再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

平岡尚子さん 乳ガン

ヒヨドリの一滴であっても情報を伝えていきたい
2011年6月 広島にて

乳ガンは手術後でも長期にわたって再発リスクのあるガンです。「ガンは私に、あなたは不自然な生き方をしていますよ、と教えてくれたのです」と語る平岡さん。徹底した再発予防と、ガン患者さん支援の取り組みを取材しました。

平岡尚子さん 乳ガン



◆命の舵取りをお医者さん任せにしたくなかった◆

小澤
ガンの辞典の小澤です。どうぞ宜しくお願いします。

平岡さん
平岡です。うまくお話しできるかどうかわかりませんが、宜しくお願い致します。

小澤
乳ガンが見つかったのはいつでしたか?

平岡さん
2007年の10月です。乳ガンの定期検診で触診とマンモグラフィーをしたところ発見されました。大きさは1cmで、乳ガンⅠ期の診断でした。

小澤
初期ですね。すぐに治療されたのですか?

平岡さん
その頃、私は自然食品のお店で仕事をしていました。そのお店では「ガンの患者学研究所」という患者団体の冊子を配っていたので、それを読んで自分で治す方法があるかもしれないと調べました。

小澤
一般的には、すぐに手術を受けるケースでしょうが、平岡さんは当初から自分で治す方策を探された?

平岡さん
はい。代替療法のお医者さんや、自助療法について探しました。

小澤
ご家族はどうお考えでしたか?

平岡さん
主人は西洋医学での治療を望みましたので、乳ガン治療の一流のお医者さんを探してくれていました。

小澤
ご本人とご主人では方向性が違っていたのですね。

平岡さん
「治したい」という思いは同じなのですが、向かう先が違う。これでは免疫を落とすだけだと思い、正直な胸の内を主人に話しました。3ヶ月だけ手術を待ってほしい。3ヶ月期限を切って私が選んだ方法で治療させてほしい、とお願いしました。

小澤
ご主人は承諾してくださりました?

平岡さん
はい。私はその日から、食事を玄米菜食に切り換え、ビワの葉温灸、散歩、半身浴、足湯などを毎日スケジュールを決めて実行しました。しかし、3ヶ月という期間では短かったのか、ガンのサイズに変化はありませんでした。そこで、主人と話し合いをして手術だけは受けることにしました。

小澤
パートナーであるご主人の意向にも配慮することで、治癒へのベクトルを強固にしたのですね。ガン治しの精神環境は大切ですね。。

平岡さん
ただし手術はするけど、その後については、自分の体なので自分の思う通りにさせてほしいと言いました。

小澤
そこのところは譲らなかった。

平岡さん
ガンの良いところは、たとえ初期のガンであっても「死を意識する」ことです。死を意識することは、すなわち「どう生きるか」とイコールです。「どう生きるか」を意識すると、自ずと「どうガンと向き合うか」と自分で考え、自分にとって最適の方法を選択できます。

小澤
ガンによって死を意識し、怖いから誰かなんとかしてッ!という思考ではないのですね。

平岡さん
私は「命の舵取りをお医者さん任せにしたくない」そう思いました。ですから、手術後の病院食もキャンセルして、病室に玄米菜食を持ち込みました。

小澤
なるほど。

平岡さん
それから1年半はみっちり養生をやりました。やはり再発が怖かったですから。瞑想、散歩、テレビ体操、半身浴、足湯、爪もみ、ビワ葉温灸、もぐさのお灸・・・。あとは少しづつ減らして、自分のお気に入りは今でも続けています。私の場合は、もぐさの香りが好きなので温灸です。

小澤
徹底していますね。毎日お忙しかったでしょう。(笑)

平岡さん
養生メニューをこなすことで一日が過ぎました。(笑) 

平岡尚子さん 乳ガン
左が平岡尚子さん。編集長より数か月お姉さま(笑)



◆ガンになってはじめて自分のことを一番に考えることができた◆

平岡さん
でも、修行のような感じや切迫感はありませんでした。自分のことを優先できるのがうれしくて・・・。

小澤
自分を優先できた? それは、ガンになった原因と関係があるのかな?

平岡さん
ガンになった心当たりはありました。だからもう、自分の体を傷めつけることはしたくないという思いもあって、なるべく自助療法をしたかったのです。手術後の放射線とホルモン剤はお断りしました。

小澤
心当たりとはどんなことか、お訊きしてもいいですか?

平岡さん
私は「自分さえ我慢すれば丸く収まるなら私が我慢しよう」というタイプでした。私自身ひとりの人間ですが、同時にいくつかの役割があります。【自分】【妻】【母親】【嫁】。私は常に【嫁】→【母親】→【妻】→【自分】という優先順位で生活していたのです。

小澤
いつも【自分】が最後だった。でも、それだけ役割をこなそうとすると、自分は“最後”というより“無し”に近い状況だったかもしれませんね。

平岡さん
たぶんそうだったのでしょう。ですから、自分がどうしたいのかという思いに不感症になっていました。立場や役割で物事を考える習慣になっていました。

小澤
そのような生き方はご結婚されてからのものですか?

平岡さん
私の母が同じような境遇でした。私が育った家庭は、祖母、両親、兄二人と私という家族構成でした。祖母の関心はもっぱら若夫婦(平岡さんのご両親)に向けられていました。息子の目を自分に向けたいという気持ちが強かったのでしょう。必然、私の母は祖母に人一倍気を使いました。子どもの私が見ても、母は“いっぱいいっぱい”という感じでした。ですから、私は母に迷惑かけないよう「好い子」になっていました。

小澤
その頃から身に染み込んだ生き方が、ご結婚された環境でも存分に発揮されてしまったわけですね。

平岡さん
そう思っています。私の母も40代で子宮ガンになりました。


◆情報格差を改善したい◆

小澤
平岡さんは、ガンをどんな病気だとお考えですか?

平岡さん
サイモントン療法で、「人は不自然な状態で生きていると、体を壊しても自然に戻そうとする」ということを学びました。まさしくガンは、不自然な自分に気づかせるために生まれてきたものだと思います。

小澤
平岡さん自身は、不自然な生き方に気づいたのはガンになってからですか?

平岡さん
いえ、その前から何となく気づきだしていました。でもたとえ不都合な習慣といえ、変えることって無意識に抵抗しますでしょ。とくに大きな支障がなければ。

小澤
ということは、「あなたの不自然な生活を変えないとタイヘンなことになるぞ!」と知らせるためにガンが現れたことになりますね。

平岡さん
正常な細胞を壊してでも自然な私に戻そうとしてくれたのでしょうね。ガンになってから、姑との付き合い方も変えました。私が姑に抱いていた不自由な気持ちは、姑が悪いのではなく、私のコミュ二ケーションの仕方の問題だという事が、ある方の言葉で分かりました。

その方は、私の言動を聞いて、『あなた、自分を安売りしましたね。愛を得る為に』と言われました。私は、その言葉で、私は姑の為ではなく、自分が愛されようとして自分の為にしていた事なのに、どこか姑に対して恩着せがましい気持ちを持って接していたのだと気がつきました。それからは、姑に接する時は「愛されよう」とするのではなく、「愛そう」という気持ちで接しました。そうしたら、お互いが以前より良い関係になれました。

小澤
平岡さんは、ご自身のガン体験を機にガンで悩む人をサポートする活動(健康ひろば ひまわりの会)にも取り組まれていますね。

平岡さん
手術をしてすぐに、ひょんなことからガンの患者学研究所広島支部の支部長を務めることになりました。その時の経験で、こんなに情報がありながら、それを受け入れ自分なりに活用できない方々がいらして、とてももどかしい思いをしました。家庭の問題、低い自己肯定感、この世への執着・・・など根底にある心理によって一歩が踏み出せないようでした。そこで私は少しでも心理的な問題の解決のお手伝いができればと、NLP(神経言語プログラム)を学びました。

小澤
メンタルサポートだけでなく、食養生や体の温め方なども含め、ガン患者さんが気軽に訪れることができる場をつくられるプランをお持ちのようですね。ただ、このような患者側が取り組むことに関する情報にアクセスする機会は限られている現状があります。

健康ひろば ひまわりの会
「健康ひろば ひまわりの会」(2015年3月~休会中)


平岡さん
私はその情報格差が是正されることを望んでいます。標準治療に比べ自助療法の情報に接する機会は社会全般的に少ないです。偏った情報にしか接することができず、ガンを克服するための機会を逃してしまうとしたら、とても残念でなりません。

小澤
ガンの情報格差を改善するには、どうしたらよいのでしょう?

平岡さん
「ヒヨドリの一滴(ひとしずく)」というお話をご存知ですか? 住処である森が火事になった時、川から一滴の水を口で運んで火を消そうとした。もちろん、火の勢いを弱めるには少なすぎる水です。でも、一滴一滴、何回も何回も、水を運びます。私たちのやっていることは、ヒヨドリの一滴かもしれません。それでも私は続けていこうと思います。

小澤
今後のご活躍を期待しています。ご協力ありがとうございました。


「ヒヨドリの一滴」の物語(南アメリカの先住民に伝わるお話)
ある所に、美しい花や色々な木がたくさん育つ森がありました。そこには川が流れていました。動物も植物も虫も平和に過ごしていました。また小さな村もあって、人間も自然と一緒に生活していました。

ところがある時、何か焦げている臭いがしました。その内、パチパチと音がするようになりました。何が起きたのでしょうか。そう、森に火事が起きたのです。火はどんどん燃え広がっていきます。小鳥たちや動物たちは「火事だー、火事だー、逃げろー」と叫びながら逃げ出しました。力の強い森の熊や足の早い鹿やリスたち、また空を飛べる小鳥たちは、一目散に逃げようとします。

ところが、子どもや赤ちゃんの動物、病気や年をとった動物や小鳥たちは、すぐに逃げることができません。また、そのお母さんやお父さんも赤ちゃんや子どもを抱えて「どうしよう、どうしよう」と、神さまに「助けて下さい」叫ぶだけです。

そこで、誰よりも早く逃げようとしていたヒヨドリが、「大変だー、みんなやけどをしたり、死んでしまう。何か自分にできることはないかなー」と考えました。火はどんどん燃え広がっていきます。ヒヨドリは、川に飛んで行き、自分の羽を水でぬらし、口に一滴の水を入れて燃えている火の上にパラパラと水をかけました。他のヒヨドリたちも同じようにして、火事の上に水をかけました。

でも、そんな一滴ずつの水では大きな火事を消すことがなかなかできません。他の動物たちは、「そんなことをしてなんになるのさ。そんなことをしないで逃げろー」と言いました。でもヒヨドリたちは、「今自分にできることをしないと、みんな死んでしまう」といいながら、何回も何回も川に行っては、水を体や口に含んで火事を消そうとしました。けれども、なかなか火は消えません。しかし、何回も何回も諦めないでしました。「神さま、助けて下さい」と心で祈りながらです。

その時です。神さまは、「ヒヨドリさん、あなたは友だちのために自分のできることを一生懸命している。その心を忘れないように」と言いました。そして、ポツッ、ポツッ、ザーっと雨が降ってきたのです。神さまは雨を降らせて下さったのです。そして、あれほどすごい火事も次第に消えていき、動物たちや鳥さんたち、そして人間も助かりました。(おしまい)


【編集長感想】

平岡さんはガンで悩む人のサポートをするため、サイモントン療法やNLP(神経言語プログラム)を学ばれています。それはご自身が、「自分が自分として自然であることの尊さ」を身をもって体験したからでしょう。一般的に流布しているガンの情報・・・標準治療を主とするガンを取り除く機械論・・・だけで、すべてのガン患者さんが幸せにはなれない。ガンという病気の背景にある人間性、生命力にスポットを照らした情報に接する機会をもっと作るべきだ。そんな平岡さん(たち)の思いに、編集長も共感します。








ガン克服レポートガン克服資料

ガン克服テキスト

◆ガン克服に役立つ『無料レポート』はこちらから!

◆ガン克服の資料請求(無料)はこちらから!

◆各種ご相談はこちらから!

◆ガン克服に役立つテキストはこちらから!


テキスト購入 無料レポート 資料請求

この記事の関連キーワード
ページトップへ