再発・転移・進行・末期のガン対策

ガン体験者との対談

坪山準さん 脳腫瘍(発症時28歳)

自分のこころの真ん中の思いを生きる!
2014年11月 大阪にて
「こころびと」・・・自分のこころの真ん中の思いを生きる! 脳腫瘍を体験した自分の使命は「こころびと」を伝えること。坪山準さんも、メッセンジャーとしての役割を受け入れたおひとりです。

坪山準さん 脳腫瘍
坪山準さん 大阪 新阪急ホテルのカフェにて



◆アメリカン・ドリームを目の前にして発病◆

小澤
はじめまして。急に都合つげていただきありがとうございます。

坪山さん
いえいえ、ご縁に感謝です。

小澤
坪山さんは20代で脳腫瘍に罹られたと伺いましたが。

坪山さん
23歳の時にアメリカのヴァージニアでビジネスを始めました。しかし2年ほどで行き詰まり、契約を解消しました。帰国しようかなとも思ったのですが、距離的に近くしばしば訪れていたニューヨークで写真を撮り歩くことにしました。とはいえニューヨークに移り住んだものの収入はなし。そこで「初花」というマンハッタンで5本の指に入る寿司屋で、ウエイターとして働くことになりました。

小澤
マンハッタンの寿司屋さん?!

坪山さん
ウエイターの見習いをして一週間経った頃、社長から「寿司屋をやらないか?」と持ちかけられました。

小澤
要はウエイターではなく、寿司をにぎる寿司職人ということですか?

坪山さん
ええ。マンハッタンの有名な寿司屋で一番の寿司職人になれたら“一流”と評価される!アメリカに渡ってビジネスの夢は破れましたが、それを新たな夢として叶えよう!という気持ちが湧いてきました。一晩考えて翌日、社長に「やらせてください!!」とお願いしました。

小澤
新たなアメリカン・ドリームへの挑戦が始まった!

坪山さん

寝る間も惜しんで人より二倍、三倍、修行すること3年、メインのカウンターで握らせてもらえるまでになり、「よっしゃ!これからだ!」という時に脳腫瘍が見つかったのです。

小澤
23歳で渡米してからだから、28歳で発症ですか?

坪山さん
29歳(2007年2月)の誕生日に日本に戻ってきました。

小澤
脳腫瘍が見つかるまで体調に異変はなかったのですか?

坪山さん

腫瘍が見つかる半年ほど前から、ひどい頭痛がするようになりました。それから細かな作業をしていると、右目と左目の視点が合わなくなってきていました。コンタクトや眼鏡のせいかなと思っていました。

小澤
サインは出ていたのですね。

坪山さん
帰国する1ヶ月半前くらいからは、おしっこが止まらなくなった。僕の病名は「頭蓋内胚芽腫」で、脳幹を囲うように腫瘍ができる病気なのです。おしっこをコントロールする視床下部に腫瘍が及んで、おしっこの調節ができなかったようです。

小澤
そんな状態で仕事を続けていたのですか?!

坪山さん
アメリカン・ドリームを実現できそうでしたからね。寝不足とストレスを抱えながらも、病気になってる場合じゃないと頑張り続けた。見かねたマネージャーに病院で診察を受けろと言われMRIを撮ってみた結果、医師に「脳に腫瘍があります」と告げられました。

小澤
それを聞いた瞬間、坪山さんはどう思われたのですか?

坪山さん
「あッ、人間って、こうやって死ぬんだ」というのが即座に頭に浮かびました。

小澤
「脳腫瘍=死ぬ」が、最初のイメージ?!

坪山さん
当時、ガンは手術で取り除くものだと思い込んでいました。脳なんか手術できないだろう→死ぬ、という発想です。アメリカで治療したら億を超える費用がかかるから日本に帰って治療しなさい、と言われました。母親に電話したら、「すぐ帰ってらっしゃい!」 僕も死ぬなら親元で死のうと思いアメリカン・ドリームを打ち捨てて、日本に戻りました。


◆なぜか僕は生かされている◆


小澤
帰国してからはどうされたのですか?

坪山さん
すぐに大阪の病院に入院しました。入院の翌日、母親が部屋に来てテレビの上に鼻歌しながら、抱えるように持ってきたサプリメントのボトルを並べ出した。僕のせいで頭がおかしくなっちゃったと思いました。(笑) 並べ終わると、「準、あなたはこれを飲んで元気になるのよ」とにこにこしながら言いました。

小澤
お母さん、サプリメントを病室に堂々と持ち込んだ?!(笑)

坪山さん
心の中で「お母さん、ごめんなさい。これから科学的治療が始まるというのに、わけのわからないサプリメントで元気になるはずがない!」と思いました。ただ、僕は死ぬつもりだったので、死んでから母親に後悔させたくなかった。もっとサプリメント飲ませておけばよかった、とか思わせたくなかった。だから、母親が勧めることは全部やろうと決めました。

小澤
治るためというより、お母さんのためにサプリメント飲んだ?

坪山さん
毎日両手に山盛り一杯。(笑) ガンで死ぬのではなく、この得体の知れないサプリメントで死ぬんじゃないかと思った。(笑) 今でこそ笑い話ですが、当時は薬とサプリメントの区別なんかつきません。ドラマとかで睡眠薬大量に飲んで死ぬ・・・そんなイメージだった。腫瘍で脳がおかしくなって苦しんで死ぬより、よっぽどマシな死に方、幸せな死に方ができると本気で思いました。

小澤
その時点でも、死ぬことしか考えてなかった?! でもまあ、それもひとつの死生観ですね。

坪山さん
楽に死ぬことを考えていましたね。病棟は13階だったので、ここから落ちれば死ねるなと思いながら、ふと顔を上げて窓の向こうを見たら虹がかかっていた。神様が「まだだよっ」ってプレゼントしてくれたような感じがしました。

小澤
それまでの人生で神様からのプレゼント、なんて感覚を持ったことはあったのですか?

坪山さん
とんでもない。すべて自分の力で切り拓いたと自負していました。てっぺん取って一流の評価を得ることばかり目指していた。それが脳腫瘍になって、何か大きな力に導かれているような感覚になってきた。

小澤
意識が変わってきた?!

坪山さん
その頃、母親はある本に感化されて「ありがとう!」「ありがとう!」を連発していました。サプリメントと同じように母を後悔させまいと、母のやることは何でもやろうと肝に銘じていたので、僕も何かにつけ「ありがとう!」「ありがとう!」を口にしていました。(笑)

小澤
病院での治療はどうでした?

坪山さん
入院して2週間後に抗ガン剤治療が始まりました。【3日連続投与→1ヶ月休薬】×3回、その後に放射線治療15回というスケジュールでした。抗ガン剤は副作用もありましたが、開始して1ヶ月後のMRIで腫瘍の8割が消えていました。主治医も「こんなに早く腫瘍が縮小するのは見たことがない!」と驚いていました。

小澤
ということは、抗ガン剤1回の投与で急速に腫瘍が小さくなった?!

坪山さん
その時、サプリメントのおかげで元気になれるかも!と思いました。(笑)

小澤
安楽に死ぬためにサプリメント飲んでいたのにね。(笑)

坪山さん
それでもまだ死ぬ意識は残っていました。ただ、友達が千羽鶴を折って見舞いに来てくれたりもして、母親をはじめ周りの人たちに支えられているのを感じた。みんなが「早く元気になれよ!」「待ってるよ!」と愛をくれた。「そうか、元気になっていいんだッ!」とはじめて思えました。

小澤
自分にガンから回復することの許可を出せた。それまでは出せなかったんだ。

坪山さん
2回目の抗ガン剤終えてのMRIで、もう腫瘍は消えていました。でも主治医から当初の治療計画どおり3回目の抗ガン剤治療を進言され、受けました。3回目終了後のMRIでも腫瘍は認められませんでした。

小澤
それで治療は終了した?

坪山さん
いえ、細胞レベルで残っているかもしれないのでプロトコールどおり放射線治療をしましょうということになりました。その時は放射線の影響なんて微塵も知らなかったので、僕もすんなり同意しました。

小澤
病院側としては、プロトコールどおり治療して症例報告したかったのかな?!(笑)

坪山さん
でも、よくよく考えてみれば腫瘍もないのに放射線当てたら正常な組織がダメージ受けますよね。だから、体温調節ができなくなっちゃった。汗をかけなくなってしまった。その年の夏は暑くて、汗をかけない僕は「こんなふうにしてまで何で生きてるんだ?!」と嘆きたかった。でも、「お前には役目がある」というメッセージが聞こえたんです。

小澤
脳腫瘍になって、奇跡的に腫瘍が消えて、受けなくてもよかった放射線お後遺症に悩んで・・・という人生を辿るだけの理由があると。
坪山さん
それで、自分がなぜガンになったのか?なぜ治ったのか? 知りたくて分子栄養学を学びました。

坪山準さん 脳腫瘍
健康相談活動とともに酵素や音叉のCD制作もされている


坪山準さん 脳腫瘍
カラー音叉を使った音(振動)で人体の調和をはかる



◆こころびと◆

小澤
現在は、ガンの方をはじめとする健康相談、人生相談などの活動をされていると聞きました。

坪山さん
最初は僕の体験談を聴かせてほしいというリクエストを頂いて、お話をしました。それからはセミナー形式で、病気や人生において救いを求めている方々が来られるようになった。

小澤
坪山さんのお話を聴かれて参加者の方々は勇気が出るでしょうね。

坪山さん
僕は自分の思いを一生懸命伝えれば、話を聴きに来て下さった人達が元気になると思っていた。ところが、元気になる人とならない人がいる。自分の伝え方が悪いのじゃないか、それとも自分では役不足なのか・・・悩みました。

小澤
元気になる人とならない人の差はわかりましたか?

坪山さん
それは僕の思いを受け取った人が、自分のこころの在り方を変えたかどうか、ということです。僕に救ってほしい、方法論に救ってほしい、という人は元気になれていない。自分が変わろうとしなければ元気になれない。僕自身は、その人が変わりたいと思った時に目の前に現れたワンピースに過ぎないのです。

小澤
「こころの在り方、自分の在り方」という命題はセミナーを始める前に手にしていたわけではなく、人に話すことによって坪山さん自身が気づかれたことだったのですね。

坪山さん
そうなんです。それと僕にとって大きな出会いがあったのです。

小澤
大きな出会い?

坪山さん
2008年の8月に久美子さんという女性(坪山さんは「久美子お母さん」と呼んでいる)と出会いました。当時すでに乳ガンが全身転移して末期状態でした。僕は不思議と久美子お母さんには何かしてあげたい、という思いを強く持った。会いに行って話をしたり、寿司屋の経験を生かして鯛のあら煮を持って行ったりしました。それから友だちに声をかけて、メッセージカードを送ることにした。表に久美子お母さんへのメッセージ、裏には各人の夢を書いた。それを見て、久美子お母さんが「自分も生きてこんなことをしたい!」と思ってくれたらいいなと。1週間で70枚近く集まりました。

そのお返しに、久美子お母さんがメッセージカードをくださった。表には感謝の言葉、裏には『健康な人がいっぱい増えて、相手の事を思いやれる優しい人がいっぱいになる事』と書いてあった。それを見て僕は、「自分の生きる道を見つけた!」と思いました。

小澤
久美子お母さんの夢は、坪山さんへのメッセージでもあった。

坪山さん
最終的には久美子お母さんはその年の年末に亡くなられました。僕はもっともっと久美子お母さんにしてあげたいことがあった。その分を、これから出会った人たちにしてあげよう、と思いました。それは、愛、思い、元気になると信じる気持ち、を届けることなのです。

その時、「こころびと」という言葉と曲が浮かびました。

『こころびと:あなたの人生はあなたのものです。あなたはあなたのこころの真ん中の思いを生きる為に生れてきました』

それを伝えることにしたのです。

小澤
分子栄養学や方法論ではなく、病気に囚われている意識からの解放に重点を置いて話をされるようになった。

坪山さん
元気になると信じることができたら、標準治療でも、代替治療でも、民間療法でも、治療法は何でもいいのです。自分の思いに正しいこころの在り方を身につけて、自分のこころの真ん中の思いを生きていこうと決断した時、大きなサポートが得られる。最善な事が起きると思っています。


◆坪山さんの活動に関するサイト 「STAY ONE」はこちら!


坪山準さん 脳腫瘍
坪山さん(右)と編集長



【編集長感想】

坪山さんは、脳腫瘍の経験から「自分の在り方しだいで病も人生も変わる」ことを学ばれました。脳腫瘍発覚まえから悩まされていた尿崩症(おしっこのコントロールができない多尿症)は、6年間続き投薬を欠かせませんでした。しかし昨年9月、それも心の在り方しだいだと確信し薬の使用を中止しましたが、以後排尿に異状はありません。薬の処方を断った際、医師はホルモン剤を使う尿崩症が治った例はないと断言されたそうです。

坪山さんは『こころびと』を伝えるために、今も生かされています。









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