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再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

千田伸子さん(看護師) 大腸ガン・肝臓転移

明日何が起きてもいいように生きよう!
2014年3月 名古屋駅にて
病気や事故で身内を若くして失う経験をされた千田さんは、「明日何が起こるかわからないから、明日何が起きてもいいように」生きてきた。だからガンと判っても、死ぬこと自体に恐れはなかったそうです。なので、診断後すぐにお気に入りの遺影を用意もされた。しかしある一冊の本と出会い、「ガンになっても大丈夫なんだ!自分のガン体質を変えよう!」と思うことができたそうです。

千田伸子さん 大腸ガン・肝臓転移
ちょっと緊張気味・・・ふだんの千田さんの笑顔はホント素敵なんですよ




◆検査で異常なし…腫瘍マーカーが反応しなかったガン◆

小澤
12月(2013年)のいずみの会定例会では、司会を務めてくださりましたね。お世話になりありがとうございました。早速ですが、千田さんのガンの経緯からお話しいただけますか。

千田さん
きっかけは献血です。ところが、人様に血液を差し上げるどころではなく、自分がもらわなければならない状態だった。

小澤
貧血だった?!

千田さん
見えないでしょ?!(笑) ヘモグロビンが7.6でした。私、登山をするのですが、その頃は動悸、息切れが激しくて、みんな私を追い抜かしていく。なんでこんなに体がしんどいんだろう・・・更年期障害かしら?!と思っていました。(笑)

小澤
それで詳しく検査された?

千田さん
検査して貧血以外に悪いところは見当たらなかった。しばらく鉄剤を服用して検査したのですが、さらに悪くなっていました。半年過ぎた頃には、胃に痛みを感じるようになりました。私は十二指腸潰瘍の病歴もあるので、以前勤務していた胃腸科で胃カメラの検査をしてもらいました。軽い潰瘍ができていました。「ああ、それで貧血なんだ」と、ちょっとほっとしました。

小澤
潰瘍からの出血で貧血が起きていると推察したのですね。

千田さん
ところが胃の痛みは一向によくならない。速効性があるはずの胃薬を飲んでも、痛みは軽くならない。胃腸科で再度、血液検査、腫瘍マーカー検査、便の検査をしたのですが異常なしでした。でも自分としてはどうにもヘンな感じだったので、CT検査をお願いしました。

小澤
検査で異常が見つからなくても、千田さん自身としては納得がいかなかった?!

千田さん
2007年12月でした。病院でCTと大腸ファイバーをしてもらったところ大きな塊が見つかり、4日後に手術となりました。

小澤
検査から手術までが早いですね。進行しているという判断でしたか?

千田さん
手術をしてはっきりわかったのですが、私のガンは大腸ガン(上行結腸)3期b。腸を25cm切り取り、リンパ節は転移のため3群まで郭清しました。

小澤
手術ではガンは取り切れたのですね?

千田さん
はい。ただこの時、他にも転移がないか調べたところ肝臓に影が見られました。でも血腫という診断でした。退院後は抗ガン剤の飲み薬を服用していましたが、さほど副作用はありませんでした。ところが翌年2月に腸閉塞で入院。血液検査の数値が悪く、抗ガン剤は中止になりました。

小澤
自覚される副作用はあまりなかったようですが、内臓には負担がかかっていたのでしょうか…。

千田さん
ところが、今度は全身のひどい倦怠感に悩まされるようになりました。検査を受けたのですが、医師はやはり異常は見られないという。でもどうにもおかしいので、友人のアドバイスでがんセンターを受診したところ、肝臓に複数箇所ガンが見つかりました。

小澤
血腫ではなかったということですか。

千田さん
肝臓外科の担当になり、肝臓の2/3を切除しました。大腸ガンからの転移と判明し、末期ガンと告げられました。

小澤
短期間のうちに、患者としてたっぷり現代医学を経験されましたね。(笑)

千田さん
まだおまけがありましてね。肝臓の手術前に、残す1/3の肝臓に栄養が届き、切除する2/3に栄養供給をストップする血管塞栓術を受けました。私の場合、カテーテルを入れるための局所麻酔が効かず、とても痛い思いをしました。術後は痛みを緩和する硬膜外麻酔がうまくいかず、また痛みに苦しみました。(笑)

小澤
医療を施す側にいた千田さんは、医療を受ける側に回ったら早い段階の検査でガンは見つからず、手術に際しては痛い思いをされ・・・と、けっこう翻弄されましたね。

千田さん

現代医学と相性が悪いのかしら?!(笑)



◆「いずみの会」との出会い◆

千田さん
その入院中・・・肝臓の手術後ですが・・・がんセンターの売店で売っていた本に目が留まりました。

小澤
『論より証拠のガン克服術』(中山武 著 草思社)

千田伸子さん 大腸ガン・肝臓転移


千田さん
いま思えば、よくぞこの本ががんセンターに置いてあったなと思いますが。(笑) 

小澤
ご当地名古屋の老舗ガン患者会「いずみの会」 前会長の中山さんの著書ですよね。失礼ですが、現代医学の現場に身を置いていた千田さんとしては、本の内容に違和感はなかったのですか?

千田さん
大腸ガンの肝臓転移・・・一応、手術はしましたが・・・といえば末期ですから、医療知識があるだけに厳しい状況というのは分かってしまいます。正直、治るということは考えられなかったし、死を意識しました。ところが、この本を読んだら、ガンは生活習慣病だから生活習慣を変えることで治った実例が載っている。「これで助かるかもしれない!」と直感しました。

小澤
閃いた?!

千田さん
大腸ガンが見つかった直後から、ガンに関するいろいろな本を読みました。西洋医学がいいという医者、西洋医学はダメだという医者、両者の本を読みました。近藤誠先生の本も読みました。「どっちもどっちだな」という感覚はあったので、現代医学以外のアプローチを受け入れる下地は少しずつできていたのかもしれません。

小澤
その本との出会いは退院後の生活に何か影響をもたらしましたか?

千田さん

いろいろ勉強するうちに抗ガン剤は受けたくないな、という気持ちになっていました。偶然かもしれませんが・・・というより幸運だったのは、主治医が多忙過ぎたのか、カルテの引き継ぎが不十分だったのか、私には抗ガン剤治療の話がでなかったのです。退院後は早速、いずみの会に入会して食養内科のある東京の松井病院に10日間ほど入院しました。

小澤
中山前会長も通われていましたね。

千田さん

それがもうお寺の修行のようで…(笑) それでもだんだん慣れてきて、食養内科の先生の指導で自分流の献立も作っていきました。

小澤
まず、食事を見直した。

千田さん
それと卵巣ガンになった友人にいずみの会の本を貸したところ、飲尿療法をやると言いだしました。私はまだ飲尿療法は躊躇していましたが、友人がやるなら私もやる!というので始めました。人のためならできるんですよね。(笑) 二人で頑張ろう!って。(笑)

小澤
お友達が始めるきっかけをつくってくれた?!(笑)

千田さん
始めてみると、お肌や便通にも良くて、それと食べたものの反省にもなりました。前日あまりよろしくない物を食べると尿の味に反映されるのです。
それから、整膚(せいふ)も私にはよかったですね。

小澤
整膚というと、あの皮膚をつまむ健康法ですよね?

千田さん
いずみの会で整膚の講演会があったのです。そのときに整膚の施術をしてもらったのですが、私の担当が80歳代の胃ガンを経験された女性で、すごくお元気だった。整膚を受けてみて、これなら力も道具も要らなくていいなと思って整膚の学校に通って習い資格を取りました。

小澤
なにか変わりましたか?

千田さん
私は物凄い冷え症だったのですが、それが見事に改善しました。整膚をやってさしあげて相手の方に喜ばれると嬉しい。しかも、施術することで自分の体の循環が良くなるから、こんないいことはありません。(笑) 緩和ケアにもなります。患者さんに何かしてあげたいと思っているご家族にも、教えて喜ばれています。

小澤
スキンシップ感覚でできるのが、またいいですね。


◆「末期ガン」の宣告に恐怖を感じなかった人生観◆

千田さん
父は49歳で他界しました。また義理の姉は脳出血で、救急搬送されたその日のうちに亡くなった。同じく49歳でした。その2ヶ月後、交通事故で弟が亡くなりました。まさに、明日何が起こるかわからない!というのが強く胸に刻み込まれました。その体験から私は人生観が変わったのです。「明日何が起きてもいいように生きよう!」

小澤
人生観であり死生観ですね。

千田さん
それからグルメに走りました。(笑) 好きな映画も月20本くらい観ていました。

小澤
そちらに行きましたか!(笑) では、ガンと診断を告げられた時の心境は?

千田さん

もう十分やることはやった。私は幸せだと思って、あまり気落ちしませんでした。49歳はクリアしていましたから。すぐに自分の気に入る遺影も用意しました。(笑)

小澤
ではパニックになったり、過度な執着はなかったのですか?

千田さん
はい。

小澤
それはある意味、ご家族に感謝ですね。

千田さん
そうなのです。身内の死から得た人生観、死生観が私のガンとの向き合い方のベースになったと思います。「末期」と告げられても、妙に怖さは感じなかったですね。

小澤
医療に従事されている方ほど医学知識があるので“ガンの恐怖”に囚われがちですが、千田さんはちがったのですね。だから中山武さんの本もスンナリ受け入れられたのかな。

千田さん
ああ、そうかもしれません。私が懇意にしているドクターも看護師さんも、大腸ガン3期bで肝臓にも転移した私がこんな風にしていられるのは“有り得ない”と怪訝な反応をします。信じられないようです。(笑) 

小澤
医者や看護師さんはやっぱり“有り得ない”と思ってるのかぁ(苦笑)

千田さん
ちょっと後日談がありましてね。ガンになられたがんセンターのドクターの奥様が知人から私のことを聞いて、私のところに会いに来て尋ねられました。「どんなことをやっているのですか?」(笑)

小澤
そんなものですかねぇ(笑)

千田伸子さん 大腸ガン・肝臓転移
千田伸子さんの体験談が収載されている「論より証拠!ガンをなおす いずみの会式玄米菜食」



◆保育士時代の悲しい体験と産婦人科での激務◆

小澤
いずみの会のテーマは「ガンは生活習慣病だから、生活習慣を見直すことで治癒をめざす」ですよね。千田さんはご自身のガンについて、どんな生活習慣が影響したとお考えですか?

千田さん

41歳で子宮筋腫になり、子宮を全摘していることも体に影響はあったと思います。ただ何より看護師というハードワークが原因かなと思います。

小澤
夜勤のあるお仕事だったのですか?

千田さん
産婦人科で働いていました。自宅近くに開業した産婦人科にオープン当初から勤めました。割と自分の裁量で仕事をさせてもらえ、出産のプロデュースなんか楽しくて楽しくてしょうがなかった。(笑)

小澤
お産はたいへんですよね!だいいち不規則でしょ?!

千田さん
夜勤以外の日でも夜中に呼び出されることが少なからずありました。ですから、常に午前1時までは寝ずに起きていました。睡眠時間は平均4~5時間。緊急の手術が入ったときは36時間連続勤務したこともありました。食事時間はバラバラ。疲れをしのぐため手っ取り早いのでチョコレートなど甘い物を多食していました。

小澤
すごいですね。そこまで出産に情熱を注げるなんて!

千田さん
実は私、看護師になる前は12年間保育士をしていました。当時、幼馴染から電話がかかってきたのです。やっとの思いで子どもを授かったのに思うように母乳が出ないと悲壮な様子でしたが、私は「そんなの大丈夫!大丈夫!」と言って電話を切った。ところが間もなくその幼馴染は自ら命を断ってしまった。産後の肥立ちが悪かったようで・・・。私はあの時、彼女の話をちゃんと聴いて言葉掛けをしてあげればよかったと悔いました。もう一つは、娘が通っていたバレエの先生がやはり産後の肥立ちが悪くて子どもを道連れに心中してしまった。

小澤
千田さんの身近で二度もそういうことがあった。

千田さん
その強烈な体験と自分が出産の時にお世話になった恩返しをしたい気持ちから、生まれ変わったら看護師になりたいと思っていたのです。ある日、用事があって市民病院に出かけた際、友人の看護師を見かけそんな話をしていたら、通りかかった年配の看護師さんに「あら、まだ遅くないわよ」と一言掛けられた。

小澤
それから看護師さんになられたのですか?!

千田さん
39歳で看護師の免許を取りました。人生後にも先にもこれほど勉強したことはなかった。(笑) それがね、午前中仕事して午後看護学校、制服着たままですよ。夕方帰りがけにその格好でスーパー寄るもんだから、まあコスプレですよねッ! じろじろ見られました。(笑)

小澤
看護学校の同級生は娘さんみたいなものでしたね。(笑)

千田さん
それで産婦人科で勤務をスタートしたのです。とくに母乳については意識が高く、「ゴッドハンド」と呼ばれるくらい母乳出しの名人になりました。

小澤
命を大切にするがあまり、自らの命を削らんばかりに頑張っちゃったんですね。


◆保育園が私の居場所だった◆

小澤
お話しを伺ってきますと「保育士ー産婦人科看護師ーガン発病」と、千田さんの人生の軌跡は「命」と深くかかわっているようですが。

千田さん
それは私の家庭に端を発しているかもしれません。私には姉がいて、次に兄が誕生したのですが生まれて間もなく死んでしまいました。兄のことがあって家族は病院を信用できなくなり、私は産婆さんで1950gの未熟児で生まれました。産婆さんなので保育器もなく、だから大きくなるように伸子(しんこ)と命名された。そして5年後、弟が生まれました。幼心に覚えていますが、家族からこう言われたのです「お兄ちゃんが(生きて)いたら、あんたはいらなかった」 子どもながらに心が傷つきました。

小澤
そんな体験をされていたのですか。

千田さん
だから私は保育園が大好きだった。

小澤
保育園が千田さんの居場所だったのですね。

千田さん
私が保育園に通っているときに弟が生まれ、祖父が市会議員に当選した頃でもあったので家族は万々歳でしたけど…。

小澤
親からの愛情をあまり感じられなかった幼少時代ですか。

千田さん
保育園の遠足に親が付き添ってくれたことがなく、保育士さんと一緒にいました。小学生の時、家族で旅行に行った際も私はひとり駅で降ろしてほしいと言い張りました。祖父が議員になったこともあり、世間体を気にする家の中で私はますます孤独を感じていたのです。

小澤
親の愛情を得たいという無意識が、頑張って頑張って認められようと日々の行動に駆り立てたのでしょうかね。

千田さん

でもガンになったおかげで、いろいろな人に出会え、全国に友だちもたくさんできました。ガンになってよかったと思います。

小澤
ガンになる前も「明日何が起きてもいいように生きよう!」って生きてられたのですよね。(笑)

千田さん
ええ、ガンになったことでさらに濃密に「明日何が起きてもいいように生きよう!」って生きてます!(笑)

千田伸子さん 大腸ガン・肝臓転移
今なお夜勤もこなしている千田伸子さん(左)と編集長


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【編集長感想】


いずみの会定例会ではじめてお会いした千田さんの印象は、素敵な笑顔。その笑顔は、たんなる顔の表情ではなく、全身から自然に醸しだされているのです。

保育士になって最初に受け持った年長児クラス。ある日、園児から「先生、何かあったの?」と言われドキッとした。家でおもしろくないことがあったのを引きずったままの顔で園児たちと接していた。それから毎朝、鏡の前で笑顔を作ってから出かけるのを習慣にされたそうです。楽しいから笑顔になるのではなく、自らが先に微笑むことで周囲も、そして自分のからだの細胞たちも笑顔になるのでしょうね。



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