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ガン体験者との対談
広野光子さん 多重がん(乳がん、卵巣がん)
きっと良くなる! 必ず良くなる!
2013年10月 三重県名張市にて
広野さんは、サンケイリビング新聞 編集部次長として活躍中であった50歳の時に乳がんを摘出。その翌年には卵巣がんを患います。発見時、すでに5ヶ所に転移がある進行がんでした。1年半に及ぶ抗がん剤治療後、新聞社に辞表を提出すると上司から「体験談を連載してみない?」と提案されました。20年前のことです。
かくして広野さんは、“がん記者”として自らのがん体験談を新聞に連載するという先鞭をつけられたのです。その連載がきっかけで、患者会
「がんを明るく前向きに語る 金つなぎの会」
が発足。以来、会の代表として“病友”との絆づくりに東奔西走されています。
ファッショナブルな広野光子さん(右)と編集長
◆がんをつくる生活◆
小澤
今日はお忙しいところ、お時間をつくって頂きありがとうございます。
広野さん
こちらこそ、わざわざお出掛けくださりありがとうございました。
小澤
早速ですが、広野さんのがん体験と「金つなぎの会」の活動についてお話し願えますか。
広野さん
平成4年(1992年)の春に乳がん1期Cが見つかり摘出手術を受けました。その一年後、今度は卵巣にがんが見つかったのです。
小澤
2年続けてですか?
広野さん
はい、それぞれが原発がんでしたので、多重がんということです。卵巣のがんはすでに8cm×11cmの大きさになっていて、後に知ったのですが5ヶ所に転移のある3期の進行がんでした。
小澤
2年連続で女性の臓器に原発のがんとは・・・まさか?!ですよね。
広野さん
当時は浅はかというか、怖いもの知らずというか…乳がんの時はちょっとした勲章のようなつもりになっていました。がんを経験した新聞記者も悪くないなと。でも卵巣がんはショックでした。
*高校時代の広野さんの夢は早稲田大学の政経学部を卒業して新聞記者になること。しかしその夢をあっさり捨てることになる。高校3年の夏に出会った11歳年上のご主人と恋に落ち結婚したのだ。ところが同じ人生でまたその夢が蘇る。二人の男の子に恵まれ専業主婦をしていた広野さんは、子育てが一段落した35歳頃から作文や論文を応募するようになる。そして40歳の時、サンケイリビングが募集していた「奥様エディター(編集長)」に見事選出され、フルタイムの記者となった。
小澤
乳がんの治療後、どのくらいで記者の仕事に戻られたのですか?
広野さん
手術のため25日間入院。退院後は50日お休みをもらいました。抗がん剤の必要なしという最終診断でしたので、がんから無罪放免された気になった。(笑) ですから復職した途端、休んで会社に迷惑をかけたぶんをお返ししようと、がむしゃらに働きました。(笑)
小澤
がんを作った“元の生活”に戻ったのですね。(笑)
広野さん
まさに私はがんをつくる生活をしていました。中途採用ながら念願であった記者になれたのです。石にかじりつくように仕事に打ち込みました。がん発症当時は編集局次長という管理職に就いていたこともあり、ストレスは相当なものでした。三重県名張市から大阪のサンケイビルまで片道2時間の通勤。さらに月の半分は夫の実家である三重県松阪市から出社しました。片道3時間半かかりました。
小澤
えっ、月の半分はご主人の実家から?! それは何故ですか?
広野さん
夫の父親が心臓を患っていて、夜間の介護をするためです。長男である夫と弟や妹が家族会議を開き、月の半分を夫が、残り半分を6人の弟や妹が交替で付き添うことになったのです。長男の嫁である私としても仕事を理由に介護を免れるわけにはいきませんでした。
小澤
それは“疲労”どころではなく、まさに本物の“過労”状態ですね。
(僕は個人的に、[疲労=休養で回復する疲れ] [過労=休養しても回復しない、すなわち回復力自体が低下するほどの疲れ] と定義している。気力体力の旺盛な人ほど過労になり易く、また過労を認めない傾向がある。甚だしいとランナーズハイのような高揚感によって疲れに不感症になってしまうこともある)
広野さん
過労、ストレス、デスクワークが多いので運動不足、往復の電車の中での偏った食事・・・がん発病の悪しき生活習慣をすべて満たしていました。(笑)
がん体験と金つなぎの会について語る広野さん ぶれない軸を持っていらっしゃる
◆突きつけられた“死”◆
小澤
卵巣がんはどのような治療をされましたか?
広野さん
手術日は平成5年3月31日。5時間かけて両卵巣、子宮、虫垂、腸壁に癒着している腫瘍を取りました。その後、1年6ヶ月 3クール9回の抗がん剤治療をしました。
小澤
壮絶な治療ですね。まさに闘病。
広野さん
とにかく、きれいさっぱりがんを治したかった。手術後、卵巣がんの病状について私は1期と聞かされました。ですから術後の抗がん剤治療は「念のため」と説明されたのです。
小澤
「念のため」ではなかった?
広野さん
抗がん剤治療を1クール(3回)やったら退院、しばらく療養して職場復帰と高を括っていました。ところが、そのうち看護師さんの様子などからおかしいな?と思うようになりました。でも乳がんに続いて2度目のがんでしょ。がんが体の中に残っているなんて恐ろしくてたまらない。だから徹底的に治療したかった。
小澤
副作用はどうでしたか?
広野さん
それはもう凄まじかったです。脱毛、手のしびれ、1日50回嘔吐したこともありました。
小澤
抗がん剤を途中で止めようとは思わなかったのですか?
広野さん
良く効く薬ほど副作用が強いのは当たり前、という考えを持っていました。副作用が酷いほどがんをやっつけている。だから主治医に休薬期間を置かず連続投与してくださいと無茶を言って驚かれました。(笑) 抗がん剤治療に迷いはありませんでした。
小澤
それはやはり、がんを治して早く社会復帰したい一心からですか?
広野さん
仕事の元へ、家族の元へ、夫の元へ帰りたかった。しかし、それも叶わぬ夢になってしまったのです。
小澤
どういうことですか?
広野さん
夫が急死しました。2クール目の抗がん剤治療が終わり退院して自宅療養していた平成6年2月、肝硬変の持病があった夫は、食道静脈瘤破裂で帰らぬ人となりました。自宅で吐血し入院して4日目に息を引き取ったのです。
小澤
それはなんとも・・・。
広野さん
もうその頃私は内心、自分の体力からして1年、いや半年もつかどうか・・・という思いもありました。逝くなら私が先だろうと・・・。それなのに主人が、あっという間に目の前からいなくなってしまった。そして主人の持ち物を整理している時、手帳に記してあるメモを見つけたのです。「光子=卵巣がんⅢ期、五ヶ所に転移。五年生存率40パーセント」
小澤
やはり1期ではなかった。抗がん剤治療は、念のためではなく延命を図るには必要なプロトコル(定められた治療手順)だった。
広野さん
夫の死、自分の本当の病状・・・その時まさに私は、「死生観」を突きつけられたのです。それまでは記者として、「人よりよいネタがほしい! よい原稿を書きたい! 自分の媒体が評価されたい!」と突っ走ってきた。会社からは「これからは女性の時代だ。女性の重役が必要だ」と目の前にどんどん美味しいニンジンをぶら下げられ、自分の後に続く女性のためにも道を切り拓くのだと奮走してきた。
小澤
1度目の乳がんで気づかないものだから、天が采配したのでしょうか。
広野さん
自分なりに52年間誠実に生きてきた結果がこの有り様か、と因果を口惜しむ観念しか持ち合せていなかった。傲慢でした。
小澤
今はどのような死生観をお持ちなのですか?
広野さん
「死生有命」 死ぬも生きるも天命のまま。
◆金つなぎの会 発足◆
小澤
広野さんが代表をされている「がんを明るく前向きに語る 金つなぎの会」を立ち上げられたのは、どのような考えからですか?
広野さん
夫が亡くなった後、病院に戻り3クール目の抗がん剤治療をやり終えました。卵巣がんと判明してから実に1年半。会社は傷病休暇を適用してくれました。上司は大病をした私に「この会社で君ができることをすればいい」と温かく再起を促してくださいました。しかし、このまま居残るのは私の流儀が許しませんでした。この次に何か起こったらそれは死であろう、しからば退社するしかない。13年半、記者生活を送った会社に久方ぶりに出社し辞表を受理してもらいました。エレベーターホールに降り立った時、旧知の産経新聞本紙編集部次長と鉢合わせました。彼女は私の体調を慮ってくれましたが、がん発症時から書き溜めている闘病記の話をしたら、産経新聞本紙への連載を提案されました。
小澤
今でこそ、がん体験をされた記者さんがご自身の事を紙面で綴られる記事がありますが、20年前にすでに広野さんが先鞭をつけられていたのですね。
広野さん
1回100行、写真1枚で連載がスタートし3年半続きました。タイトルは『金つなぎの茶碗』 ほどなく読者から電話や手紙でメッセージが寄せられるようになりました。
*「金つなぎの茶碗」
結婚後間もない広野さんご夫妻が奈良在住の頃、足繁く通ったお気に入りのかやく飯の名店「下下味亭(かがみてい)」の器が由来。以下、
『きっと良くなる 必ず良くなる』
(広野光子 著 PHP研究所)【まえがき】より引用。
先代の下下味亭は、昭和41年から平成2年まで、24年にわたって味わいの良さと“売り切れごめん”の潔さで人気を博したかやく飯の店である。(中略) 店は供される器が李朝や古伊万里の碗であることでも人気をよんだ。たとえばひびが入って使えなくなったらそれら、骨董茶碗の寿命を惜しみ、亭主の福島克治さんは高価な金でつないでは。“碗の天寿”を全うさせたという。骨董界でつとに知られる金継ぎ茶碗(金繕いの茶碗とも)のことである。
わずか1年足らずの間に二つのがんを患い、二度の手術と1年半にわたる抗がん剤治療を終えた私は、ひび割れた一個の茶碗である。私のこの土くれのような体をつないでくれているのは、下下味亭の茶碗と同じように“金”。けれど金継ぎ茶碗を自称するのは僭越だ。せめて、金つなぎの茶碗を名乗り、つないでくれた“金”の皆さまに、感謝の思いを伝えたいーそんな次第で、「金つなぎの茶碗」は自らを客観視した私の造語である。
私を繕ってくれた金とは、医師、看護婦、同病の人たち。友人・知人、職場の上司や仲間たち。そして家族ー。支えてくださった“素晴らしき金たち”のおかげで、死の淵から生還をみた。いま私は、がんと真正面から向き合い、叩き潰し、手なずけ、共生しつつ、“誰か(病友)のために何かをさせていただける喜び”に満たされ、心豊かに生きている。
小澤
反響があった!
広野さん
ぜひお会いしたいという問い合わせも多く、個別に対応するよりいっぺんに集まりましょうか、と紙面で呼びかけました。平成7年4月22日、JR大阪駅の噴水広場が待ち合わせ場所。来るのは5人くらいだろうと気軽に出かけたら、なんと23人が私を待っていた。
小澤
そんなに来られた?!
広野さん
喫茶店でおしゃべりしようと思っていたのですが、急遽サンケイビルの会議室を借りて自己紹介から始めました。15~6人が泣きながら自身のがん体験を語られました。やはりがんを病むというのはつらく悲しい切ないことなのです。なかに一人、大阪の市営住宅にお住まいの方がいて、当時はお風呂場がなかったんですね。ベランダに置ける小さなお風呂で我慢していた。だから本当は温泉にゆっくり浸かりたいのだけど、胸に大きな傷があって温泉に行けないと嘆かれた。
それを聞いて私は反射的に、「あなた、なにを泣くのですか。私はこの大きな二つの傷を天からもらいましたが。私は何か悪いことをしたかと自分の人生を振り返りました。不束な嫁であったけど精一杯夫の両親にも夫にも尽くしました。子どもたちも人様に迷惑かけないよう育てました。それなのに、がんを病むという不条理・・・人生は不条理で成り立っているのだから受け入れていくしかない。どのように受け入れていくかといったら、明るく強く前向きにしかないでしょう。私のこの傷は、私が今まで誠実に生きてきたご褒美を天がくださったと思っています。だから傷を恥ずかしいとか隠そうとか思いません」と言ったのです。口惜しさもあってそう思うようにしていたのもありますけどね。(笑)
小澤
20年以上も前の時代ですから、がん患者さんは今よりもっと肩身が狭かったでしょうね。
広野さん
私も最初は胸を隠していました。亡くなる前、夫が養生にいいと温泉とお遍路を薦め連れて行ってくれるはずでした。温泉に行き、四国八十八ヶ所の巡礼も始めていたところだったのです。そういうこともあり、その場で温泉ツアーを提案したのです。
小澤
初顔合わせの場で温泉行きが決まっちゃった!
広野さん
夫が抗がん剤治療のインターバルの時に連れて行ってくれた温泉なら、私がご案内できると思い行き先も決めました。それで産経新聞で告知したところ、申し込み人数が200人。
小澤
がん体験者200人の温泉ツアーですか?!
広野さん
ですから旅行会社にツアーを頼むことにしました。その旅行会社の方が、企画主体は個人名より団体名のほうがいい、「金つなぎの会」でどうですか?と言われたので、何も考えずにそうしましょうと会をつくることにしたのです。(笑) ただ「金つなぎの会」では、何の会か得体が知れないので「がんを明るく前向きに語る 金つなぎの会」にしたのです。がん患者の悲しみに寄り添いながらも、がんを明るく前向きに語る連載にしていこうという思いを持っていましたので、そのように命名しました。
小澤
温泉旅行がきっかけで会が設立されたのですか。
広野さん
私はね、旅行については海外の文献や自分の体験から、旅という非日常が免疫力・治癒力を高めると信じているのです。抗がん剤治療を終えて、周囲の人がまだ早いと制止するのも聞かず、足元がおぼつかない弱々しい体力で旅に出かけました。満席のお遍路のバスでは、いちばん後ろの座席に横たわっていました。同行者の方皆さんが憐れむような姿で参ったのです。でも、お遍路に行くにつれて元気になったのです。
記者魂が込められた会の季刊誌「金つなぎ」 取材・編集構成、すべてお一人でされています
◆非日常療法と死生観◆
小澤
広野さんは予後のために努めて旅に出た。そして連載を読まれたがん体験者が集まり、患者会のスタートが温泉旅行になった。なにか天の計らいを感じますね。
広野さん
がんは生活習慣病です。それまでの日常の生活の中からがんが生まれたのなら、その日常の流れから自らをポンっと横に置いてみよう。それが旅することなのです。私は「非日常療法」と呼んでいます。(笑)
小澤
なるほど、非日常療法ですか。そういう生活習慣の変え方もあるのですね。(笑)
広野さん
卵巣がんの抗がん剤治療が念のためだけではなかったこと、しかも体にきつい副作用が出ること、弱った体や主治医とのやりとりから自分の命は半年くらいだろうと察したこと、そして温泉やお遍路旅を薦めてくれた夫の突然の死・・・それらを経験したことでがんについて死について、ものすごく考えました。
小澤
がんというのは哲学的な病ですよね。
広野さん
予後(近代西洋医学による治療後)、またつらく悲しい思いをしないためにどう生きるか? がんを病んだからこそ新たな人生をどう拓けてゆくか?死生観・人生観・予後をどう生きるか、という哲学なくしてよりよい人生は生きられないですよ。それが「がんを明るく前向きに語る 金つなぎの会」の主テーマなのです。
ですから、金つなぎの会のシンボルは「桜」にしました。人生観を桜に託した。桜の花の命はたかだか2週間ほどですが、生命力が充ちていたら竜巻だろうが突風だろうがどんなに強風に煽られても散らない。でも散る時が来れば風がなくても花びらは枝から離れ去ってゆく。会では死についても大いに語りあいます。
小澤
死生観がないと本当の意味で、がんを明るく前向きに語ることはできない。
広野さん
その通りです。死から目を背けたり、死を先送りしていては明るく強く前向きにはなれないのです。
【金つなぎ 5つの理念】
同病相楽しむ
がんを恐れず侮らず
天は自ら助くる者を助く
信ずる者は救われる
死ぬも生きるも天命のまま(死生有命)
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◆広野光子さんのブログ「さくらの日々是好日」はこちら!
◆広野さんの著書「きっと良くなる 必ず良くなる」(PHP研究所)
【編集長感想】
広野さんに二度のがんを乗り越えさせてくれたのは「人の絆」。
ドクター、看護師さんなど病院のスタッフ。同じ病を持つ仲間(病友)、職場の上司同僚、仕事を通じて親交のできた知人、旧知の友人。そして何よりも家族の支え。
「絶対あなたは大丈夫!」と力強い言葉をかけてくれた姉。息子さんがプレゼントしてくれた定期券で名張から大阪の病院まで毎日通ってくれた夫。
頻繁に電話をくれた東京の次男。婦人科で女性の患者さんばかりの病棟だからそんなに来なくていいと言っても平日の会社帰りに週末にと毎日見舞ってくれた長男。
人の絆という“金”でつないだ茶碗は、壊れる前より丈夫になったのです。
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