HOME > 情報を集める > 再発・転移・進行・末期のガン対策 > ガン体験者との対談 > 下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移

再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移

今を精一杯生きているだけ
2012年9月 岩手県北上市 夏油温泉にて
下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
岩手の秘湯 夏油温泉

下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
湯治旅館 昭和館


岩手県北上市で活動しているガン患者会「びわの会」代表の高橋みよ子さんが、ぜひ会わせたいと連れていってくださったのが夏油(げとう)温泉。800年の歴史を持つ湯治場でせっせと仕事をこなす下瀬川典子さん。乳ガンが見つかった時、下瀬川さんはすでに体が動かない状態でした。


下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
下瀬川典子さん(右)と「びわの会」代表の高橋みよ子さん(左)


◆乳ガン発見時にはすでに転移した骨が溶け空洞化◆

小澤

お出かけ前に押し掛けてしまってすみません。

下瀬川さん
名古屋からこんな山奥までお出でくださって、ご苦労様です。

小澤
ここ夏油温泉はホントに湯治場という風情ですね。

下瀬川さん
あとでお風呂もご覧くださいね。え~と、何からお話しましょうか?

小澤
では下瀬川さんの病歴からお願いします。

下瀬川さん
ちょうど10年前ですね。2002年の1月4日に右の乳ガンと多発性骨転移の診断を受けました。

小澤
骨への転移があったということは発見された時点でステージ4ですね。

下瀬川さん
乳ガンが判って更に調べてみると、全身の骨に転移している状態でした。もっとも病院で診てもらう頃には歩けないくらい体に痛みがあったのですが。

小澤
そんな状態になるまで我慢してたのですか?

下瀬川さん
病院に行く数ヶ月前から足腰に痛みがあったのですが、まさかガンだなんて思いません。ですから整形外科や整体に通っていました。2ヶ月間マッサージや電気治療をしたのですが痛みは悪くなる一方で、終いには食欲がなくなり、歩くこともできなくなって松葉杖を使っていました。

小澤
それでようやく大きな病院を受診された。

下瀬川さん
それが1月4日です。受診した総合病院でも初診は整形外科に行ったのです。そこで胸のレントゲンを撮ったら、整形外科の医師に「咳が出なかったですか?」と訊かれました。その一言に私は肺ガンだった遠い親戚のことが頭をよぎり、「ガンなのかしら?」と初めてガンを意識しました。すると思い出したんです。

小澤
何を思い出したのですか?

下瀬川さん
胸にしこりがあること。

小澤
胸のしこりに思い至るまで随分時間がかかっちゃいましたね。

下瀬川さん
その時にはもう胸が変形していました。日常生活に支障をきたしていたのは痛みだったので、そちらにばかり意識がいっていました。

小澤
変形するほどのしこりだったのですか?!

下瀬川さん
胸を見た整形外科の医師はすぐ外科に回るよう指示されました。外科では病理検査のため細胞を採取したのですが、2週間後の結果を待たずその場で手術日を決めました。外見からして悪性、良性にかかわらず摘出しなくてはいけない状態と判断したのでしょうね。

小澤
手術日までどのくらいでしたか?

下瀬川さん
17日後の1月21日になりました。その間、全身を調べるため他の検査をする必要があるからと通院することになりました。ところが、検査の最中に激痛で動けなくなってしまった。どうもガンが転移して脆くなっていたどこかの骨が折れたみたいで、そのまま家に帰れず手術日まで病院のベッドの上で過ごしました。

小澤
骨がミシミシ軋んでいるような体でよく働き続けましたね。

下瀬川さん
手術の後は翌日から抗ガン剤治療を週1回×6回。転移した4か所の骨への放射線治療を約1ヶ月。

小澤
あれよあれよという間に集中的に治療が施されましたが、自分がガンになったことをどう思われましたか?

下瀬川さん
私の記憶では「ガン」とはっきり告げられた覚えがないのですが、まあそれでもガンだろうなとは思いました。体験者の方がよく言われる「頭の中が真っ白になる」というのは、化学療法(抗ガン剤)の説明の時でした。主治医の「髪の毛が抜けます」という一言以降の説明はまったく耳に入りませんでした。女性としては大問題ですもの。ガンよりも抗ガン剤の副作用の恐怖が強かったですね。


◆「歩いて帰れる状態には戻れません」◆

下瀬川さん
入院している間、「歩いて帰れる状態に戻ることはできないから、立ち上がるための装具を作ります。それから、自宅を車椅子で生活できるようにリフォームして下さい」と告げられました。その準備ができたら退院、という段取りになりました。

小澤
「自立歩行はもう無理だよ」という見通しだったのですね。

下瀬川さん
手術も抗ガン剤も放射線もしたのだから、自分としては歩いて帰れると思っていました。でも主治医に尋ねても、「歩いて帰れる」とは一言も口にされませんでした。

小澤
それはショックだったでしょう。

下瀬川さん
ただ泣きじゃくるだけでしたね。装具の現物がこれです。大腿骨が溶けているので体重がかからないように、このような装具を作りました。

下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
退院前につくった立ち上がるための装具


小澤
けっこう大がかりなものですね。下瀬川さんのケースでは松葉杖くらいでは危険なんだ。

下瀬川さん
立ち上がる時はこれを使い、移動するときは車椅子。

小澤
これからはこの状態で生活しなくてはならないということだったのですね。

下瀬川さん
主治医は「治る」「歩ける」という言葉を最後まで言ってくれませんでした。

小澤
この時点でどうやら歩くことが不可能だという現実が突きつけられました。一方、ガンは転移している状態。歩けないことと、ガンの恐怖とを下瀬川さんの心はどんなふうに感じていたのですか?

下瀬川さん
なぜだかガンですぐさま命を落とすとは思わなかった。ガンの恐怖より、日常出来ていたことが何一つ出来なくなることのほうが怖かった。

小澤
頭はガンのことより、思うように動けないことのほうへ意識が向いたのですね。

下瀬川さん
そっちのほうが死活問題ですよ。(笑)


◆自分の感覚を信じてみた◆

小澤
退院してからはどのように過ごされたのですか?

下瀬川さん
放射線の効果が表れるのが6ヶ月後だというので、それまでは安静にしていることにしました。寝たきりの状態でしたから、食事もお風呂も何もかも家族の介助が必要でした。ただ、初めのうちは献身的に世話してくれた家族にだんだん疲労の色が見えだします。そうするといろいろ頼むのが憚(はばか)られます。

小澤
遠慮してしまいますよね。欲求をぐっと堪えざるを得ない。

下瀬川さん
毎日のお風呂も3日に1回でいいよ、1週間に1回でいいよ、となっていく。希望を抑制し、口に出さないようになっていきました。あの時、たぶん鬱状態だったと思います。話したくないし、人とも会いたくない。家族に向かって「私なんか死ねばいいんでしょ!」と乱暴な言葉を吐くこともありました。

小澤
なにか気分転換できるようなことはありませんでしたか?

下瀬川さん
入院中に親しくなったガンの友達が外食に誘ってくれたり、子どもの少年野球の応援に行ったり、車椅子ですから周囲の助けを借りながら外出することを心がけました。

小澤
それはありがたいですね。

下瀬川さん
10月に治療から6ヶ月経ったので骨シンチやMRI検査をしました。画像を見るとガンが大腿骨に転移してくり抜けた部分が白くなっている。主治医は、歯に詰め物をしたようなもので骨になったわけではない、そこに衝撃がかかり欠けたら大変なことになるので、転んだり打ったり絶対しないようにと強く念を押されました。しかしその画像を見て、私は治った気になったのです。

小澤
希望の光に見えた!

下瀬川さん
だって、無かったところが詰めようが何しようが支えになっているわけですから。嬉しくなりました。

小澤
良い方向に向かっていると思えたのですね。主治医からは今後の指示が何かありましたか?

下瀬川さん
主治医は、「歩いていい」とは言いませんでした。とにかく「静かに、静かに」と。私はこの先、走ることも重労働することもないから、転ぶことに気をつけて普通の生活をしていいかな、と思いました。

小澤
主治医の言う「静かに」とは、かなり異なる解釈かもしれませんね。(笑)

下瀬川さん
今思えば、そうかもしれません。(笑)

小澤
勘違いであっても(笑)、下瀬川さんが最も望んでいた「日常生活ができる」ことへの道筋が見えだした。

下瀬川さん
それで自分としては立ち上がってもいいかな、と思っちゃいまして…(笑)

小澤
やったんですか?

下瀬川さん
許可なしに、しかも、一人で。半年間、自分の事が自分でできない苦痛を味わったので、なんとかしたかった。

小澤
せめて、人様の世話にならず自分の身の事は自分でしたい。

下瀬川さん
お手洗いくらいは自分で行けるようにしたいと思って、装具なしで試しに自分の足だけで立ち上がってみたら、立ち上がれたのです。あまり痛みも感じなかったし、自分で悪いところに負担をかけないよう加減すればできると思いました。お医者さんの言うことに従ってばかりいてもダメじゃないかと。

小澤
お医者さんの医学的な見解より、自分の感覚を信じたかった?!

下瀬川さん
右がダメだったのですよ。右肩、右腕、右大腿骨、骨盤の右側…。でも右がダメでも左がある、左手も左足もある、と思いました。

小澤
できないことではなく、できることに目を向けた。

下瀬川さん
それで1歩が2歩、3歩となっていった。家族には「止めろ、止めろ」と言われましたので、家族が留守の間に歩きました。(笑) お手洗い…廊下…玄関…と歩ける範囲が延びていった。

小澤
家の中での歩行範囲が広がった。

下瀬川さん
となると次は外ですよね。車に乗れたら…。

小澤
乗ったの? 欲が出てきちゃった!(笑)

下瀬川さん
うちの車はワンボックスカーですから座席が高いですよね。助手席側だったら出来なかったでしょうが、幸い運転席は右側なので左手で掴まって体を持ち上げることができました。車のところまで装具をつけて乗ってしまえば、あとは車が動いてくれますから。(笑)

小澤
車が足になれば、どこにでも行ける。

下瀬川さん
そのうち、1年経つか経たないかくらいでしたが、装具をいちいち取り外すのも不便なので、装具なしで歩き始めました。

小澤
それも自己判断で?

下瀬川さん
そうです。

下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
下瀬川典子さん(左)と編集長 47度の源泉の湯に足だけ浸しました(笑)


◆仕事しなくちゃ!◆


小澤
ほどなく仕事を探し始めるのですよね?

下瀬川さん
そもそも病気になる前から子どもの事や家計の事で体を酷使していたのです。病院へ行くのが遅くなったのも、そういう切羽詰まった事情があったからです。

小澤
寝る間も惜しんで仕事していたのですか?

下瀬川さん
3つくらい掛け持ちしていました。それでガンになって動けなくなったものですから、より一層厳しい状況になりました。治療費も工面しなくてはならないから、どんどん苦しくなってきて…働き口を見つけないわけにはいかなかったのです。

小澤
しかし、寝たきりになるほどの骨転移を抱えてまだ1年ですよ。

下瀬川さん
何でもいいからしなきゃならなかった。自宅でできる仕事があればと探しましたが無くて、職安に通いました。でもことごとく面接で落とされました。3月に知合いの所で職をもらい働き始めました。ところがまだ体力的にムリだったのでしょうね、1ヶ月程で帯状疱疹を発症してしまい、私は続けたかったのですがドクターストップがかかりました。

小澤
泣く泣く断念した。

下瀬川さん
3ヶ月療養しました。でも、じっとしていられない性格なので…(笑)

小澤
また職探しですね。

下瀬川さん
そうしたら、ここ(夏油温泉 昭和館)がハローワークに求人を出していたのです。応募したら、事務職としてすぐ採用になりました。

小澤
ここ夏油温泉は山懐の湯治場でご自宅からも離れているのに、よく働こうと思われましたね。

下瀬川さん
距離にして30km。片道40分です。でも私は元々この近辺の出身なので馴染みはあったのです。叔母や兄が喘息の療養に来ていたことがありました。

小澤
では湯治場ということも考慮して、この仕事を選んだのですか?

下瀬川さん
いえ、そういう意図はまったくありませんでした。とにかくすぐ働きたかっただけです。(笑) でもオーナーのご好意で、毎日の8時間の仕事後は湯に浸かってから帰宅しました。

下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
川沿いに5つの源泉露天風呂がある

下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
仕事帰りに入った大湯


小澤
結果的にはよい所に就職されましたね。(笑)

下瀬川さん

でも当時は、この素晴らしい自然環境、泉質や温泉の効能に気を向ける余裕はありませんでした。家計が苦しかったので、働いても働いても自分の治療費に回すことさえ十分できなかった。

小澤
温泉のことより、生きることに精一杯だったのですね。

下瀬川さん
病気の事を悩んでいる余裕がなかったですね。ここにお世話になって10年が過ぎました。私、目標が10年だったのですよ。5年生存率30%でしたから、10年は生きたいなと。最初は事務員でしたが、だんだん力仕事もするようになれて。病気療養で訪れるお客様が笑顔になって、「来てよかった」と言ってくださるのが一番ほっとします。

小澤
では、川辺の露天風呂を見せてもらえますか。下瀬川さんの命の源泉を。


下瀬川典子さん 乳ガン 多発性骨転移
湧きだしそのまま源泉の大湯

夏油温泉
皮膚がんの方が湯治に来られていました


◆夏油温泉 昭和館のホームページはこちら!



【編集長感想】

下瀬川さんは、今秋(2012年10月13日)「びわの会 10周年記念事業」で講演をされます。その準備をする際、当時(退院直後)の写真がないか友達などに聞いてみたが一枚もない。「誰もあの頃のあなたにカメラを向けることはできなかったわよ」 病院にお見舞いに来てくれた人たちはみんな泣いていく。誰もが「手遅れ」「終末」をイメージしたようだ。「骨転移することは末期だなんて、私はちっとも知らなかった」と下瀬川さんは笑いながら回想します。

仕事帰りに浸かった「大湯」は、源泉57度、体感47度という高温の湯。自宅のお風呂では感じないが、大湯はちょっと浸かっただけで体の芯まで温まるそうです。そういえば取材した温熱療法の専門家が、熱伝導率は空気よりお湯のほうが効率いいと教えてくれました。速く安全に深部体温を上げることができるそうです。湯治は先人の知恵ですね。

この夏、下瀬川さんは昭和館の女将さんが病に倒れたため、泊まり込みで館の切り盛りをしてきました。朝食の用意、帳簿付け、掃除、昼食の支度…と休むヒマがありません。そう、ガンになってからずっと、下瀬川さんは治すことより、今を精一杯生きているだけなのです。



ガン克服レポートガン克服資料

ガン克服テキスト

◆ガン克服に役立つ『無料レポート』はこちらから!

◆ガン克服の資料請求(無料)はこちらから!

◆各種ご相談はこちらから!

◆ガン克服に役立つテキストはこちらから!


テキスト購入 無料レポート 資料請求

この記事の関連キーワード
ページトップへ