再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

山口考子(なすこ)さん 乳ガン

笑いでガンを笑い飛ばす!
(一般社団法人 ラフターヨガ・ネット 常任理事)
2012年9月 山形県鶴岡市にて
乳ガン闘病中に出会ったラフターヨガは、山口さんの生き方にも大きな影響を与えました。「一般社団法人 ラフターヨガ・ネット」の常任理事として各地で講座を開催している山口さん、昨年11月にはラフターヨガでがん患者さんやご家族を支援する「ココピトの会」をガン体験者でラフターヨガ愛好家の仲間と立ち上げました。

山口考子さん ラフターヨガ
山形県鶴岡市にある出羽庄内国際村にあるアマゾン民族館を案内して下さる山口考子さん



【対談記事】の前に、少し長くなりますが山口考子さんの半生をご紹介します。このエピソードこそ、山口さんを「笑い」に引き寄せる伏線になっているのです。

教育大学卒業後、生誕地 旭川でミッションスクールの教職に就いた山口さん。24歳の時、ドイツ人の校長先生から英語のスキルアップのためイギリス留学を勧められました。年間海外渡航者1万人、1ドル360円の時代です。旅費節約のためシベリア鉄道でユーラシア大陸を横断しイギリスを目指します。途中、一時勾留や食べ物に不自由しながら、同乗した各国の若者と知己を得ます。彼らの国を超えた交流、感性の自由さは山口さんにとって新鮮でした。

校長先生の頼まれ事で訪れたドイツでは、成り行きで病院の介助ヘルパーとして10ヶ月働きました。その後、ヒッチハイクでイギリスに渡り、オックスフォード系の語学学校で1年間学びました。同じ行程ではつまらないと、帰路は大西洋からアメリカのニューヨークへ。大陸横断バスで西海岸のシアトルに辿り着くと、ワシントン大学で日本語教師を6ヶ月務めました。

3ヶ月の予定で日本を飛び出したのが、結局帰国するまで3年が経っていました。日本に戻った1972年に北海道で世界的な祭典がありました。札幌冬季オリンピックです。山口さんは「銀盤の妖精」「札幌の恋人」と呼ばれたジャネット・リン選手(女子フィギュアスケート)の通訳として大会に関わりました。そして山口さんは日本中の人々を魅了した「笑顔」を目の当たりにします。

銅メダルを獲得したジャネット・リン選手は演技中に尻餅をつく致命的な失敗をします。しかし彼女は、満面の笑みを浮かべながら立ち上がったのです。金メダルを逃したどん底にもかかわらず、ジャネット・リン選手は100万ドルの笑顔を見せたのです。その彼女が常々口にしていたのが“Love & Peace”です。山口さんは彼女と彼女の振る舞いに深く感銘しました。

オリンピックが終わって次は国内の旅に出ます。ヨーロッパ仕込みのヒッチハイク。山形の鶴岡にある教会で地元のご婦人と出会う。海外を放浪してきた話をすると、「うちの息子も旅が好きで世界中歩いているのですが、いまアマゾンから帰ってきたところです。息子と会ったら話が弾むんじゃないですか」。庄内弁で言われるままについて行った。行く必要はなかったが、山口さんにとって未知の「アマゾン」になんとなく引きつけられてしまった。お宅に伺うと、息子さんが膨大なアマゾンの資料を見せながら語ってくれた。孝子さんが何気なく「私も一生に一度でいいからアマゾンに行ってみたいわ」と口にすると、それを聞きつけたお母さんが「息子と一緒にアマゾンに行ったらいいわ。ついでに結婚してくれないかしら」 千載一遇、アマゾンに行ってみたいという変わった女性を逃してなるものかっ!(笑)

無論、その息子さんである山口吉彦さん(アマゾン民族学研究者)が現在の山口考子さんの夫である。

結婚については考子さんのお父さんが猛反対でした。海外を3年も放浪させた物わかりのいい親御さんですが、さすがにアマゾンは許せない。お父さん、怒りだした。「アマゾン野郎と結婚させるために育てたんじゃない! 俺が説教してやるから連れて来い!」と物凄い剣幕。

火花を散らさないことを願っていた考子さんを横目に、男性にしては華奢な体格の吉彦さんに会うなりお父さんは「あんたアマゾン行ってたというけど、そんな小ちゃな体で本当にアマゾンに行ってたのか?!」 吉彦さんは臆する様子もなく「僕、皆からよくそう言われるんです。体が小さくて探検家に見えませんが植村直己と背丈も体重も変わらないんです。アマゾンでは小さいほうが生き延びる確率も高いですし」と飄々と喋る。「お父さん、皆が僕のこと“小型”“小型”って言いますが、血液型は“O(大)型”ですから心配しないでください」 追い返してやろうと思っていたお父さん、うっかり吹き出してしまった。(笑) これで決まり。

さて、アマゾンには旦那さんにくっついて行けばいいのだろうと思っていた山口さんでしたが、連れていくのは考子さんの方でした。吉彦さんは在野のアマゾン民族学研究家であって、なんらかの機関に所属していたわけではなかった。だから結婚して直ぐアマゾンに行く当てはなかった。ところが当時、日本企業のブラジル進出が加速しアマゾン河口のベレンという街に日本人学校を開設するという情報を入手しました。外務省は日本人学校に派遣するための教師を募集するという。そこで教員資格を有していた考子さんが応募し試験に合格したのです。(後日、外務省の担当者からお礼を言われた。応募したのは考子さん一人だった!)

山口考子さん ラフターヨガ
出羽庄内国際村


5年間のアマゾン生活では原住民の感性溢れる生き方に感化されながら、3万点におよぶ資料を収集。現在、鶴岡市の庄内国際村にあるアマゾン民族館で展示されています。帰国後は「多文化共生」をキーワードに鶴岡で国際交流事業を推進。1992年、サントリー地域文化賞を受賞。


山口考子さん ラフターヨガ
3万点に及ぶ資料はすべてアマゾン滞在中にご主人が原住民との交流で収集した



◆青天の霹靂◆

小澤
やっと鶴岡に来ることができました。刈谷のラフターヨガではお世話になりありがとうございました。

山口さん
よく鶴岡まで来てくださいました。

小澤
今日は山口さんのガン体験とラフターヨガについてお話をお聞かせください。

山口さん
ドミニカ共和国にシニアボランティアとして2年間赴任した後の2007年、62歳の時です。左の胸に違和感を覚えました。チクチクと痛んだり、張った感じがする。左右の乳房がアンバランスな形になってきた。

小澤
自覚症状を感じたのですね。

山口さん
毎年の健康診断では「異常なし」でしたので、まさか自分がガンになるとは思いませんでしたが、念のため市立病院を受診しました。複数の画像検査をしましたが判断がつかず、組織を採取して検査することになりました。生検の結果が出るのは1週間後でしたので、その間、悶々としながら暗い気持ちで待ちました。

小澤
結果は?

山口さん
8cmになる大きな乳ガン。性質の悪いタイプで進行度はステージ3bでした。手術はできないので抗ガン剤治療をしましょうと主治医は説明されました。

小澤
それを聞いてどんな心持ちでしたか?

山口さん
無論、ガンに関する知識はゼロでしたので、頭は真っ白になりました。自分を失ったかのような孤独感。

小澤
茫然自失。

山口さん
それでも病院の帰りに本屋に寄って、ガンの知識を得るため本を10冊以上買い込みました。数日後入院し、抗ガン剤治療が開始されました。3種類の抗ガン剤を使って3週間に1回を6ヶ月やりました。髪の毛が抜ける、指先のしびれ、倦怠感などの副作用に悩まされましたが、8cmのガンは2cmまで小さくなりました。その結果を踏まえて手術を勧められました。

小澤
結果的には術前化学療法になったわけですね。

山口さん
はい。ところが主治医の勧める手術は「全摘」だったのです。選択肢が全摘のみというのには納得がいかなかったので、セカンド・オピニオンを求めました。ガンの勉強をするうちにセカンド・オピニオンという方法を知ったので、実は抗ガン剤治療中にも北海道、東京、そして息子が在住しているアメリカのサンディエゴの病院まで出向いています。

小澤
セカンド・オピニオンを求めに海外にまで行かれた。山口さんらしいですね。(笑)

山口さん
主人の知人からの情報で訪ねた東京の病院は、全摘になるが乳房再建手術ができるということでお世話になることにしました。

小澤
抗ガン剤は地元の鶴岡でされて手術に際しては東京の病院に転院された。

山口さん
手術では乳房とともに転移している8つのリンパも取りましたが、まだ他にも転移の可能性があると言われました。肺にも影があり、私のケースですと肝臓にも転移するだろうという見解でした。

山口考子さん
バックヤードにも膨大な資料がありました



◆ラフターヨガの記事が目に留まる◆

山口さん
術後しばらく東京の病院で療養していた時、たまたま読んでいた英字新聞の“Laugh Yourself Healthy”という見出しが目に飛び込んできました。Dr.カタリア初来日の記事でした。

小澤
「笑うことで健康になれる」という意味ですね。

山口さん
笑うことと健康がどう結びつくのかイメージが湧きませんでしたが、なぜかこの記事の文句に引き寄せられました。そしてDr.カタリアの日本での最初のセッション(リーダー養成講座:2日間 14時間コース)が、私が退院する翌日だったのです。鶴岡に帰らずに東京でセッションに参加するため、すぐさま申し込みました。

小澤
いきなり長丁場でしたね。

山口さん
そんな笑える心境ではなかったですけど、とにかく2日間は大いに笑いました。

小澤
ラフターヨガ初体験の印象は?

山口さん
正直にいうと半信半疑で参加したのですが、楽しかったし体感的にはすごく気分が良かったですね。今までとは違う自分を感じました。痛みの事や、これから病気がどうなるのか悩んでいましたが、笑っているときはすっかり忘れて…これから笑っていけば少しは気持ちが楽になるかな、と思いました。

小澤
よい気分転換にもなったのでしょうが、笑うことでガンによって塞ぎこんでいた心が解放され本能的に生きる喜びを感じられたのでしょうね。

山口さん
鶴岡に帰ってからは公園などでラフターヨガをやりましたが、一人ではなかなか思うように笑えませんでした。(笑) 東京でのセッションから半年後にDr.カタリアから連絡がありました。リーダー養成講座のアップグレードである「ティーチャー養成講座5日間コースをオーストラリアでやるから来ないか?」というものでした。

小澤
オーストラリアですか。勿論、飛んで行った!(笑)

山口さん
飛んで行きました。(笑) いろんな国から30人くらい参加していて、5日間笑いまくりました。(笑) その時、メルボルンの空港に迎えに来てくれたオーストラリア人が「どうして笑いに来たのか?」と私に尋ねました。「病気で大変な思いしたけどラフターヨガをやったら気分が良くなったので、もっと勉強してみたくなった」と答えたら、「いいぞ! 俺はラフターヨガに出会う前に体が動かなくなる難病に罹ったが、笑いがいいと聞いて毎日8時間笑って治った」と話してくれました。

小澤
ノーマン・カズンズの「ヘッド・ファースト」のような逸話ですね。

山口さん
彼の話に意を強くして、とにかく笑いました。外国の方の笑いは迫力があって、スカッとして日本に帰ってきました。

小澤
体が入れ替わるほど笑ったようですね。(笑)

山口さん
帰国してから定期の検査をしたら、残っていたガンが見当たらない。肺の影も消えていたし、肝臓も骨も問題なし。腫瘍マーカーも全身の画像検査もクリア。「キャンサー・フリー(ガンの兆候なし)」と診断されました。

小澤
笑って、気分スッキリ! ガンもスッキリ!(笑) ラフターヨガに出会う前と後で、山口さん自身の意識に変化はありましたか?

山口さん
ガンにならなかったら、私はもっとガツガツ生きていたと思います。以前は責任感が強すぎて義務的に仕事をこなし余裕がなかった。あれこれ背負い込んで、心から楽しめてなかったと思います。ガンに対しても、私が今まで積み重ねてきた事から切り離してしまう憎きものと思っていました。ガンという異物に敵対心を抱いていました。私のやりたいことを奪ったガン…。それがラフターヨガに出会って、ガンを受け入れるようになった。自分を愛おしく思えるようになりました。人や物事に対しても寛容になれ、あるがままに日々を感謝しながら楽~に送っています。(笑)


山口考子さん ラフターヨガ
山口考子さん(右)とパチリ


◆「ココピトの会」の公式サイトはこちら!


◆「一般社団法人 ラフターヨガ・ネット」の公式サイトはこちら!



【編集長感想】

笑顔が喜びや勇気を与え、笑いには緊張を解きほぐし危機を乗り越える力がある。ジャネット・リン選手の立ち居振る舞いとご主人のウイットは、その場に居合わせた山口さんの心に深く深く刻まれたのでしょう。“Laugh Yourself Healthy”という見出し文句を見た時、自然に「笑いのパワー」を信じることができたのだと思います。

ラフターヨガは「どんな事も受け入れて笑おう」という精神がベースになっている、と山口さんは教えてくれました。「嫌な事や失敗こそ、受け入れて笑うしかないでしょ!」という生き方は“しなやかな強さ”と言えるのではないでしょうか。

「笑うことは意識を変える触媒である」(山口考子さん:ラフターネーム「アマゾンなすこ」)






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