どんな人生も語るべき物語になります…が、まさに波乱万丈のTさん。ストレスの原因が一転、救世主になった。いや、ガンのお陰で今まで見えなかったことが見えるようになったのです。

広島 がん患者支援サロン「ひまわりの会」(2015年3月~休会中)にて
◆食事療法に取り組むことで不安を和らげた◆
小澤
この度はご無理をお願いして恐縮です。膀胱ガンの体験をお話いただけるということで感謝しております。
Tさん
うまくお話しできるかわかりませんが。
小澤
膀胱ガンが判ったのはいつですか?
Tさん
3年前(2010年)の2月です。どうも胃のあたりに違和感があって胃の検査をしてもらったのです。私の両親は共に60代で、ガンで他界しました。その両親と同じ年代になったこともあってしっかり診てもらいました。
小澤
膀胱に自覚症状があったわけではなかった?
Tさん
はい、排尿時に痛いとか、血尿が出るとか気になる症状はありませんでした。ただ2年ほど前から下腹部に灼熱感を伴うチリチリした痛みがありました。私は20年以上前に子宮筋腫のため子宮と卵巣を一つ摘出しています。その影響で癒着でもしているのかな、と勝手に思い込み下腹部のエコー検査もしてもらいました。そうしたら、ドクターの顔色が変わって…。
小澤
いやな予感…。
Tさん
胃はなんともないが、泌尿器に問題があると言われました。
小澤
懸念していた胃や婦人科系ではなく泌尿器だった。
Tさん
診てもらった医者が内科だったので、すぐ泌尿器科に行ったところ、膀胱に1.5cmのガンが2つ、それより小さいのが3~4個見つかりました。
小澤
その場でガンと診断されたのですね?
Tさん
いきなりガンと告げられて、感情や感覚が麻痺したようでした。現実のことなのか否か定かでない感じ…帰りの電車の窓から眺める風景も色を失っていました。主人に連絡したら「タクシーで帰って来い」と言われたのですが、無意識に電車に乗っていました。時間をかけて帰りたかったのでしょうね。
小澤
時間をかけることで落ち着きたかったのでしょう。ご主人の反応はいかがでしたか?
Tさん
主人の父も私の両親もガンが判った時はすでに末期で、あれよあれよと病状が進み1年経たないうちに亡くなりました。だから夫婦して1年もたないだろうと悲観的でした。
小澤
身近な方の体験から余命のことが頭に浮かんだのですね。
Tさん
それでも諦めきれなくて、地元の市民病院よりもっと信頼できる病院で手術を受けたほうがいいだろうと考え、東京の国立がんセンターに問い合わせてみました。ところが予約を取ってさらに手術するまでに数ヶ月かかる。とても待っていられないので、元の市民病院で手術をお願いしました。それでも手術までに1ヶ月待たされました。
小澤
じれったいですね。
Tさん
ええ、もう待っているのがたまらなく不安でした。ガンがどんどん大きくなっていくんじゃないかと…。
小澤
なにもしないで手をこまねいているのが不安だったのですね。
Tさん
そうなんです。取り敢えず何かやらなくちゃ!と本屋で見つけた本に載っていたゲルソン療法をやることにしました。とにかく手術までの間、必死にやりました。そうしたら、手術直前の検査では小さいガンが無くなっていた。
小澤
3~4個あった小さいガンが消えて、1.5cmのが2つだけになっていたのですか?
Tさん
その2つも1.1cmに小さくなっていたのです。ドクターは怪訝な顔して、撮影の角度の差かもしれない、手術の際に確認しましょう…と口を濁していました。でも、私は食事を変えたことが良かったのだと確信しました。(腹腔鏡手術の際にも確認されたガンは2つだけだった)
小澤
1ヶ月一生懸命取り組んだことが功を奏した。ご本人としては手応えを感じますよね。
Tさん
1ヶ月経って手術後の経過を診るため病院に行ったところ、ガンの性質が悪いので再発のリスクが高いとドクターに説明されました。次に再発したら膀胱を全部取らなければならないということでした。ですからゲルソン療法を1年半みっちり、加えて高濃度ビタミンC療法をやりました。
小澤
ガンになる前はどんな食生活でしたか?
Tさん
お酒がすごく好きで主人と毎日晩酌していました。酒の肴が食事です。肉と魚は定番で野菜は少なかったです。外食も多かった。美味しいものの食べ歩きもよくしました。
小澤
美食家だったのですね。
◆2年経ってから再発◆
Tさん
ドクターからは「2年間再発しなかったらかなり安心してよい。検査の間隔も2ヶ月に1回から4ヶ月毎にしましょう」と提案されていました。私もだんだん治った気になってゲルソン療法も緩くなっていました。
小澤
日が経つにつれてガンへの意識が薄れていった。
Tさん
ところが2年過ぎた最初の検診で再発が確認されました。
小澤
せっかく再発危険期間を過ぎたのに! それでは膀胱全摘ですか?
Tさん
再発のガンは5mmでした。途中で主治医が交替したことで当初の方針を再検討し、全摘ではなく一度目と同じように腹腔鏡でのガン摘出になりました。
小澤
全摘しなくて済んだ。
Tさん
その理由は2年間再発しなかったこと。摘出したガン細胞を調べると、やはり悪性度が高いものでした。通常なら3~6ヶ月で再発する確率が高いのに2年間再発しなかった。それで膀胱全摘ではなく腹腔鏡手術で様子を見ることになりました。しかし次こそ再発したら全摘ですよと予告されています。
小澤
今のドクターは冷静な判断をされるようですね。
Tさん
とてもよい先生です。いつもにこやかで物腰が柔らかい。全摘か腹腔鏡かの選択の時も、「もし私の家族だとしたら、とても悩ましい判断になります」と親身になってくださりました。
小澤
脅し的な物言いをするドクターでなくてよかったですね。再再発を回避するためにどのようなことを心掛けておられますか?
Tさん
体を温めることです。私は体温が低いのです。入院の時に検温がありますが、1度目の入院の時が34.8度、2度目は35.0度。婦人科系の手術をしたせいか、上半身はほかほかしているのに対し下肢が異様に冷たい。
小澤
低体温ですね。
Tさん
半身浴、湯たんぽ、スパッツの重ね着、夏でもカイロを使ったりして冷やさないようにしています。
小澤
それと食事?
Tさん
またせっせと人参ジュースを飲んでいます。主人が人参を買いに行ってくれるのですが大量なので、「お宅、馬でも飼っているのですか?」と尋ねられるそうです。(笑) すると主人は「ええ、じゃじゃ馬を飼っているんだ」なんて答えるんですよ。冗談好きな人で。(笑)
小澤
上手い!!(爆笑)
◆許せなかったご主人に救われた◆
小澤
楽しいご主人のようですが、温かくサポートしてくださっているようですね。
Tさん
でもね、私は主人のことがストレスだったのです。
小澤
あれ!? 毎日晩酌される仲良しご夫婦なのでは?
Tさん
私は神経質で完全主義者。幼少から、親や先生の期待を裏切ってはいけない、優等生でなければいけない、と育てられましたから。完全主義が身にしみついているのです。
小澤
ご主人は?
Tさん
主人はまったくお気楽な生き方。さっきのように冗談ばかり。とにかく要領よく生きることに頭が回る人なんです。
小澤
どうしてご結婚されたのですか?(笑)
Tさん
実は私、12年くらい勉強のためアメリカに滞在していました。当地でアメリカ人の男性と婚約し、結婚後に住む家まで建ててあった。ところが結婚式の3日前にそのフィアンセが交通事故で即死してしまったのです。
小澤
え~!?
Tさん
亡くなる前の日に母から電話がありました。母は以前から国際結婚に大反対だったのですが、電話の向こうで大泣きされたのです。それで私は、本気ではなかったのですが、つい彼に「日本に帰る」と告げてしまった。彼はその事にたいへん傷ついたようです。
小澤
その「日本に帰る」は「一時的に帰国する」というのではなく「お別れする」というニュアンス…。
Tさん
車で出かける際にメモを残してあって「帰ってほしくない」と書いてありました。運転も得意で事故を起こすような人ではなかったのですが、よほど私の言葉を深刻に受け止めたのでしょう・・・それで考え事でもして運転を誤ったのに違いない……そんな思いに胸を締め付けられながら病院に駆けつけ、帰らぬ人となった彼に対面した途端、私は気絶してしまいました。「私が殺してしまった!」そう思わざるを得ませんでした。気を取り戻した後、警察官に事情を話すと「それが原因で事故を起こしたのだろう」と言われ、いまだにその一言が胸に棘のように刺さっています。
小澤
そんなことがあったのですか。
Tさん
私、それ以来ずっと「幸せになっちゃいけない」という感覚があったのです。なんとか帰国したものの鬱状態でした。日本に帰って死ぬつもりで睡眠薬を買い込みもしました。実家に戻ってからも床に伏せてばかり。そんな時に現れたのが、幼馴染だった今の主人です。家に閉じこもっていた私を外に連れ出してくれた。
小澤
身も心も傷ついていたTさんに寄り添ってくれた。
Tさん
花を見に行こうとか、お酒飲みに行こうとか誘ってくれました。所有している小さいボロ船で瀬戸内海の離れ小島に渡って自然の中で過ごしたりしているうちに鬱を克服できました。それから腐れ縁です。(笑)
小澤
映画にでもなりそうな話ですね。
Tさん
奇遇なもので、たまたま主人も離婚した直後で実家に居たのです。
小澤
ほう~、運命ですねぇ。まるでTさんを待っていたみたいだなぁ。
Tさん
でもうちの母は、あまりに養育環境がちがうので「あの人で本当にいいの?」と心配していました。実際、結婚してからは私と正反対な性格、生き方なのでストレスでした。物事への取り組む姿勢がいい加減に見えて許せないッ、って思っていました。
小澤
ガンになって夫婦二人で神経質に深刻になるより、そういうおおらかなご主人でよかったのではないですか?
Tさん
私が検査前にビクビクしていると、「結果が悪かったら全摘すればいいじゃない。全部取ったってすぐ死ぬわけじゃない。そのうち70歳になれば親より長生きできたことになるし」なんて言い草。まあ、お陰で気は楽になりますが。(笑) 笑えない冗談もポンポン口にするし。(笑)
小澤
笑えなくても、ニンマリくらいするでしょ。それもいいんじゃないですか。
Tさん
ガンになる前、主人はストレスの要因でしたが、ガンになってからは、ありがたい存在と感じています。(笑)
小澤
そうですよ。感謝してあげてくださいよ。二度も助けてもらっているのだから。(笑) ところでTさんの完全主義はどうなりました?
Tさん
まったく、いい加減になりました。(笑)
【編集長感想】
広島のがん患者支援サロン「ひまわりの会」(2015年3月~休会中)の会員でもあるTさん。一度目の手術後、厳格に食事療法に取り組み2ヶ月毎に検診を受ける療養生活に孤立感を感じていました。そんな時、出会ったのが「ひまわりの会」。同じくガンを患う人、体験された人との交流に救われ、心強かったと語られていました。1年持たないだろうと生きた心地がしなかったガンに対する怖れが、ご主人や会の仲間のお陰で緩んでいった。
そうそう、いまだにご主人とは「ちゃん付け」で呼び合う仲だそうです。(笑)



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