとも先に手術か・・・。ただ、20年近く前に胆管がんで亡くなった主人を見ていたので、抗がん剤はやりたくなかった。なので、免疫療法でなんとかしようと医療機関を探しました。でも最初に訪ねたクリニックは何か違和感があったので、再度調べ直して別のクリニック(小林正学院長)を受診しました。

小澤
代替治療として免疫療法が一番手になった理由は何ですか?

井村さん
主人の時に免疫療法を検討し、詳しく調べたことがありました。抗がん剤しかないのか?抗がん剤に替わる療法はないだろうか?血眼になって探すうちに免疫療法を思い出しました。

小澤
ご主人の時にもいろいろリサーチされたなかに免疫療法があったのですね。

井村さん
小林先生自身、その年の4月にがんの手術を受けたことを話してくださりました。抗がん剤と並行して免疫療法で補完して治療を進めていくことができるという助言をいただき少し安心できました。それでも、抗がん剤治療に乗り気にはなれませんでしたが、進行が速いがんへの恐れもあって抗がん剤治療を受けることにしました。


井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)
岐阜に帰る前に宮崎の青島神社を参拝



◆抗がん剤治療に臨むも1回でダウン◆

小澤
事前準備を終えて、いざ治療開始となった。

井村さん
7月9日(2019年)に1回目の抗がん剤治療をしました。ところがたった1回で白血球が700近くになってしまいました。体もヘロヘロでした。

小澤
1回でけっこうなダメージを受けた。

井村さん
体を回復させるために何度も点滴を打ちに通わなければならないほどでした。それを見た主治医が分子標的薬に変更してくれました。加えて小林先生の免疫療法を追加し、なんとか散歩ができるようになりました。その時、小林先生は「是非、リボーン洞戸(がん予防滞在型リトリート施設)に行ってください」と言われました。

小澤

小林先生にリボーン洞戸を勧められたのですか!?

井村さん
そうなんです。体調は良くなかったのですが、2泊3日で滞在しました。その後も2ヶ月に1回のペースでリボーン洞戸に滞在し、船戸先生にも相談させていただきながら11月まで分子標的薬を続け、12月に手術をしました。

小澤
半年ほど術前分子標的薬治療をされたのですね。

井村さん

この間、大阪のネオアンチゲン免疫療法を受ける準備もしていました。

(*注)ネオアンチゲン免疫療法は、患者のがん組織を用いて遺伝子検査を行い、発生している腫瘍特異抗原を特定して、その情報をもとにネオアンチゲンペプチドを合成しワクチンを製造するオーダーメイド治療。

ところが手術で摘出したがん組織をワクチン製造のため検査に出したところ、腫瘍特異抗原が特定されませんでした。

小澤
遺伝子レベルでは、がん化を促していた異常が見つからなかった。性質の悪いがんだったけど、分子標的薬や免疫治療が奏功したということですね。

井村さん
確かに自覚的にも脇の腫れが小さくなっていました。

小澤

手術までに治療以外に日常で取り組んでいたことはありましたか?

井村さん
散歩、リボーン洞戸で教えてもらったヨガベースの体操、温浴、気功のようなボディワークです。

小澤
手術以降に追加の治療はされたのですか?

井村さん
主治医は抗がん剤と放射線を予定していました。私はそのつもりはなかったのですが無碍に断ることもできず、抗がん剤をやりました。ところがやはり具合が悪くなって、放射線だけに切り替えました。でも放射線をやったら、また歩けなくなってしまいました。その頃は、一人暮らしをしていたので日常の生活に支障があり、治療は中止しました。

小澤
じゃ、最初にお合いした頃は体力的に厳しい状態だったのですね。

井村さん
しんどかったです。もうどうしたらいいやら、方向性を見失っていました。子どものためにも死んでる場合じゃない!生きなきゃ!という想いが強いのに体はヘロヘロでした。こんな体で生きられるのか!? 強い不安と自信の喪失で打ちひしがれていました。

小澤

予定されていた抗がん剤、放射線はスッパリ止めた。

井村さん
お断りしました。主治医に伝えると、「止めるとはどういうことだ!」 けんもほろろに言われました。放射線科のドクターにも冷たくあしわられ泣きました。(笑) でも実際、体が持ちこたえられませんでした。それでも一年後の経過観察はしていただくことになりました。

小澤
治療をしないことでネガティブな予測を告げられたりはしなかったですか?

井村さん
それはありませんでした。別の方法でやっていきたいことは話しました。自分の事なので自分で決めたいと。言ったらスッキリしました。(笑)


井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)
リボーン洞戸での杉浦貴之さんのイベントに参加 2020年7月
セルフケアメソッド「タッチフォーヘルス」に出会う



◆歯科医夫人を完璧に演じようとした◆

小澤
話を戻しますが、最初にがんと診断された時はどんな心境でしたか?

井村さん
「なんで私がなるの!?」 一種のエネルギー療法に取り組んでから十数年、病院のお世話になることなく風邪一つ引いたことなかったので、自分の身を疑いました。

小澤
その療法を学び実践するようになったのは、どんな理由からですか?

井村さん
長男がメンタルに問題を抱えたことです。大学に行けなくなってしまったのです。下宿していたのですが、精神的に通えない状態になってしまいました。

長男が高校3年の時に主人ががんに冒されました。とにかく歯科医院の跡継ぎを作ることが私の至上命令と思い込んでいました。音楽や芸術、考古学が好きだった長男を、手先が器用なわけでもないのに歯学部へと駆り立てた。それが息子に強いプレッシャーになってしまったのだと思います。

小澤
開業医さんの跡継ぎ問題は大変ですよね。ましてそのタイミングでお父さんが亡くなったとなると、進路選びに大きく影響するでしょうね。そして、井村さんは「歯医者さんの奥様役」としての務めを必死に果たそうとした。

井村さん
歯科医の奥さんという世間体に気を取られ、品格や服装にも気を遣いました。本当の自分ではなく社会的に立派な歯科医夫人であることを自らに課したのです。

次男も主人の死をきっかけに医学部志望になりました。嬉しい反面、本当にそれでいいのか?と心に疑念はあったものの、せっかく医学の道を目指すと言ってくれたので胸にしまい込んでしまいました。

小澤
井村さんご自身も、フライトアテンダントになりたかった夢を断念されたのですよね?

井村さん

よく覚えてますね。(笑) 人と接することが好きだから接客業としてのフライトアテンダントに憧れました。でも親の顔色見て、母に怒られないようにと諦めてしまったのだと思います。神経質な母には褒められた記憶がなく、認められたくてとにかく勉強を頑張って進学校に合格しました。

小澤
そういう体験って無意識に引き継がれてしまうことありますよね。気がついたら親の口癖を子どもに言っているとか。

井村さん

そうですよね。母の性格が嫌だったので、母のようにはなりたくなかった。なのに、いつしか母に似ている自分がいて、ああなってはダメだと思っていました。


井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)
2020年10月 徐々に体力回復も髪の毛はまだ縮れた状態の井村さん



◆統合医療への傾倒◆

小澤
「がん」という病気についてのイメージはどうでしたか?

井村さん
主人のがん治療で、抗がん剤の恐さが焼き付いてしまいました。一方で、それまで携わってきた健康法の学びで、「病は何かの間違いで自分が作ったものだから、自分で治せないはずはない」と思っていました。

小澤
「何かの間違いで自分が作った」 心当たりはありますか?

井村さん
当時、投げやりな自分がいました。次男が退学したこと、自分が取り組んできたことへの揺らぐ気持ち、物事が思ったように運ばないこと・・・それらが私自身に向き自分を責めるようになっていました。

小澤

思うようにならない現実は自分のせいだと。

井村さん
主人の闘病経験から統合医療に傾倒していきました。医療機関でも導入していたエネルギー療法を信じ込みました。長男のときは上手くいきましたが、次男には拒否されました。自分を責め出すと、自分の嫌な面が顕れてきました。

小澤
自分の嫌な面?

井村さん
人との比較、親への否定(母みたいになりたくない)、自分を卑下してしまう・・・そして、自信を失っていました。

小澤
でも一方で、統合医療の学びが井村さんにもたらしたこともあったのではないですか?

井村さん
私は、上から目線の物言い、感情的になる、決めつけるが顕著でした。長男とも対話にならなかった。でも、子どもは自分の所有物ではなく、独立した魂を持つ一人として見ることが腑に落ちたら、子どもの言葉をちゃんと聞き、理解し、認めることができるようになったのです。それ以来、何時間でも対話できるようになりました。

小澤
井村さんが変わることで、お子さんとの関係性、お子さん自身も変化していった。

井村さん
長男も私の変化を認めてくれました。ただ、子どもを治したい一心で入れ込み過ぎていた面もありました。

小澤
窮地に陥ると何かにすがりたくなる心情はありますよね。

井村さん
その時の私にはそれしかなかった。だから離れざるを得ない際には、今まで信じて一生懸命やってきただけに喪失感が湧き投げやりになったのだと思います。それでも、西洋医学以外の人体へのアプローチに関しては、とても腑に落ちる学びだったので「病は自分で治せるはずだ」と思えたのです。

小澤
なるほど。がんになったことは青天の霹靂で驚愕したが、がんへの向き合い方のベースキャンプはあったのですね。

井村さん

どう治していくかについては迷い、心が揺れ動きましたが、家族の意見も参考にして、まず標準治療を受けることにしました。


井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)
メディカルハーバルリトリート養老 Villa CAMPO(船戸クリック 関連施設)にて 
2021年1月




◆生き方や心の持ち方、物事の考え方が最も人体に影響する◆

小澤
しかし手術は別として、抗がん剤と放射線は井村さんにとっては負担が大きかった。でも、それまでの統合医療的な学びがあったので広い視野を持てたわけですね。

井村さん

はい、同じ志のドクターもいましたが様々な治療家の方々と一緒に学んだことが役に立ちました。科学的エビデンスだけに頼ることはありませんでした。

先入観に囚われず、自分の感覚でこれはと思うものにトライしました。根拠がはっきりしているわけではありませんが、治る自信みたいなものはありました。

小澤
治療観をお持ちだったのですね。人の体はこういうプロセスで治っていくのだと。

井村さん
私の中では、生き方や心の持ち方、物事の考え方が最も人体に影響するというのが、自らの体験、家族の体験、そして学んだ事、実践したことから健康観の柱になっています。今では、それはもう確信となっています。

西洋医学にしても東洋医学にしても奏功するのは、自らが変化することで生じる治るエネルギーの土台があってこそだと思うのです。

小澤
仰るように、本人の治る力は生きる力(生存能力)の一部ですから、生きる力を発揮させるには生き方や心の持ち方、物事の捉え方は大切になってきますよね。

井村さん
目に見えないパワーは大きいと思います。自分の口にする言葉にも自信がみなぎっていたのが、喪失感で投げやりになっていた時には「どうしてこんな上手くいかないの?」と意識が負のベクトルに向いていました。

小澤
長年にわたり心血を注ぎ、井村さんの支えになっていたものを手放さなければならなかったのだから辛かったですね。

井村さん
私と一体化していたのです。主人を亡くしてから、それが拠り所だった。私にとっての「安全基地」だった。でも長男は私の入れ込み具合を冷静に見ていてくれて、時に注意もしてくれました。でも、その時の私はしっかり受け取っていませんでした。盲目的になっていた。

小澤
なるほど。これ一種の“外的基準”になっちゃうことがありますよね。例えば、信心でも教えを自分の生き方に取り入れるのと、教義至上主義とはちがいますよね。教義に縛られた生き方が過ぎると、綻びや破滅的な事が起きる。

井村さん
そういえば、だんだんギャップを感じていました。人様のためと思って身を粉にしているのに、息子には結果がでない。人様に尽くすことで幸福になれるはずなのに・・・。


◆人体には科学的エビデンスの枠を超えた可能性がある!◆

(小澤談)
抗がん剤と放射線治療の中止を申し出た後の2020年2月、個人相談でお会いした井村さんは憔悴のご様子でした。「自分のがんの再発・転移予防を今後どうしていくか?」「次男とどう向き合っていけばいいのか?」 

まず、自分を整えていくこと。井村さん自身の人生と息子さんの人生を分けて扱うことなど一緒に話し合いました。そして、統合医療のドクターをご紹介しました。

井村さんはそれ以降のご縁から出合ったドクターや心理療法、脳トレなどを学び、物事や出来事の悪い面ばかり見るようになっていた習慣を変えていきました。子どもの頃の家族に関わるネガティブな体験も洗い出し、別の見方をするトレーニングもしました。それらを続けることで、思い込み、決めつけが強かった人格も、柔軟性のある人格に変化していきました。そして、あらためて自分の生きる目的のワークにも臨みました。

ピンチやトラブルをも「問題」ではなく「課題」という概念に変換し、その課題に対して答えを出す生き方に変わりました。



小澤
「問題」ではなく「課題」・・・いいですね。

人生において、与えられた「課題」を変えることはできないが、与えられた「課題」に答えることはできます。

井村さん
主人を亡くした20年前から、統合医療を目指していたのです。標準治療だけでは足りないと考え、熱心にエネルギー療法を学んだ。ところが、息子たちが心のバランスを崩し、私はがんになった。何でこんな辛い想いをしなきゃならないんだろうと苦しかった。でも、がんになったことで否が応でも自分の核心と正面切って向き合うしかなくなった。

小澤
ああ、そういうことですか。井村さんはエネルギー療法に脇目も振らず没頭したのだけど、それはまた無意識ながら自分の核心から目を反らすことでもあった。しかし遂に封印を解かなければならない時が来た。

井村さん
標準治療、様々な療法を自ら経験することによって、私の核心を覆い隠していた布を一枚一枚剥がしていけました。

小澤
統合医療的なアプローチはそれぞれの療術の理論や手法に目を見張ることがありますが、それ以上にそれらによって変化する人間の可能性に驚嘆します。

井村さん
生きる力って凄いですよね。そして、子どものために必死になる母親の本能も凄いなと思いました。

次男はじっくり型のカメ、私はせっかち型のウサギ。なのに、私は次男をウサギにしようとしていたのです。カメを問題視していたのですね。カメではダメだからと彼の在り方、生き方に過剰に介入してしまった。しかも、私の望む姿に変えようとした。

でも彼がどう生きるかは、「私の問題」ではなく「彼の課題」ですよね。それを分離できるようになって、私は「私の課題」に取り組めばいいのだと思えるようになりました。

小澤
井村さんのこれからの生きる目的は何ですか?

井村さん
私たち家族が経験したことを踏まえ、家庭でできる健康法を伝えていきたいですね。いま取り組んでいる「タッチフォーヘルス」というセルフケア法で、元気に寿命を全うすることのお役に立てればと思います。

小澤
インタビュー開始から2時間以上経ちました。お話は尽きませんが、長時間、ご協力ありがとうございました。



◆井村敬子さんの講演会が12月4日(土)午後、愛知県一宮市 JR尾張一宮駅構内 iビル大会議室で催されます。(ガン患者会 いずみの会主催)
どなたでも参加できます。(いずみの会ブログにイベント掲載)



【編集長感想】

井村さんの「がんは治る気がしていた」の根底にあったのは、「私(人間)は変わることができる」だったのではないか。目に見えない部分も目に見える部分も変わることができる。記事にはできなかったお話も多々あったのですが、僕はそう感じました。


井村敬子さん 多重がん(進行性乳がん、直腸がん)


それにしても、1年半前と今の井村さんは、まるで別人のようです。

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