再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

成塚知佳子さん 乳がん

胃がんで亡くなったご主人の命日に乳がんを告知される
2022年2月 オンラインにて取材

ご主人の死後10年、女手一つで頑張ってきた成塚さんが乳がんの告知を受けたのが、図らずもご主人の命日でした。その瞬間、ご主人が亡くなったときに自ら決心した言葉が蘇ります。「私、自分に呪文をかけてしまった!」 

すぐさま呪文を引き剥がすも、 間に合うだろうか!? 呪文の効力をクリアにできれば、顔つきの悪いがんが暴れるのを防げるはずだ! そして成塚さんは、こころ、からだ、生活の環境を変えて行きました。


成塚知佳子さん 乳がん
育て上げたお子さん達と訪れたスペインにて



◆「自分は幸せになってはいけない」◆

小澤
成塚さん、こんにちは。ご協力ありがとうございます。

成塚さんのがん体験はオンラインセミナーで断片的にお聞きしたことがありますが、今日はフルサイズでお願いしたいと思います。

成塚さん
こちらこそ宜しくお願い致します。

小澤
まず経緯からお話くださいますか。

成塚さん
私のがん体験をお話するには、40歳で亡くなった夫のことを抜きにはできません。

1995年、阪神淡路大震災の年でした。ちょっと具合が悪いと言い出して受診したら、すでに手のつけようのない胃がんでした。何がなんだかわからない。まるでドラマを観ているような心持ちでした。主治医の余命宣告も他人事のようで現実感がありませんでした。そんな簡単に人は死なないものだろう・・・。子どもはまだ5歳と3歳でしたから、そう思いたかったのかもしれません。

まだネットが普及していなかったので、本屋に行って救いになりそうな本を漁りました。中国から「これで絶対に治る」という触れ込みの液体薬草も取り寄せました。でも飲む前に亡くなってしまいました。


成塚知佳子さん 乳がん
ご主人が発病される前年の七五三



小澤
まさに青天の霹靂。

成塚さん
「がんは治る」という一文が印象的だった今村光一さんの著書で紹介されていた鍼灸院を訪ねました。その鍼灸院で、「がんは心の持ち方を変えれば治る」というような事を言われました。夫はそこで何回か鍼治療を受け、丹田呼吸法を教えてもらいました。「人間には自然治癒力があるから体は治るようにできている」と励ましてくれました。

小澤
エビデンスのある治療がないなかで、その言葉は灯火になったのですね。

成塚さん
夫が亡くなった時、「自分は幸せになってはいけない」と決心しました。

小澤
決心!? 

成塚さん
理由はわからないのです。でも、その時の感覚は今でも鮮明に覚えています。何の抵抗もなく、心に刻み込まれたのです。

でも今になると、そう思うことでバランスを取ろうとしたのかもしれません。自分の事は後回しにして、これから幼い子ども二人を養っていくという覚悟の表明だったかもしれません。

小澤
なるほど。ご主人の死に対しての喪失感や罪悪感というわけではないのですか?

成塚さん
喪失感、罪悪感・・・もの凄くありました。なんでもっと早く夫の異変に気付かなかったんだろう・・・。私の気持ちが夫に向いてなかったんじゃないか・・・。私が悪いんじゃないか・・・。夫が可哀想で、「自分だけが幸せになってはいけない。楽しんじゃいけない」という思いもありました。

小澤

若くしてこの世を去ったご主人への申し訳ない気持ちもあったのですね。

成塚知佳子さん 乳がん
子どもを連れてのお出かけではいつも友人が付き合ってくれた



◆夫の命日に乳がんが判明◆

成塚さん
その覚悟で頑張ってきた10年後の夫の命日に、乳がんの診断を告げられました。この10年の間には鬱も経験しましたが、なんとか子ども達も成長し長男が高校に合格し、やっと一息付ける。そんな時にがんが見つかりました。

小澤
偶然とはいえ、ご主人の命日に。

成塚さん
病名を告げられた瞬間、ずっと忘れていた「自分は幸せになってはいけない」が蘇ってきました。ふいに思い出して、「なんか間違っていたかなぁ」という気になったのも鮮明に覚えています。

小澤
決心の言葉はすっかり忘れていた!?

成塚さん
周囲も感心するくらい頑張って、頑張ってきたのに、この結果は何なの!? 再び、どん底に突き落とされました。 でももしかしたら、この言葉が問題なのじゃないかという疑念を持ちました。

自分を否定するこの言葉以外に発病の原因が考えられなかった。私は先ほどお話した鍼の先生の所に行きました。その先生にはかねがね、配偶者を亡くした人のストレスに気をつけるよう言われていました。先生から食事のことも勉強するようにと進言されたので、食事指導に詳しいクリニックにも通いながら、埼玉がんセンターで手術を受けました。

小澤
まず手術を受けた。

成塚さん

がんのサイズは小さく術前の見立てではステージ1と言われました。ところが手術したらリンパに転移していて、リンパ郭清もしました。しかも、「がん細胞の顔つきが悪い(悪性度が高い)。今にも暴れ出しそうだ」と主治医に言われました。それを聞いて、またどん底に落ちました。その顔つきが理由だろうと思いますが、放射線治療とホルモン療法を追加することを勧められました。

小澤
顔つきが悪いから、手術で肉眼的には取り切れてもフォローの治療が必要と判断されたのでしょうね。

成塚さん
でも断りました。

小澤
断った理由は何ですか?

成塚さん

夫が亡くなったとき、病院に不信感を抱きました。告知の仕方が乱暴で、本人や家族のメンタルへの配慮がありませんでした。手術も開腹しただけで施しようがなく閉じられ、抗がん剤治療もできませんでした。執刀中に手術室に呼ばれて病巣を見せられました。ど素人の私が見ても取り切れないことが理解できました。少しでも物が食べられるよう姑息手術だけして閉じられ、好きなことしてくださいと帰らされました。

小澤
病院不信から別の治し方を模索された。

成塚さん
それで先ほどお話したクリニックに行ったら「大丈夫」と言われたので、その先生の方針を信じてやってみようと思いました。ただ自分の中では10年前の決心こそが、がんの本質だという心の声がありました。


成塚知佳子さん 乳がん
息子さんとシュノーケリング



◆10年間、自分の体に本当に申し訳ないことをした◆

小澤
医学的な治療でフォローするより、10年前の言葉こそがボタンの掛け違いの始まりだというのが拭えなかったのですね。

成塚さん

10年間、自分の体に本当に申し訳ないことをしたと心から思いました。きっとその決心は心の奥深く、魂のレベルとでも言うのでしょうか、セットされてしまったのだと思います。その後、いくら楽しいことを経験しても、その設定は変わらなかった。

小澤
言葉は悪いですが、呪いのプログラムとして完璧にインストールされていたのですね。

成塚さん
まさに自分で自分に呪文をかけた。だから、その呪文を削除しなければと思いました。間に合えばいいけど、と思いました。

主治医は時間をとって私の話や質問を聞いてくださいました。でも、骨シンチ検査の説明の際、骨に転移したら(当時のことですが)治療法はないと言われました。治療法がないのに、どうして検査するのか合点がいきません。この病院で経過観察する意味があるだろうか? 通院することでかえってストレスにならないか? 結局、治療を受けないので通院をやめました。

小澤
そうなると経過観察はどうされたのですか?

成塚さん
クリニックには通いました。そこでは、がんの検査ではなく体内環境をチェックする検査をしていました。3ヶ月くらいしたら良い評価をしてもらえました。

小澤

手術はしたけど、再発転移予防は自助療法、自然療法を選択されたのですね。

成塚さん
クリニックに併設されたレストランで食事をしていたら、やはり通院されているご夫婦に声を掛けられました。そして、私に、ある患者会の冊子をくださいました。その会が発行している定期刊行誌を全巻取り寄せ読みました。それで、治る人がいることにすごく励まされました。

当時、その会は大宮に支部があったので毎月の集まりに参加して刺激を受けていました。その場で勉強するのが楽しみでした。学んだ事を自分流にアレンジして養生していました。

小澤

具体的にはどんなことをされたのですか?

成塚さん
クリニックで指導された食事、びわ温灸、こんにゃく湿布、ニンニクへそ灸、岩盤浴などです。完璧にやろうとするタイプなので、鍼の先生からは「成塚さんは6割でいいよ」と言われていました。私の性格を見抜いていたんですね。決めたとおりに100%できないと罪悪感を持っちゃうんです。(笑)泣きながら「ラッキー!ラッキー!ありがとう!」と無理やり呟いて散歩もしました。

小澤

たしかにせっかく体に良いことしても、罪悪感がくっついちゃうともったいないですね。

成塚さん
食事やびわ温灸などは、生理痛や便秘、肩こりや疲労感が改善したので体に良いことを実感しました。当時は気付かなかったのですが、発病前は休日に横になっていることが多かったですね。でも根が頑張り屋なので、フルタイムの仕事、家事、子どもの世話に明け暮れていました。


成塚知佳子さん 乳がん
娘さんとサーフィン



◆呪いを解いて体を労る◆

小澤
サインは出ていたのですね。お一人の肩に全部の荷がかかってしまったのですからね。

成塚さん
頑張れば何とかなる・・・ずっと思っていました。悲劇のヒロイン気取りでした。若くして夫を亡くした境遇で、女手一つで頑張って幸せを掴むストーリーのヒロインです。

小澤
となると、「幸せになってはいけない」と「頑張れば幸せが掴める」という相反する意識が成塚さんには存在していたのですね。

成塚さん

「幸せになってはいけない」はすっかり忘れていて、上っ面では「幸せになりたい」「楽しみたい」と望んでいた。

小澤
いわば、潜在意識は「幸せになるな」、顕在意識は「幸せになりたい」ですから、幸せになりたいと頑張れば頑張るほど「幸せになるな」のパワーも大きくなってしまいますね。幸せにならないようブレーキをかける。

成塚さん

その状態が10年ですから、がんになるのも無理ないですよね。ほんとに自分の体に申し訳ないことしました。だから、体に優しいことして労ろうと思いました。それで、食事やお手当で養生したのです。放射線や抗がん剤をしなかったのも、そういう気持ちがあったからです。

小澤
がんの再発転移も気にはなるけど、それより今まで体を痛めつけてきたから労ろうとされた。まさに、「生を養う」ですね。

成塚さん
実際、やってみて気持ちがよかったのです。そして色々試しましたが、気持ちがよいと感じたものだけを続けました。

小澤

体感で判断されたのですね。自助療法をされるときの意識としては、がんをどうしたいより、体を労るという思いでやるほうが効果的だろうと個人的には考えています。

成塚さん
2~3年は何をやっていても不安でしたが、体調の良い時間が増えていくにつれ、がんが頭の中に占める割合も減っていきました。


成塚知佳子さん 乳がん



◆3つの“環境”を変えた◆

小澤
他に発病前と変えたことはありましたか?

成塚さん

あと、手術から1年4ヶ月経った頃に引っ越しました。夫が亡くなる1年前に家を新築しましたが、その家は義母と義姉の住居の敷地内にあって気を遣う面もありました。実は夫が亡くなった後、その家を出ようと実家の母に相談したこともありましたが色よい反応が無く、子育てやらの事情もあり踏みとどまって頑張ることにしました。

小澤
とくにトラブルがなくても気になるし、休まらないですよね。

成塚さん
無理がありますよね。夫がいても姑、小姑との関係には気を遣うのに、私と子どもだけで生活が丸見えでしたから。

小澤

フルタイムの仕事で疲れて帰宅しても緊張状態が続く。家に帰ってきても、ホッとできない生活環境。それを大きく変えた。

成塚さん
がんになったことで母は「あの時、帰ってこさせればよかった」と言ってくれました。実家の近くに住むようになって精神的にすごく楽になったのも術後の経過にプラスだったと思います。

小澤

なるほど。となると、がんになって大きく変えたことが3つありますね。
自分にかけていた「呪いの言葉」「体内環境」「心安まらない生活環境」。

成塚さん
そうですね。

小澤

しかも、かなりドラスティックに変えていらっしゃる。

呪文のお札は、がんと診断された時点でベリベリっと剥がし、思い出を作ってきた住居を立ち去った。

成塚さん
もう一つ、幸せの定義が変わりました。

「今を楽しんだら罰が当たる。後でひどい目に遭う」が親の口癖でした。だから、「幸せは今を我慢して頑張ればいつかやって来るもの」でした。

小澤
それじゃいつまでたっても幸せはやってこない。

成塚さん
そうなんです。そのせいでしょう。「楽しんじゃいけない」と思っていた。

小澤
なるほど。その幸せの定義を採用していたら、ご主人が亡くなったときの「自分は幸せになってはいけない」は、ストンと潜在意識にはまり込みますよね。

成塚さん

まさにその通りですね。(笑) 呪文のお札を剥がしたら、生き方の根底にあった幸せの定義も、時間はかかりましたが変わっていきました。

小澤
そうか。幸せの定義はお子さんの頃から根付いたものだから、そっちのほうがアンインストールに時間がかかるのか。

幸せの定義はどのように変わりましたか?

成塚さん

「幸せは来るものではなく感じるものだ」 物や形が揃ったら幸せだと思い込んでいたのが、状況や起きていることなど条件に左右されなくても幸せは感じられることがわかってきました。

今は毎日幸せです。(笑)

小澤
今はどんな事に関心を持っていらっしゃるのですか?

成塚さん
一昨年、早期退職して、今は大学院に通って「死生学」を受講しています。夫が亡くなったときにエリザベス・キューブラー・ロス、アルフォンス・デーケンの本を読んでいました。その内容が学問になっていることも知りました。ずっと関心がありました。

小澤
すごいですね。

成塚さん
夫を亡くしたときの喪失感、罪悪感、自分を責める気持ちを、そのときサポートやフォローしてくれる人がいなかった。身内にはしっかり頑張れと言われるも、受け止められず鬱になりました。不眠、食欲不振、体はバキバキ。朝「あ~、疲れた」と口に出して起きる有り様。心療内科に行ったら絵を描きなさいと言われる。描いた絵を見て精神病患者にされてしまうと思い、通うのをやめました。(笑)自分で治すことにしました。(笑)

小澤

成塚さんは、ここぞという時に直感が働き、それに従いますね。本能、生きる力がオープンになるのでしょうね。

成塚さん
傾聴ボランティア、在宅ホスピスなど魂に触れるようなボランティア的な活動をしたいと思っています。既にそのような活動をしている団体に所属しているのですが、コロナ禍で思うように活動ができていません。 コロナ明けに向けて準備しています。

小澤
新たな活動、期待しています。


成塚知佳子さん 乳がん
オンライン取材のご協力、ありがとうございました!



【編集長感想】

顔つきの悪いがんを発病して17年。術後の放射線治療とホルモン療法をせずに、成塚さんは良好な予後を過ごしています。

成塚さんが取り組んだのは、結果的に、環境を変えることでした。

「生活環境」「体内環境」「脳内環境」

人体の細胞、遺伝子は環境をモニターして自らの在り様、振る舞いを変えます。

それができたのも、がんを経験したからこそなのでしょう。

「がんになって良かったとまでは思えないけど、病気にならないと呪文に気づかなかった。剥がせなかった」

素早い対応でした。

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